カンマネの安心したいブログ

仙台で牛タンを食い倒れる

IMG_7698仙台に行ってきた。10年前の思い出の記憶をたぐり寄せるためだ。10年前に訪れたときは大雨だった。それも日帰りで。タクシードライバーに牛タンの美味しいとこに連れて行ってと言って降ろされた牛タン屋がどこだったかも確認したかった。

最近はどこかへ旅をする際に、その土地の食文化、名所旧跡、その土地いわれの人物などをさらっと学んでから入るようにしている。その方がその土地の良さを本当に理解できるから。今回は牛タンについて少し勉強してから行ってみた。

ところでなぜ仙台は牛タンなのか。単なる町興しの一種なのかと思っていたらどうやらもう少し深い背景があるようだ。

仙台市内に牛たん専門店は約100店あるらしい。焼肉屋で一般的には最初にオーダーするレモンが付いた「タン」とは一線を画し、仙台ではそれ自身が主役となる。舌(タング)を分厚くスライスして下味をつけたあとに炭火で焼き、麦飯と牛のしっぽ(テール)を煮込んだスープと共に食す。これが仙台の文化である。

その歴史を紐解いてみると、『牛たんの発祥を調べようと元祖の味を受け継ぐ「旨味太助」の2代目店主、佐野八勇さんに話を聞きに行った。牛たん焼きは戦後間もない仙台で焼鳥屋をやっていた初代の佐野啓四郎さん(故人)が始めたという。 「腕利きの和食料理人だったおやじが作る焼き鳥やおでんはすぐ周りの店にまねされてしまい、まねできない料理を追い求めていたそうです」と八勇さん。啓四郎さんは知り合いの洋食屋でタンシチューを食べた時、牛の舌を焼き鳥のように焼いてみようという着想を得て試行錯誤を開始。1948年ごろには仙台に牛たん焼きが誕生したとみられる。』(2013/09/13日本経済新聞電子版から引用)

その後地方自治体や商工会議所などのバックアップもあり太助は仙台の顔となっていき、太助から派生した牛タン屋さんも増えた。さらにその後米国産牛肉の自由化を経て、後述のチェーン店が起業し店舗拡大する下地が作られていった。近年は仙台をシンボライズする牛タンストリートを駅ナカに作ったJR東日本の貢献も大きい。確かに帰りに通った時は各店舗とも20人くらいの行列ができていた。

ただ仙台といえば牛タンと言われるまでに成長したのは、根底にあるのは戦後の食糧難の時代に、ややもすれば捨てられていたかもしれないタンやテールなどの素材を万人が美味しいと食せる味に仕上げた佐野氏の力にある。そしてその味を脈々と繋いできたその一族の執念でもある。いたずらに多店舗化せずにストイックに味にこだわり自らの手で味付けし、焼き続けてきた愚直さが顧客の心を掴んでいるのである。

そんな下調べをしたうえで行ってきました国分町。引用文には出てきませんが初代店主の佐野氏のお店は「味太助」。引用文にあった「旨味太助」と2店の太助が仙台の牛タンのルーツ。ちなみに、「旨味太助」の店主は佐野氏の娘婿で、「味太助」の現在の店主(佐野氏の長男)の兄弟子に当たるとの情報あり。旨味太助の店内には味太助とは関係ねーとの張り紙があり、どうやら一澤帆布のように同族でのいざこざが見え隠れする。そんなきな臭い話しはおいて置いて、その老舗両店舗の牛タンの食べ比べをすることにした。そう、忘却のかなたと化した10年前の牛タンやがどちらかの店の可能性もある。

前夜に仙台駅の牛タンストリートのチェーン店で食べたあとのインプレッションなのでそれとの比較っぽくなってしまうのは初めにお断りしておく。「やわらかい」と言ったら前夜のチェーン店に比べてやわらかいと言う意味である。

IMG_7696まずは「旨味太助」。ほぼオープンと同時に行ったのに8割がた席が埋っている。タンは程よいやわらかさ。そしていい塩加減。噛むと先にざくっと後からじわっとという感じか。さすが老舗のタンだ。少し冷めてもあまり硬くならない。そしてその美味しさが最期まで続く。特筆すべきはテールスープ。前夜のスープはお湯みたいだったのですが、コクが違う。胡椒がほとんど入っておらず自分なりの味にカスタマイズできる。

IMG_7697次の日は「味太助」へ。さすがに両店とも老舗であり元祖でもあり気合の入り方が違う。書き忘れたが「旨味太助」も店主自らが網の前に立って焼いている。「味太助」も言わずもがな。牛タンは肉への切込みが多くしっかり味が付いている印象。噛むと先にざくっと後からじわっとという感じか(同じじゃねーか)。テールスープは胡椒が効いており「旨味太助」とは微妙に違う。


ああ、そもそもが両店とも元祖なのだから味が似ている(同じ)なのは当たり前だ。甲乙つけようというのが無理な話なのだ。本当にレベルの高いところでの好みの問題だ。少なくとも言える事は、前夜に仙台駅の牛タンストリートで食べたチェーン店のものとは明らかに違う。これだけは言える。その美味しさが違う、風味が違う、コクが違う。そして気合が違う。(イミテーションゴールド・山口百恵風で)ちなみにチェーン店はバイト君が焼いていました。肉というものは焼き方で相当味を左右すると言うのが持論。店主が自ら焼いているところとは、4回戦ボーイと辰吉丈一郎くらいの差があるのだった。

牛タンに関するうんちくを少し。仙台の牛タンって仙台牛(国産牛)のイメージを持つ人もいるのかと思うのですが残念でした。ほとんど全て輸入牛。旨味太助には表示があってカナダ産でした。他の店のほとんどが米国産か豪産とのこと。1頭で4人前くらいしか取れない牛タン焼きには国産ではコスト的に無理と言うことです。1500円くらいでの提供を安定的にとなったらやはり輸入牛でしょう。もしかしたら吉野家のように輸入牛の方が味がはまるのかもしれない。

仙台の牛タンは3つに分類される。前出の佐野啓四郎氏の味を受け継ぐ①元祖系、工場で大量に仕込んで多店舗展開する②大手系、そしてその他路線の③こだわり変化系。

①は「旨味太助」「味太助」に代表される国分町周辺にあるお店。ちなみに勾当台公園の定禅寺通りを挟んだ反対側にある「たん焼き 山梨」。ここは味太助の一番弟子の方のお店なのですが(って、とにかく牛たん屋をはしごしたのです)雰囲気がゆるくて居心地が良かった。国分町みたいに緊迫していなくてゆるい居酒屋のおっちゃんでしたし。
②は関東にも進出している「利休」とか「喜助」、「伊達の牛たん」など。前夜にこの中の1店舗で食べたのですが残念でした。いやいや決して不味くはない。ただ元祖が偉大すぎただけなのかと。
③は元祖からは外れるがこだわりのある牛タンのお店。国分町の「味楽」とかは狙っていたのですが残念ながら今回はそこまで手が回らず。

仙台牛タン初心者は①から。そして次は③。②は関東でも食べられますって。佐野氏ひとりのアイデア料理が今は500億のマーケットサイズになっているとのこと。仙台に行って牛タンをはしごしてでも食べること、そして牛タンを食べる為だけに新幹線に乗って仙台に行くことは、まさに日本の食文化を守り、さらには宮城の復興の為にも正しい行為なのです。皆様、はやぶさに乗って仙台に牛タン食べに行きましょう。

あああ、10年前はどこの店だったかって?たぶん風景的に「味太助」だと思うのですが100パーセントの自信はありません。でもタクシードライバーが初めて仙台に来る人にリコメンドするのはそこかそこだと思うのです。木のカウンターに妙な懐かしさを感じました。


ランキングはここをクリック←仙台の牛タンに南蛮味噌はマストです





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