こんにちは
朝からしっかり降ってます。でも、雪でなくて良かったです(^-^)
今日、1月15日の朝刊(京都新聞)のテレビ欄です。
ちょっと分かり難いかも知れませんが、緑のマーカーで塗ったところが
阪神大震災関連の報道です。昨日より増えてます。
20年前、1995年、私達家族は埼玉県に暮らしていました。
1月14(土)、15(日)、16日(月)家族全員3連休でした。小4の娘も44歳のサラリーマンも、
30代の主婦も。
特に何をするでもなく、普通にのほほんと暮らしていたようです。
ほとんどお金を使っていませんでした。
17日(火曜日)5時46分、みんな熟睡していましたが、夫だけ「揺れたな」、と
言って起きました。埼玉でです。でも、みんなそのまま眠っていました。
暫くしてからいつものようにテレビを着けました。
NHK朝7時のニュース、冒頭の映像を見て愕然としました。
埼玉に移る前、時々走っていた阪神高速が根元からなぎ倒されている・・・。
大変な事が起こっている、関西で大地震が起こったようだ。
あまり心配されていなかった関西に。いつも関東が恐れられていたのに・・・。
親兄弟、みんな関西にいる私達夫婦は早速電話で安否確認しました。
義両親、母親、義妹家族、兄一家、皆無事でした。
一番心配された兄の家族は震度7の激震地、六甲に住んでいましたが、
二人目の子どもがもうすぐ生まれるということで、大阪の母親の実家に
移っていました。
それで、命が助かったと言っても過言ではないと思います。
子どもは地震の2週間後に無事大阪で生まれました。Hちゃんと名づけられました。
私は今でもこのHちゃんがみんなの命を救った!と思っています。
この後、現時点では何もできる事はないと思っていた、埼玉にいる私は思わぬことで
必要とされました。
京阪神の中では電話が通じません。大阪にいる母と兄が通じません。
通信も混乱しているようです。不思議な事に埼玉を経由すると連絡が
取れます。母と私、そして、私から兄へ。逆も同じです。
そうやって連絡係をやり続けました。
自分の家がどうなっているか、心配でたまらない兄は、ご近所とも
連絡が取れず困っていました。埼玉から隣のお宅に電話してとりあえず
建っている事だけは確認できました。でも、重いコンクリートの門柱が
ごっそり倒れていると聞き、揺れの凄まじさを知りました。
全壊ではないけれど危ないようだ、心配で仕方なかったと思います。
今、Hちゃんは元気に成長して、成人式を迎えました。
彼女の年で震災からの年数を知り、また、震災何年という報道から
Hちゃんの年を思い出します。
直接の被災者ではありませんが、埼玉から出来た家族それぞれの復興支援を
また、お話したいと思います。
ご訪問ありがとうございました。 ごきげんよう