私は叔父、新田まさし(漢字は分かりません)に会ったことがありません。
あの戦争で亡くなりました。生きていたら90歳ぐらいでしょうか。
竹中工務店で建築の仕事をしていたそうです。
招集され、外地に赴き、戦って敗れ、捕虜としてシベリアに送られました。
シベリア抑留です。
極寒の地での過酷な労働、劣悪な生活環境他で病気になり亡くなりました。
戦病死です。
遺骨どころか髪の毛一本日本には返されませんでした。
父親が日曜日の礼拝説教をしていた時に、電報が届いたそうです。
でも、母親はギュッと握りしめたまま悲しみを押し殺して
すべての仕事が終わり、牧師館に帰ってから夫に告げたそうです。
「まさしが亡くなりました。」
それだけが叔父の最期でした。誰かに看取られたのでしょうか。
でも、その人も亡くなっているかも知れません。
戦争さえなければ優秀な建築技師として活躍していていた事と思います。
母の兄弟5人の中でたった一人戦争の犠牲になりました。
命が助かった残りの4人もそれぞれに辛い体験をして、一生消えることのない
心の傷を負った事と思います。
このブログを読んでくださっている方々、将来のある若者、いっぱい夢があったに違いない若者たちの
事を少しでも悼んで頂ければ、と思います。
ご訪問ありがとうございました。
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