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初めてSRKWブッダのホームページを見る方などを想定し、ブログを初め、その全ては、令和2年1月2日から9日にかけて書いた5回分となります。(^^)
1回目
https://blog.goo.ne.jp/kassii/e/75047f9bda8af97e353ade6cdc27745b
その上で、それ以外のブログに興味をお持ちいただき御覧いただければ、幸いです。m(_ _)m
初めてSRKWブッダのホームページを見る方などを想定し、ブログを初め、その全ては、令和2年1月2日から9日にかけて書いた5回分となります。(^^)
1回目
https://blog.goo.ne.jp/kassii/e/75047f9bda8af97e353ade6cdc27745b
その上で、それ以外のブログに興味をお持ちいただき御覧いただければ、幸いです。m(_ _)m
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前回、SRKWブッダのホームページを見るルートを提案しましたが、実際に、ホームページを少しずつ見ていきたいと思います。
提案したルートは正法からでしたが、貼り付けたホームページの画像を見ると、正法の上、最終更新日の下にSRKWブッダが最も言いたいことと思われる文章が、書いてあります。
たくさんの理法、感興句、ツイッターなどなど、それらは全てこの最も言いたいことのためにあると、私は考えています。
前回、SRKWブッダのホームページを見るルートを提案しましたが、実際に、ホームページを少しずつ見ていきたいと思います。
提案したルートは正法からでしたが、貼り付けたホームページの画像を見ると、正法の上、最終更新日の下にSRKWブッダが最も言いたいことと思われる文章が、書いてあります。
たくさんの理法、感興句、ツイッターなどなど、それらは全てこの最も言いたいことのためにあると、私は考えています。
それは
覚りの境地は、虚妄ならざる安らぎである。この境地に至ったならば、一切と争うことがない。
この境地に至ったならば、憂いがない。こころある人は、他ならぬ自らによって道を見いだし、歩み行きて、因縁を生じ、この不滅のニルヴァーナに到達せよ。
です。
覚りの境地は、虚妄ならざる安らぎである。この境地に至ったならば、一切と争うことがない。
この境地に至ったならば、憂いがない。こころある人は、他ならぬ自らによって道を見いだし、歩み行きて、因縁を生じ、この不滅のニルヴァーナに到達せよ。
です。
(ニルヴァーナとは、覚った人の境地、つまり、ブッダの境地ということです。)
この短い文章をそのままお読みいただき、皆さんが皆さんの思うように感じ取られるのが一番良く、そこに何か言うことはどうかなと思いつつ、少しだけ書かせていただきます。
この文章で、SRKWブッダは、
□覚りの境地はどのようなものであるか
□覚りの境地にいまだ至っていない人へのメッセージ
これらを、できるだけ簡潔に、しかし、余すところなく、言葉を慎重に選び表現されているものと、私は考えています。
さて、話しは少しそれて、
「この不滅のニルヴァーナに到達せよ。 」
とあることについてですが、
実際に、昨年(令和元年)、SRKWブッダに続いて新たに4人の方がブッダとなられました。
この4人のブッダですが、SRKWブッダに関係のある方々がブッダとなったものの、SRKWブッダが、
「貴方はブッダとなった。私が認定しよう。」
「はは〜! ありがたく賜ります。」
(私の妄想です。)
となったのではなく、
4人のブッダがそれぞれ各自、別の時期に
「自らがブッダとなった。」
という認識を得たということです。(「解脱知見がある」という。)
この4方ですが、
法津如来(のりつ)
法捗如来(ほうちょく)
法風如来(のりかぜ)
石法如来(せきほう)
です。
皆さん、それぞれ、それまでの仏道の歩みは異なっておられ、そこに確たる、こうでなければならないというものは、見当たらない(定まった修行法がない。)ようです。
また、ブッダになる前のそれまでの生き方も当然全く異なり、既にブログで理法を説かれている如来もいれば、そうでない方もいて、それぞれ、その如来によって異なるようです。