仏道

SRKWブッダによる内容を主になぞるものとなります。

(3)HP(善知識)

2020-01-15 12:35:27 | 日記
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
初めてSRKWブッダのホームページを見る方などを想定し、ブログを初め、その全ては、令和2年1月2日から9日にかけて書いた5回分となります。(^^)
1回目
https://blog.goo.ne.jp/kassii/e/75047f9bda8af97e353ade6cdc27745b
その上で、それ以外のブログに興味をお持ちいただき御覧いただければ、幸いです。m(_ _)m
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今回は、ホームページの善知識を見てみたいと思います。

善知識はホームページトップの正法の一つ右のアイコンを押すと出てきます。

ここに、ホームページの内容をそのまま掲載します。

⭕ホームページの引用始まり⭕

【善知識】
 この世には、世俗の中にありながら、ときとして<真理の言葉>を発する人が現れる。この<真理の言葉>は、それを聞いて、その意味するところを知る人が あるならば、かれをして不滅の安穏(=ニルヴァーナ)へといざない、導き、至らしめる働きを為す。世にも不思議な、稀有なる働きゆえに、この<真理の言葉>を<善知識>と名づけ、同時にその言葉を発したかれ自身も善知識と呼ぶのである。

 善知識は、他の人に好まれる一言を与えようと思って計らう人ではない。なぜならば、善知識は、他の人に期せずして善なる道(=覚りの境地に通じる道)を 与えてしまう人のことであるからである。そして、この善知識が発する<真理の言葉>、すなわち<善知識>それ自体も決して特別な言葉では無く、ごく平易な言葉として語られるものであり、何気ない一言として発せられるのである。したがって、<善知識>は、たといそれがまさしく発せられて、誰かがそれをまさしく聞き及んだとしても、かれに直ちに感激を与えるような言葉では無い。しかしながら、<善知識>は、「それ(=真如,=覚りの境地,=覚者)」の実在をこころに知っている信仰篤き人々に、それがそうだと知られることになるのである。なぜならば、<善知識>は、かれらにこの世における最も美味なる味わいをもたらすからである。<善知識>は、それが発せられた局面に立ち会ったすべての人々を誰一人として悲しませることの無い言葉として特徴づけられ、誰ひとりとして後悔の念を生じることの無い完全な結末をもたらす。けだし、<善知識>こそ世における法(ダルマ)の現れに他ならないからである。

 ところで、善知識は覚りの境地に至ることを目指す人が自分自身で見いださなくてはならない。他の誰かが、「あの人がそうですよ」と指し示してくれる訳で はないからである。しかしながら、もし人が、心構え正しく、よく気をつけて、善なるものの真実を知ろうと熱望するならば、かれはついにその人(=善知識) を見いだすであろう。

 こころある人は、善知識はまさしくこのようにして見いだされるのであると領解せよ。

⭕ホームページの引用終わり⭕


いかがでしたでしょうか?


やはり、正法と同じで「難しい」、「さっぱり分からない」という感想があってもいいのかなと思います。

私なりに要約すると、次のようになります。(しかし、要約は要約です。本来の書き手であるSRKWブッダの意図から、ずれる恐れがあることも含み置いた上で、お読みいただき、再度、元の記述を御覧いただきますようお願いいたします。)

【要約】
この世には、時として、<真理の言葉>(善知識という。)を発する人(やはり、善知識という。)が現れる。それを聞いて、意味するところを知る人はブッダとなる。
 善知識は、それ自体特別な言葉では無く、ごく平易な言葉であり、何げない一言である。
善知識は発せられた局面に立ち会ったすべての人々を誰一人として悲しませることの無い言葉であり、法(ダルマ)の現れに他ならない。

かなりはしょりました


この世には時として、善知識を発する人が現れる。というのは、人が突然、無から現出するという意味ではなく、

ダルマの現れである善知識を時として、口から言葉に出す人がいるという意味です。

さて、前回の正法についてのブログで、このように書きました。

→正法を正しく理解すると覚りの境地を体現(ブッダになる。)することとなると書いてあることが理解できます。


この正法と善知識はどういう関係なのでしょうか。

ツイッター(ツイログ)で、「正法」、「善知識」をキーワードにして検索すると次のようなツイートがありましたので、御参考ください。

【ツイッター】
法の句(善知識)の出現を聞いて、修行者は覚るのではない。法の句(善知識)が、まさに正法通りに世に出現する様を見て、正法への信が確立され、偉大な智慧の確かな存在を覚智したとき、覚りの機縁を生じる。


ところで、前回と今回、ホームページを見てみると、何て難しいのでしょうか、という感想があるかもしれません。

もしかして、

「仏道は難しいのか?」

「SRKWブッダがわざと難解にして、理解しないようにしているのでは?」

などなど

これから見ていくホームページの内容ですが、実際には、難しいものもあれば、平易なものもあります。

また、ツイッター(ツイログ)を見ると、かなり分かりやすい表現を採用していることが理解できると思います。(個々の単語は知らないものも出てくるかもしれませんが。)

【ツイッター(ツイログ)例】

このように、ツイッターとホームページで表現の仕方が異なっていること。また、一番最初のブログで紹介したように、ブッダとは「やさしさの究極を体現した人格完成者」とあるように、やさしいということなのであれば、

わざと理解しないようにしていることはないに違いありません。

ホームページは、覚りについての情報を体系的に構築するため、このような表現方法を取っているものと推定されます。


そのため、

ホームページの記述が難しいと感じても何ら問題なく、

分かる範囲で読み進めればいいと思います。

また、仏道が難解な文章を理解し、記憶する必要があるのかということについては、次のようなお話しがあります。

理法005-関連するもの
チューラ・パンタカ


(2)HP(正法)

2020-01-13 04:21:53 | 日記
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
初めてSRKWブッダのホームページを見る方などを想定し、ブログを初め、その全ては、令和2年1月2日から9日にかけて書いた5回分となります。(^^)
1回目
https://blog.goo.ne.jp/kassii/e/75047f9bda8af97e353ade6cdc27745b
その上で、それ以外のブログに興味をお持ちいただき御覧いただければ、幸いです。m(_ _)m
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今回は、ホームページの正法を見てみたいと思います。

正法はホームページトップの四角囲いの中、左上のアイコンを押すと出てきます。

ここに、ホームページの内容をそのまま掲載します。

⭕ホームページの引用始まり⭕

【正法】
 正法とは、法(ダルマ)についてそれ以外には解釈しようのない言葉で綴った最も簡潔な文章のことである。それゆえに、正法は、それを真実に理解することができたならば、かれをして直ちに覚りの境地に至らしめるという働きをもっている。つまり、人は聞き知った正法によって覚りの境地に至るのである。以下 に、いくつかの代表的経典に記されている正法を列記する。これらのどれによってでも、人は覚りに至り得る。

● 諸仏世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現したまう(法華経) → 方便品第二
   〔諸佛世尊唯以一大事因縁故出現於世〕

● まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし(金剛般若経)
   〔応無所住而生其心〕

● 衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる(維摩経) →  詳細は「直き心」

● 真実の教え(正法)をしっかりと身につけること自体が、真実の教えである(勝鬘経) → 詳細は「六波羅 蜜」

● 諸々の尊敬さるべき人が、安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。(スッタニパータ)

● 尊敬さるべき真人たちに対する信仰を財とし、安らぎに至るための教えを聞こうと願うならば、聡明な人は(ついには)いろいろのことについて明らかな智慧を得る。(ウダーナヴァルガ)

● ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。 ── このように理解した者の形態 (rupa)は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。(スッタニパータ)

● ひとは、恐怖のゆえに、優れた人のことばを恕す。ひとは、争いをしたくないから、同輩のことばを恕す。しかし自分よりも劣った者のことばを恕す人がおれば、それを、聖者らはこの世における〈最上の忍耐〉と呼ぶ。(ウダーナヴァルガ)

● ── そなたらのどの詩も、すべて、順次みごとにとなえられた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。信仰をもって(与えること)が、実にいろいろと讃めたたえられた。しかし、(与えること)よりも「法の句」のほうがすぐれている。 昔の善き人々、それよりも昔の善き人々も、智慧をそなえて、ニルヴァーナにおもむいた と。(サンユッタ・ニカーヤ1)

● ── そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。ただ、善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れると。(サンユッタ・ニカーヤ1)

● ── 無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものである。(スッタニパータ)

● 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。 ── このことわりを他の人々は知っていない。 しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。 ── (ダンマパダ)

-+-
【六祖慧能による正法(六祖壇教から)】
 中国の禅宗の六祖慧能は、間違いなくブッダである。 以下に、六祖慧能が説く正法を記す。
  → 六祖慧能

【補足説明】
 覚りの境地は、いかなる哲学的見解の帰結でも無く、また人類が作為したいかなる宗教的教義に基づく規範行動でもない。もちろん、覚りの境地は本人の単なる思い込みでは無いし、またいろいろな精神障害の結果によってもたらされる病的状態を指すのでもない。なんとなれば、正法の正しい理解によって自らに体現される覚りの境地は、すでにそれを為し遂げた人にとって如実に体験される不滅のやすらぎであり、虚妄ならざるものであるからである。この円かなやすらぎは、一切の煩いと苦悩とを離れている。この円かなやすらぎは、一瞬たりともとぎれることなく体現されるものである。この円かなやすらぎは、いかなる継続的努力(いわゆる悟後の修行)をも要せずに不断に持続するものである。この円かなやすらぎは、無上のやすらぎであると覚知されるものである。

[真理]
 正法の存在、出現、およびその利益(りやく)について述べた真実の言葉が真理である。
  → 真理

[修行法]
 人々の意に反することであろうが、覚りに至る固定的な修行法などは実は何一つ存在していない。しかしながら、観を為し、観の完成を見ることは人の覚りに 役立つものであることは確かである。
  → 観
  → (久松真一氏の)基本的公案
  → (SRKWブッダの)公案: 一円の公案,(SRKWブッダ版) 黒い鏡の公案
  → (準)公案: 預流果

⭕ホームページの引用終わり⭕


いかがでしたでしょうか。
素晴らしいですね!!


さすが正法!!!



とは、難しくて、ならないのではないでしょうか。

では、どんなことが書いてあるのか少しだけ、部分的に見てみたいと思います。

まず、冒頭の部分、それと最後の方にある「補足説明」をもう一度、見てみると、

⭕ホームページの引用始まり⭕
 正法とは、法(ダルマ)についてそれ以外には解釈しようのない言葉で綴った最も簡潔な文章のことである。それゆえに、正法は、それを真実に理解することができたならば、かれをして直ちに覚りの境地に至らしめるという働きをもっている。つまり、人は聞き知った正法によって覚りの境地に至るのである。以下 に、いくつかの代表的経典に記されている正法を列記する。これらのどれによってでも、人は覚りに至り得る。

【補足説明】
 覚りの境地は、いかなる哲学的見解の帰結でも無く、また人類が作為したいかなる宗教的教義に基づく規範行動でもない。もちろん、覚りの境地は本人の単なる思い込みでは無いし、またいろいろな精神障害の結果によってもたらされる病的状態を指すのでもない。なんとなれば、正法の正しい理解によって自らに体現される覚りの境地は、すでにそれを為し遂げた人にとって如実に体験される不滅のやすらぎであり、虚妄ならざるものであるからである。この円かなやすらぎは、一切の煩いと苦悩とを離れている。この円かなやすらぎは、一瞬たりともとぎれることなく体現されるものである。この円かなやすらぎは、いかなる継続的努力(いわゆる悟後の修行)をも要せずに不断に持続するものである。この円かなやすらぎは、無上のやすらぎであると覚知されるものである。

⭕ホームページの引用終わり⭕

この説明から、正法を正しく理解すると覚りの境地を体現(ブッダになる。)することとなると書いてあることが理解できます。

大変重要なことです。

続いて、ホームページ冒頭の説明の次に、実際に列挙されている正法を見てみましょう。上から3つ再掲します。

● 諸仏世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現したまう(法華経) → 方便品第二
   〔諸佛世尊唯以一大事因縁故出現於世〕

● まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし(金剛般若経)
   〔応無所住而生其心〕

● 衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる(維摩経) →  詳細は「直き心」

正法は大事なのだろうと思って、その具体的な正法を見ても何が大事なのかよく分からない、という感じがします。

ただ、よく考えると、正法を正しく理解すると覚りの境地を体現し、ブッダとなるのですから、今の時点で正法を、理解しているのであれば、その時点で既にブッダになっています。

つまり、正法がよく分からない、理解できない、ということは特段問題ではない、と考えます。

でも、正法を知っておかないと、正法を正しく理解する機会はやってきません。そのため、正法のことを心に少し留めることが重要なことではないかと私は考えます。

勿論、慧能のように、正法を聞き、直ちにブッダになる方もいらっしゃるので、今ブッダになられている方もいらっしゃるかもしれませんが。


さて、話しは少しそれますが、実際のホームページ1つ目の正法の所に、「方便品第二」の文字にリンクが貼ってあります。そこに飛んで見てみましょう。すると、法華経の文章が掲載されています。が、その量がめちゃくちゃ多いのです。

しかし、実際の法華経という経典はもっともっと多いのです。では、このように文字が多い経典を見てどう思ったらいいのでしょうか。

昨年新たにブッダになられた方のうち、一人は、ブッダとなる前に、SRKWブッダのホームページに書いてある理法を読んでも難しくて、よく分からなかったとのことでした。また、慧能は正法を聞いてブッダとなったこと、これらから考えると、大事なところさえ押さえておけば良いような感じもします。

でも、もしそうであるならば、そもそもSRKWブッダがホームページにおいて、長い文章を掲載する意味が無く、そもそも法華経を書いたブッダが意味のないことをしていたこととなります。

そんなことはないに違いありません。これらから類推すると、人それぞれ、道の歩みが異なり、読みたい方は読んで、読まない方は読まない。それで、いいのかなと思います。人によっては、法華経を読むことによって道を確かにし、歩む方もいる、ということかと思います。

正法お手上げという方も、法華経が長いと感じた方でも、それはきっと仏道に適性がないのでもなく、恥ずかしいことでもなく、ひとまず置いておいて、他のものを見てみればいいかなと思います。

もちろん、それらを追求して行きたい方はそれで間違いではなく追求すればいいのかなと。

ただ、ホームページの冒頭に掲載されている
「こころある人は、他ならぬ自らによって道を見いだし、歩み行きて、因縁を生じ、この不滅のニルヴァーナに到達せよ。」
を受け、自分の歩む道の行きたい方向がぶれなければ、何も気にしなくて良いのだと思います。

【参考】
六祖壇経
(受法)
五祖は深夜になって私を室内に呼ばれ、袈裟で遮り囲み、人に見せないようにして、私のために『金剛経』をお説きになられた。ちょうど「応無処住而生其心」というところへきたとき、私は言下に悟って、あらゆる存在は自己に生まれつき具わっている本性と別なものでないことに気がついた。

(法華の持者法達の大悟)
「法達よ、〜略〜、私は文字を知らぬゆえ、君が経典を持って来て一通り誦してみてくれ、私は聞けばすぐ分かる。」
「〜略〜、いま聞いた君の読経のなかに、『諸仏も釈迦牟尼も、ただ一大事のための因縁ゆえに、この世に出でたもうた』と、正しい教えは十六字ある。〜略〜」

(1)HP

2020-01-10 04:21:06 | 日記
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
初めてSRKWブッダのホームページを見る方などを想定し、ブログを初め、その全ては、令和2年1月2日から9日にかけて書いた5回分となります。(^^)
1回目
https://blog.goo.ne.jp/kassii/e/75047f9bda8af97e353ade6cdc27745b
その上で、それ以外のブログに興味をお持ちいただき御覧いただければ、幸いです。m(_ _)m
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

前回、SRKWブッダのホームページを見るルートを提案しましたが、実際に、ホームページを少しずつ見ていきたいと思います。

提案したルートは正法からでしたが、貼り付けたホームページの画像を見ると、正法の上、最終更新日の下にSRKWブッダが最も言いたいことと思われる文章が、書いてあります。

たくさんの理法、感興句、ツイッターなどなど、それらは全てこの最も言いたいことのためにあると、私は考えています。

それは


覚りの境地は、虚妄ならざる安らぎである。この境地に至ったならば、一切と争うことがない。
 この境地に至ったならば、憂いがない。こころある人は、他ならぬ自らによって道を見いだし、歩み行きて、因縁を生じ、この不滅のニルヴァーナに到達せよ。       

です。
(ニルヴァーナとは、覚った人の境地、つまり、ブッダの境地ということです。)

この短い文章をそのままお読みいただき、皆さんが皆さんの思うように感じ取られるのが一番良く、そこに何か言うことはどうかなと思いつつ、少しだけ書かせていただきます。

この文章で、SRKWブッダは、

□覚りの境地はどのようなものであるか
□覚りの境地にいまだ至っていない人へのメッセージ

これらを、できるだけ簡潔に、しかし、余すところなく、言葉を慎重に選び表現されているものと、私は考えています。


さて、話しは少しそれて、
「この不滅のニルヴァーナに到達せよ。 」
とあることについてですが、

実際に、昨年(令和元年)、SRKWブッダに続いて新たに4人の方がブッダとなられました

この4人のブッダですが、SRKWブッダに関係のある方々がブッダとなったものの、SRKWブッダが、
「貴方はブッダとなった。私が認定しよう。」
「はは〜! ありがたく賜ります。」
(私の妄想です。)

となったのではなく、

4人のブッダがそれぞれ各自、別の時期に
自らがブッダとなった。
という認識を得たということです。(「解脱知見がある」という。)

この4方ですが、

法津如来(のりつ)
法捗如来(ほうちょく)
法風如来(のりかぜ)
石法如来(せきほう)

です。

皆さん、それぞれ、それまでの仏道の歩みは異なっておられ、そこに確たる、こうでなければならないというものは、見当たらない(定まった修行法がない。)ようです。

また、ブッダになる前のそれまでの生き方も当然全く異なり、既にブログで理法を説かれている如来もいれば、そうでない方もいて、それぞれ、その如来によって異なるようです。


5 ホームページの見方

2020-01-09 03:44:08 | 日記
前回のブログで書いたとおり、今回のブログでは、SRKWブッダのホームページにおける、私のおすすめの見る順番を紹介します。

まず、SRKWブッダのホームページアドレスは次のとおりです。


そして、おすすめの見る順番(ルート)は、


正法 → 善知識 → 素質 → 理法(1-30~40くらいを順番に)


以上です。

このあとは、思ったままに、思ったように御覧になられればと思います。

ここから、更に理法や感興句を御覧になったり、書籍を見たり、他の仏典を見たり、思うとおりになさるのがいいかと思います。

理法がたくさんある中、どうして1-30~40かというと、誰かが、他の人に何かを伝えようとしたとき、真っ先に大事なことを書いていくからです。

このことは、SRKWブッダにおいても同じということかと思います。

ホームページの理法は、時間をかけて、順番に今の件数になってきているようです。最初に書かれたのは1番ということです。

ちょっとだけ、実際のホームページの画面を見てみましょう。このブログはスマホで作成しているため、ホームページ画面がスマホに表示されるものが基準となります。



おすすめのルートは、矢印で示した四角囲いの中にあります。左上から右に向かって順番に、正法、善知識、素質となっています。2段目の一番左が理法となります。

さて、ホームページの見方ということで、紹介させていただきましたが、ここまでの5回のブログが、このブログでお伝えしたいことの全てとなります。

ここから、同じ基準でブログを増やし続けると、情報量が増えてしまい、お伝えしたいことが伝わらないという本末転倒なこととなります。

そのため、これ以降のブログは、サブ的な位置付けということで、ご理解ください。

kassii   m(_ _)m

4 ホームページなどについて

2020-01-08 05:08:35 | 日記
SRKWブッダが、ネット上で活動し始めてから相当の年月が経過しています。

活動の初期の頃からその様子を見ていれば、少しずつ変化する状況を見ながら、活動の全容が頭の中に入っていく(入っているということが、覚りへのアドバンテージとなるわけではありませんが。)ことになります。

しかし、

いきなり現在(令和2年1月現在)の状況を見ると、余りにもその範囲が広範なことから、その膨大さに面食らって、それだけでも、臆してしまうかもしれません。


実際、自分が始めてホームページ「覚りの境地」を見たときも既にかなりのボリュームがあり、理法は相当の件数ありました。そのため、それだけで、面食らいました。


現在(令和2年1月時点)、SRKWブッダによるものについて見てみると、次のような状況となっています。

🔵ホームページの理法 336件(ほとんど更新されていません。)

🔵ホームページの感興句 131件(ほとんど更新されていません。)

🔵電子書籍 11冊(令和元年12月にアマゾンから新刊がでました。この新刊のみ紙での出版もされています。)

🔵ツイッター 4万弱(現在も更新中です。)

🔵過去に書き込んだネット上掲示板の書き込み

などなど…



これを見ただけで、興味を持った方から

「うわっ! こんなに!」

「どこから手を着けたらいいんだ〜!」

「いや、無理でしょ!」


などと感想が漏れてきそうです。



この膨大な情報量に対し、どうしたら良いのか冷たく言ってしまえば、「どこからでも、どのようにでも、思ったところから、思ったようにやればいい」となってしまいます。


さらに、


実際に仏道を歩もうとし、他の情報に興味を持つと、この他に過去のブッダが著した、仏典が大量にあります。

🔴国立国会図書館オンライン「仏教」で検索
10万件くらいヒットします。(ブッダによる仏典は一部(でも大量ですが。)で、関連書籍などが含まれ、検索の仕方ですが。)

SRKWブッダがブッダとなって20年くらいでこの量ですから、過去のブッダによる仏典などを合わせるととてつもなく膨大な量となります。

そこで、

次回のブログで、SRKWブッダのホームページに限って、このように見てみるといいかもというルートを書きたいと思います。

もちろん、自らの思いに従い、思ったように情報に触れても全く問題ありません。どのようになさるとしても、ブッダになることが目的なので…。