毎週月曜更新とうたいつつ、今日が2週間ぶりな気がするのは...
きっと気のせいですね。
今回は長年ずっと温めてきた「うちの親方」について書いていきたいと思います。
親方ですから
もちろん型屋2110那須恵子の実父ではありません!
実父は那須実という那須家に婿入りしたサッカー狂いのじいさんです。
(今回はどうでもいい。)
親方は生田嘉範さん。74歳。
清貧という言葉が相応しい
多くを求めず
相手を思いやり
内省を大切にする
穏やかな人柄の男性です。
両親より5つ年上ですが、生田さんが年齢以上に老けて見える事もあってか父親のようにというよりはおじいちゃんのように感じてます(活字にすると無礼度が増すなぁ。ごめんなさい)
お子さんが独立され、ひたすら彫師として型を彫り、自分時間で過ごし、庭を手入れし、気ままな一人暮らしをエンジョイしていたそんな
2010年の9月
彼に襲いかかる魔の手が....!!!
仕事相手の経営者が連れてきた型紙を彫りたいとのたまう一人のニート若者
那須(現:型屋2110)の襲来です。
なんで型紙を彫りたいのか?
趣味の延長?
仕事?
経験値は?
てか誰?
?????
全く見ず知らずの若人ではありましたが、以前からこの経営者から話には聞いており、遠回しに型彫りの指導を頼まれている?と感じた彼はこの日までに作業場を模様替えを敢行。(このあたり本当に生田さんらしい😌)
新たに作業台と照明を取り付け、本人の訪問を待受けました。
型彫りの現場をまずは見て、本当にコレを志すべきか、その若人に検討してもらはなくては。
との考えだったようです。
さて一方。
そんな生田氏の思いなどつゆ知らず、その年の春に伊勢型紙の現物を見に、住まう岐阜県岐阜市から鈴鹿市を訪れて依頼、目眩がしそうな精緻な彫りの型紙に衝撃をうけ
伊勢型紙に対し、「これを次に始める仕事としてものにするんだ!」と異常な執着を見せるニート那須さん。
東京や京都の型彫り職人さんの話を聞きに行ったり、その職人さんの指導で型彫り体験をしたり、
代表的な型染めである手ぬぐいを自作できる東京和晒さんの講座に参加したり、
ますます型紙に対して思いが募る日々。
しかし、出会ったどの職人さんも関連施設でも
型彫り職人の募集は無い、私は弟子をとってない
と、いい話はありません。
継承されて続く工芸である伊勢型紙を独学で始めるのは難しい。
これはどうしても誰かに習わねばと修行が始まらない!
と焦るばかり。
唯一、文化庁の事業として鈴鹿市が募集する伊勢型紙技術保存会は不定期で研修生を募集するとの事で、この可能性にかけるためにも鈴鹿市に引っ越しておかねばな...と考えている状態でした。
そんな中、那須さんが型紙に関する自主的な活動を事あるごとに報告している相手がいました。
伊勢型紙の材料である型地紙を作る会社大杉型紙工業の社長さんでした。
社長さんとは春に型紙を見学しに来た際、数少ない伊勢型紙の販売店である「伊勢型紙おおすぎ」でお会いし、初対面ながら何時間も話を聞いてくれました。
それ以来、伊勢型紙に対する私の思いや報告などをしつこく手紙や電話でやり取りさせて頂いていました。
恥ずかしながらなんの経験値もないくせに、お店に対してこんな型紙の商品や展開ができるのではないかと言う提案書まで書いて見てもらったこともあります。今思えば本当に厚かましくて恥ずかしい...😅
というのも、
伊勢型紙の関係の方々が需要の低迷や業界の様々な問題で常にマイナスが思考回路しか持てずにいるところに、
私がこんなにも感動した型紙が可能性がないわけがない。なんとかプラスに考えていただこうと、なんとか自分の付け入る隙を作ろう(笑)と考えた末の行動でした😅
そんなこんなで遠隔でのやり取り、関連イベントに顔を出すなどしつつ(職人志望アピールのつもり)様子を伺っていた状態でした。
そしてどこで話を聞いても職人さんたちは皆一様に
彫師になりたいんなら
まずは小刀研ぎやな。
研ぎの修業で1年や2年はかかるんや。
というばかり。
修業を始めたいのにはじめ方が分からない。
教えてくれる人もいない。
もー
もー
限界だーーー!!
この時の私は
エンジンは最高にふかした状態で必死にブレーキを踏みしめ、走り出す先を探していました。
(ちなみに目は血走っている)
2009年の秋にサラリーマンをやめて一年が経とうとしていた頃
ついにそのタガが外れる時が
来てしまったのです。
ついに始まるニートの暴走!!
気ままな生田さんのスローライフは終わってしまうのか??
今夜はこの辺で。
親方の紹介をしたかったのに話が逸れてますが、まぁそれもよし。
では皆さま良い夜を〜(^o^)/