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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第24章)

2022-09-04 15:19:01 | 日記
第二十四章 肉身のカルワリオ

〈病気の始め〉

コンソラータは背が高く丈夫そうで、熱心に働いたので、他の姉妹たちは、コンソラータを、一番健康な修道女だとみていた。しかし実際は、心臓が弱く、それがだんだん悪化していった。それにもかかわらず、命ぜられた仕事を果たすほかに、願われたことは全然断らず、昼食後の一時間の休憩時間にも針仕事や修院の通信の仕事をした。気候がたいへん蒸し暑く、非常に疲れていても、居眠りと戦い、またきびしい寒さにもストーブなしで過ごし、夜は夜でおそくまで手紙や日記を書き、心臓病なのに始終立ったままで──どうしてそんなに多くの仕事ができたのか、ほんとうに不思議である。

寝床は固かった。忙しくない時でも、寝る時間を六時間に減らしたが、その六時間の中、一時間は毎夜半、朝課のため聖堂で祈った。そのうえ、病気の関係で多くて続いて二時間しか眠れなかった。しかし会則をそのまま忠実に守り、五時には起きてだれよりも早く聖堂へ行った。

じょうずに隠してはいたがコンソラータはどんどんやせていって、一九三六年のはじめまでに目方が十キロ減った。だが、顔色がよいため、だれもコンソラータの実際の健康状態に気づかなかった。

文字どおりにコンソラータはイエズスと霊魂のために自分を使い尽くしたのである一九三九年七月モリオンドの修道院にひっこした時、コンソラータの健康は、非常に弱くなっていたが、少しも自分を大切にせず、修院と修道女たちのためにいつでも一生懸命働いた。農家の建物を観想修道院に直すため仕事は多かったが、全修道女十四人のうち、老衰者やからだの弱い者が多くて、コンソラータを含めた四人しか働けなかった。だからその四人は非常に忙しかった。

コンソラータはすぐ台所の係となったが、地下室に台所があったため、不便で苦労が多かった。そのうえ、靴屋、秘書の仕事もあった。コンソラータはできるだけ人の手を借りず、すべて自分でやるようにし、修院の一番下の者として、労働、ことに重労働を好んでやり、毎日自己献身して、どんなに疲れ、からだが衰弱しても、上長や姉妹たちのさまざまな願いに、いつもにこにこと愉快な顔で従った。

一九四一年六月十三日指導司祭に報告した。「自分を人と物から離脱させることは自己放棄に比べたらずっとやさしく思われます。私は、神と人から思うままに踏みつけられることができることを、そしてそれを私の中の自分が反対しないようになることを強く望んでいます。」

一九四一年八月、コンソラータはまた新しく三年間台所の係に任命された。配給はますます減り、乏しい食糧を少しも腐らせずに、じょうずに皆に足らせるようにすることで仕事はますます増えた。もう休憩時間も全然なく、起きてから寝るまで働き続けで、自分の個室へほんの一分間でも行くことができなかった。

観想修道院では「やみ」で買うことも、物々交換もできなかったから、パンが全然不足していた。神のみ摂理はよく助けてくださったが、修院のみなが毎日小斎大斎以上に大きな犠牲を払わねばならなかった。そして一般の健康状態は目だって悪化した。特にコンソラータは一番苦しかった。姉妹たち、ことに病人のために、コンソラータはいつも空腹に耐え、多忙と、のどのかわきの責め苦のうえに、絶えざる空腹とふらふらすることとを、七年間もがんばってがまんした。コンソラータは朝食を食べなかったばかりではなく、乏しい自分の分までもたびたび姉珠たちに譲った。日常生活に自然に起こってきたこの苦業生活は、コンソラータの望むところであり、甘んじてこの犠牲の機会を受け、有効に使って、どんどん献身したのである。いつもまず姉妹たちに配ったので、コンソラータのためには、ほんの少し残るか又は何も残らぬことが多かったが、自分より必要とする人を見つけては、この姉妹、あの姉妹と皆に食べさせて、自分のことは全然考えなかった。

けれども心の中では激しく戦ったのである。一九四二年七月二十一日書いている。「あすからモリオンドでの第四年目が始まります。『モリオンドであなたは英雄的であってほしい!』とのイエズスの要求を思い出します。今まで私はどうもそうでありませんでしたので、今から始めます。でも心の中にいつも妨げがあります。お腹がすいている時、自分のことを考えて、いくらか楽になろうとして黙々と苦しもうとしないのです。

昨夜私たちは下水を汲み出して十時ごろやっと仕事が終わりました。真夜中あんまりお腹がすいたで、前もって朝飯をいただこうと思って、預った巻きパンの半分を食べました。けれどもけさ台所であまりふらふらするので昼まで全然食べずにがまんすることができないと考え、塩を入れてスープの味をみる時、一皿の半分ぐらいいただいてしまいました。そしてそれを見ていた姉妹に『朝飯がまだなのです』と言いました。これは欠点ではないにしても、もういくらも生きられない私にとっては、雅量(寛大さ)に富んでいたとはいいがたいことです。イエズスよ、がまんできますように助けてください! またこの飢えの試練を私には少しも緩和せず、姉妹たちのためにはあらゆる方法で緩和してくださるように、イエズスよ、助けてください!」

コンソラータはどこまでも負けぎらいで、生来の弱さにも、悪魔にも絶対負けまいとし、自己愛の最後の残滓(ざんし:残りかす)まで全部なくしたいと思った。

健康がどんどん悪化してゆく状態で、なおこれほどのがまんと自己放棄を毎日続けたとは英雄的というほかはない。

砂漠でイエズスに食べさせようと誘惑したサタンは、絶えず飢えのために苦しんでいるコンソラータをもどんどん攻撃して、「残っているスープはあなたのものだ!」とか「残ったポテトはあなたのものだ! 朝飯を食べなかったから!」といって誘惑した。するとコンソラータは大急ぎで食堂を回って残ったスープを全部分配し、またすぐにポテトは、畑で働いている姉妹たちの引き出しに隠した。指導司祭に報告している。

「悪魔が、『あなたは他の姉妹たちよりたくさん食べなければいけないよ。』と言いました。その時、みなのため完全に同じ分をつくり、自由に取ってもらい、自分の分は人にあげたり、一番小さな分を取ったりします。それによって心は平安と愛を味わいます。しかし、もし悪魔に負けたらたいへんです。私の愛はまだ足りません。私の弱い霊魂の状態をよく知るために、これを書きました。」

一九四二年十月五日書いた。
 「昨夜、悪魔に激しく攻撃されました。自分に勝つため誓約を立てて次のことを決心しました。私の食物は愛の祈りです。だから、食べたいという貪食の心と、生まれつき持っている自己心を満足させたい傾きに対して、断固として反対し、すべてを拒絶して決して満足させません。一度もどんな事情があっても食事の時以外飲食しないこと、ぶどうのたった一粒さえも絶対に。姉妹たちは私にとってイエズスだから、彼らを私よりも大切にすること、いつも、より良い分を上げて。だから私は彼らより絶対多く食べない。常により少なく! それをみな誓約を立てながら」

「きょう昼食の時、ある姉妹は私のためにとうもろこしのかゆを少し残してくださいました。それで食事の始めから終わりまでそれを食べないで甘んじて空腹に耐えるため戦いました。今死に臨んでいるのですから、私の克己を英雄的にまで高めなければなりません。恵みによってそのことを悟ってきました。自分を少しもかわいそうに思わないこと、むしろどんなに最小のことの中にも神のおぼしめしを認めること! 自分のことを忘れ、全然かまわず、自分について少しも心配しないこと! 使い尽くされ、なくされ、自分を捨て去られても、それに全然反対しないこと。」

このように永遠の大司祭はコンソラータの心に働き、コンソラータを恵み、コンソラータを完全ないけにえに変えていった。今や死をわずかな年月ののちに控え、精神と心とからだの最高の殉難、絶えざる飢餓の苦しみ、極度の疲労、寝不足、過度の多忙などは、この日常生活に隠れている神に選ばれたいけにえの、燔祭のかぐわしい煙となって、天へ昇っていったのである。

〈衰弱〉

すでに一九四二年の初めごろ、コンソラータの衰弱は始まっていた。

「まちがっているかもしれませんが、体力が全然なくなったと思われます。台所によく隠れています。イエズスよ、聖心の栄えと救霊のため、私を沈黙の中に最後まで隠しながら、私の全部を使い尽くしてください。」

コンソラータは、自分の病気と衰弱は全部イエズスのみ摂理であって、それについて上長や医者は全然責任がないことをよく知っていた。そしていけにえとして召され、恵みを受けたことを、最後まで隠すことに大成功した。

しかし、ある日、院長はコンソラータの青い顔に気づいて、医者と相談した。そのため健康状態は更に悪くなって、ひどい頭痛に悩むようになった。だが相変わらず、黙ってにこにこしながらそれを忍び続け、務めをきちんと果たしていた。重労働は禁止されたが、その代わり、休憩時間にも軽い仕事をしながら祈りを増した。

だが、台所は非常に忙しく、休憩時間すら個室に行って針仕事などをしている暇はなくなったが、コンソラータは、「苦しくとも黙って隠し、微笑しなさい!」という金言に従って、自然に与えられた犠牲の機会をすべて有効に使い、心もからだも悩み疲れきっていたため、祈りと働きに嫌悪の気持ちをいだきながらも、がんばり続けた。

「今、夜の九時ごろ、やっと台所の仕事がすんで、少し霊魂のことをかまうことができます。でもからだは疲れ果てています。さあ、がんばって今から十字架の道行の祈りをしましょう。」(一九四二年七月)

 「今夜はちょっと聖堂で黙想する暇がありました。ミサ典書を開き、きょうの聖福音の部分を読みますと『苦労する人、重荷を負う人はすべて私のもとに来たれ。』(マタイ11-28)

ああ、イエズスよ、これは私によくあてはまっています。あんまり疲れていますからね。と思わず言いましたが、まもなく力がわいてきて、元気になりました。」(一九四二年十月十七日)

一九四二年九月、コンソラータの健康は悪化し、院長は安静を命じたが、二日後もう起き上がって、また犠牲の生活を歩み続けた。一九四二年の終わりごろ、神のみ摂理は、コンソラータの雅量に応じ、更に英雄的な高みへ導いた。結核ですでに危篤になっていたシスター・ゲルトルーデが、院長に夜の間の付き添いとしてコンソラータを頼んだのである。コンソラータはもちろん喜んで承諾した。

「一九四三年のお正月、イエズスは私に贈り物をくださいました。それは、シスター・ゲルトルーデが夜の看護を頼んだことです。すぐ承知して、私はこのシスターがいつでも呼べるように病床のそばの廊下に自分の場所を作りました。昼間は台所、夜は看護とはほんとうに私が望んでいた、しかしだれにも気づかれない犠牲生活です。今では皆さんといっしょに聖堂で朝課を唱えることができませんが、患者の個室で夜の時間を過ごすので、同じ時間に朝課ができますし、十字架の道行の祈りもいたします。だから病人が呼べば直ぐに助けることも、また十分に祈ることもできるわけです。」

「母様は午後数時間休むように命じられましたが、休むことはできません。なぜならシスター・ゲルトルーデは、背中に薬を塗るとか、その他の用でどうしても私を必要としますから。私はイエズスから、病人のいろいろな望みのため呼ばれ、シスターの中にイエズスを見、イエズスに仕え、呼ばれるたびに、寝こんだばかりの瞬間でもすぐに起きることを約束しました。」

二十日間続いて夜中は朝の五時まで病人のそばに付き添い、午後も休めず、コンソラータの弱いからだはますます傷められ、一月二十日、シスター・ゲルトルーデの最後の夜、コンソラータほふらふらしてめまいがしてきた。

「どうしたらいいでしょうかと思って、聖母にお助けを願いました。そのよい御勧めに従い、病人が眠ってからそばの大きな安楽いすに腰掛けて休みました。朝五時ごろ気分がよくなりました。午後五時ごろ、台所から病室へ行きますと、もう臨終が迫っていました。三十分間ぐらい私は疲れた病人の頭を少し持ち上げていました。病人の望みでシスター・ステファニヤとシスター・マリアがマグニフィカトを唱え、ちょうど最後の節のところでシスター・ゲルトルーデは私の腕にやすみながら美しい最後を遂げました。」

シスター・ゲルトルーデは、コンソラータに「私は贈り物としてあなたに私の病気を残してゆきます。」と遺言したが、そのとおりになった。

今こそコンソラータは少し休んでゆっくりしただろうか? いな、すぐ共同生活のすべてに参加して犠牲生活を変わらず続けた。その生活について「イエズスが私を忘れておられても、イエズスが与えてくださったこんなに大きな御愛を、私はたいへん喜びます。」と書いている。

なくなった姉妹の後継者として顧問に任命され、モリオンド修道院の設立の歴史、年代記などを書く、面倒な、非常に時間のかかる仕事を更に頼まれた。院長はその仕事を一、二年の間にできればよいと言ったが、コンソラータは自分の最期が近づいてくるのを感じ恵みに励まされて、大寒ちゅうにもかかわらずストーブなしで、夜中の朝課後一時から五時まで急いで書いた。

「イエズスは、走路の最後の部分にさしかかったから、ラスト・スパートをかけなければならないと悟らせてくださいました。ですから、神と隣人に対する愛の行ない、また犠牲の機会をひとつも怠らないように、最後の全力を尽くしましょう。」

「台所の仕事が朝早くから晩おそくまでかかっても、私にとっては幸福に満ちた務めです。その仕事の中で最後まで完全な自己献身ができます。また夜は書いては眠り、書いては眠りして、合計三時間ぐらい眠って、夜通し書きものができるように、イエズスが助けてくださいます。」

日曜日を除き、コンソラータは続いて一カ月間昼も夜もそのように働き続けた。二年間かかってできればよいという修道院設立の歴史は十七日間で仕上げ、次いで二週間、ご復活の大祝日のため恩人たちへ多くの祝賀状を書いた。

〈健康の決壊〉

一九四三年二月からコンソラータの心臓は衰弱の発作と痙攣に悩まされていた。それでもなお、義務を全部果たし、毎晩書く仕事も続けた。一九四三年四月十九日、医者はちょっと診察して、心臓があまりドキドキいっているので、聖週間のカプチン会の苦業を免除してもらうよう勧めた。それで日常生活の犠牲で満足せねばならなかった。だがそれはいつも十分あり過ぎるほどあった。休むように言われても、実際はたいてい不可能だった。仕事が多くて、文通の仕事が朝課にあずかることができないほどあることもあった。指導司祭に報告している。

「自分の個室を掃除する力さえないことがあり、聖堂でひれふすたびごとに心臓は痙攣しました。」(一九四三年五月三十日)

「神父様、私がそんなに怠惰で冷たく、元気がないことを知って満足なさるでしょうか? 時々聖堂の出入りの時、心臓が痙攣しないように、床にせっぷんすることを怠ることもあります。イエズスが、私に、ご自身の雅量と熱心、神と隣人に対する愛を少し譲ってくださるように、私のため祈ってください。」(一九四三年八月六日)

コンソラータは一九四三年の全部を、毎日毎夜、英雄的な努力のもとに犠牲生活をした。戦争とともに、飢餓の苦痛、心の悩みはますます増加し、新しい年も、緩和を少しも、もたらさなかった。

あまり青い顔をしているので、一九四四年二月、院長は再び医師に診察してもらうように命令した。医者は、「もうひどくからだをこわしていて、直る見込がないほど使い尽くした。どんどん力がなくなっていく最中です。」と言った。それで院長を安心させるため、コンソラータは夜中の朝課に二回あずからず、三日間病人食をとったが、三日過ぎるとまた例外なしに共同生活のすべてに参加した。そして薬のためお金を使わせないように、院長に「私は薬よりパンを信用しますよ」と言った。

一九四四年三月二十三日指導司祭に書いている。「……私の体力は消粍して足で立つことができなくなり、骨が全部痛いため歩くことができません。もう五ケ月間もそうです。もし母様が、私が起きる時に、痛む背中を起こすのにどんなに苦労するかを知ったらたいへんでしょう。また私たちがよくする聖堂の床のせっぷんも、私にとってどんなにつらいかを母様が知ったら困ってしまいます。だからイエズスの御ために、きれいな微笑で、しかめつらを隠し、共同生活のすべてに、完全に参加します。」

指導司祭は、イエズスのおぼしめし、コンソラータの苦しみの絶頂への召し出し、その近い将来の永眠を知って、それらの苦痛を黙って隠していることを許した。それで倒れるたびに少し休んでは、また台所で働くという犠牲生活を続けた。イエズスはコンソラータが最後まで仕事をすることを要求された。また聖母マリアも、不必要なことを話す暇がないほど、犠牲を尽くすことを勧められた。だからコンソラータはまたまっさかさまに仕事と犠牲の中へ飛び込んだ。

台所の係りの任期が終わり、一九四四年八月玄関の受付係となったがそこでも特に沈黙を完全に守り、書く仕事や針仕事に精出した。かくて一九四四年も、実際の健康状態を隠して、衰弱の発作のたび、少し休むほかは忠実に務めを果たしているうちに過ぎた。

一九四五年二月から、夜非常に苦しむようになった。医者も修道院も、コンソラータを直すため全力を尽くしたが、み摂理によって折りから終戦のころで薬剤の入手は全く不可能だった。今はほとんどびっこになって重労働はできなかったが、玄関番を勤めるかたわら、書いたり針仕事をしたり、絶えず祈りながら、一分間も手を休めなかった。

一九四五年五月み摂理によってようやくコンソラータの健康状態が院長に知られてきた。指導司祭に書いている。

 「……イエズスは時々冗談のようにおかしな方法で私を取り扱ってくださいます。苦しみについて沈黙をするという決心をしておりましたが、誓願記念日の四月八日の朝、母様は、私の屍のような顔を見て泣き出しました。そしてその日から朝課にあずからないように言われました。結核ではないかと心配して医者が呼ばれました。医者は『衰弱しているが結核ではない。私はあなたのいろいろな病気を直してあげることができないので、あなたの名まえどおり、あなたが自分を慰めてあげてください』と冗談をおっしゃいました。そして更に医者は母様に、『リウマチの苦痛のため寝なければならぬようになると結核になる危険があるから、歩けなくならないようにベッドで何日も休ませてはいけない』とおっしゃいました。さあ、やっぱり杖を握って暗やみの中を歩きましょう!」

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