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日本二十六聖人の紹介

2022-09-05 13:19:33 | 日記
日本二十六聖殉教者

聖ペトロ・バプティスタ、聖パウロ三木等26名の司祭、修道士、信者は長崎の立山で
1597年2月5日殉教した。 1862年6月8日列聖。祝日2月5日。
(26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であり、すべて男性であった。)
日本二十六聖人列聖 1597年に豊臣秀吉により長崎で磔にされた26人のクリスチャン。処刑の行われた西坂の丘はゴルゴタに似ているという理由で彼ら自身が望んだ。


(1) 聖フランシスコ・吉


伊勢出身といわれますが、不明。都での迫害がはじまる九か月ほどまえに洗礼を受けた武士気質の大工。殉教者たちが大阪から長崎へ送られるとき、一行のあとを追い、その世話をしていましたが、とちゅうで殉教者の群れにくわわりました。

(2)聖コスメ・竹屋


尾張出身の刀の研ぎ師。イエズス会士から洗礼を受けましたが、バウチスタ神父が都に修道院をつくるときミゲル・小崎たちとともに尽カし、のちフランシスコ会に移って、伝道士となりました。説教師として大阪の修道院で働いているとき、マルチノ神父とともに逮捕されました。

(3)聖ペトロ・助四郎


京都出身。イエズス会のオルガンチーノ神父から殉教者たちの旅路を助けるためつかわされましたが、途中でフランシスコ・吉とともに殉教者の群れにくわわりました。三十歳。

(4)聖ミゲル・小崎


伊勢出身の弓師。京都、大阪の修道院の建設に協力していたキリシタンのひとりで、トマス・小崎の父親。四十六歳。

(5)聖ディエゴ・喜斎


備前出身。みずから望んで、大阪のイエズス会の会堂で祭壇係兼門番として働いていました。六十四歳で殉教者の最年長者。

(6)聖パウロ・三木


四国の阿波出身とも摂津出身とも言われる。イエズス会の熱烈な説教師として知られていました。殉教のときも槍が胸を突くまで説教をやめようとしなかったといわれています。三十三歳。

(7)聖パウロ・茨木


尾張出身の桶屋。フランシスコ会の説教師レオン・烏丸の兄で、ルドビコ・茨木の父。年齢不明。パウロ・茨木と最年少十二歳のルドビコ・茨木の父子、レオン・烏丸の三人は、秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役)で日本軍に捕らわれ、連行されてきた朝鮮人であったともいわれます。三人が受洗したのは日本へつれてこられてからで、この説にしたがえばルドビコは日本にきたとき、五、六歳だったということになります。なお韓国の有名な殉教地、ソウルの切頭山聖地に三人の記念碑があります。

(8)聖ヨハネ・五島


長崎の沖にある五島列島の出身。幼いときから教会で学び大阪でパウロ・三木とともに捕らえられました。殉教の数時間まえ、願っていたイエズス会への入会がかなえられました。見るからに清純で明るい十九歳の青年修道士だったといわれています。

(9)聖ルドビコ・茨木


尾張出身の最年少の殉教者。ルドビコは都の修道院で神父や病人たちの世話をしていました。利発な子ではありませんでしたが、明るい無邪気な性質で、大阪から長い旅のあいだでも、その性質が発揮されました。殉教者たちはいつもにこやかに行動しているルドビコに、心をなぐさめられたと語っています。十二歳。

(10)聖アントニオ


中国人を父に日本人を母として長崎で生まれました。伝道士としての才能に恵まれていたので、都の修道院でその教育を受けていましたが、大阪へつかわされたとき、マルチノ神父たちとともに逮捕されまし た。十三歳。

(11)聖ペトロ・バウチスタ



スペインの神父。フィリピン総督の使節として四年まえに来日。都と大阪に修道院と病院をつくり、貧しい人びとの世話をしながら日本ではじめてフランシスコ会の伝道をはじめました。″あわれな貧しいハンセン病者の父″と仰がれていました。殉教者たちの長。四十八歳。また五十四歳だったともいわれています。

(12)聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン


スペインの貴族出身の神父。″マルチノ神父″として信者たちから慕われていました。一時メキシコにもいましたが、その後フィリピンに渡り、同地でフランシスコ会士としてはじめての神学教授になりました。迫害が起こった年の春日本へきて、大阪の修道院長に任命されました。神父は数か月で日本語を自由に話せるようになったというほど語学の才能に恵まれ、殉教したとき十字架の上で説教した日本語の原稿が、死後になって修道服のそでのなかから発見されました。神父はなにか味わって少しでもおいしい物があると、それを信者への贈り物として残し、おもに野菜ばかりを食べていました。夜はほとんど眠らずに祈りの時間についやし、眠るときはどんな物でも、そこにある物の上に横になって眠ったといわれます。三十三歳。

(13)聖フェリッペ・デ・ヘスス


メキシコの裕福な家に生まれたフランシスコ会の修道士。司祭叙階のためサン・フェリッペ号でフィリピンからメキシコにむかうとちゅう、遭難にあって日本にやってきました。そしてそのまま″事件″に巻きこまれ、いちばん最初に処刑されました。二十四歳。

(14)聖ゴンサーロ・ガルシア


インド生まれのポルトガルの修道士。十六歳のとき来日し、イエズス会司祭のもとで伝道士として働いていましたが、その後フィリピンに渡りフランシスコ会の修道士になりました。そしてバウチスタ神父に従って日本にやってきました。「ポルトガル語より日本語のほうが上手だった」といわれています。四十歳。


(15)聖フランシスコ・ブランコ


スペイン生まれの修道士。マルチノ神父に従って来日し、日本語で神の教えを説くことができるほど日本語が上手でした。彼はどんな小さなよこしまなことも許さない、潔癖な人でした。だれかが他人の悪口をいったりしていると、同僚ならすぐやめるようにいいましたが、そうでないときは最良の方法として、その人たちの近くへ寄っていきました。こうすればその人たちを傷つけずに、他人の悪口やかげ口をやめさせることができるからでした。三十歳。

(16)聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル



スペイン生まれの修道士。ミゲル修道士は無口なので″沈黙の人″として知られていました。日本へはバウチスタ神父に従って、ガルシア修道士とともにやってきました。フィリピンにいたころ、海岸に立って「日本から吹いてくる風」をおなかいっぱい吸いこむことが好きだったといわれています。静かな信仰生活を愛した修道士でした。五十三歳。

(17)聖マチヤス


一説には都出身といわれています。彼は逮捕者の名簿にのっていた修道院の「料理人マチヤス」とは別人でしたが、役人が名まえを読みあげたとき、当のマチヤスは返事をしなかったので、同名の洗礼名であることを名のりでて、殉教者にくわわりました。残念ながら、生地も年齢も日本名も不明の信者。

(18)聖レオン・烏丸


尾張出身の伝道士で、都の病院で妻とともにハンセン病患者たちの世話をしていました。ルドビコ・茨木のおじ。四十八歳。

(19)聖ペントウラ



都出身の日本人信者で、幼いころ母親とともに洗礼を受けましたが、まもなく愛する母を失いました。そのあとにきた母は仏教徒でした。彼は寺にあずけられ僧侶になりましたが、二十年後に改宗してキリシタンにもどりました。日本名、年齢は不明。

(20)聖トマス・小崎


ミゲル・小崎の子で大阪の修道院で育ちました。将来はりっぱな説教師になる才能をもっていました。十四歳。三原で送った母への手紙。

(21)聖ヨアキム・榊原


大阪出身。武士でしたが、重い病床で伝道士から洗礼を受けました。病気が回復すると、その感謝のため大阪のフランシスコ会の修道院建設を手伝い、そののち料理人として働いていました。四十歳。

(22)聖フランシスコ・医師


都出身。医師の伝道者で秀吉の朝鮮出兵に従って、朝鮮に渡ったこともあります。都のフランシスコ会の修道院の近くに住居をもっていて、貧しい人びとに無料で治療をしていました。日本名は不明で、四十六歳。

(23)聖トマス・ダンキ


京都生まれの薬種商人。短気な性格でしたが、信仰によって温厚な伝道者となり、薬を買いにくる客たちに教えを説いて尊敬されていました。日本名は不明で、四十二歳。

(24)聖ヨハネ・絹屋



都出身。絹屋というのは姓ではなく、彼の職業です。絹布を織ってそれを商っていました。信者となったのは逮捕される少しまえのことでした。二十八歳。

(25)聖ガブリエル



伊勢出身の日本人伝道士。都の地位のある役人に仕えていましたが、ゴンザレス修道士に導かれて十七歳のときに洗礼を受け、都の修道院に入って説教師となる勉強をしていました。彼の父親は都の修道院の門番をしていました。日本名は不明で、十九歳。

(26)聖パウロ・鈴木


尾張出身。説教師で都の病院の院長をしていました。性格ははげしいものをもっていましたが、深い学識をもち、フランシスコ会でも有数な説教者のひとりとして知られていました。四十九歳。

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