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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第11章)

2022-09-05 12:17:18 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第11章)

第十一章 「最も小さい霊魂」の会

〈イエズスは「最も小さい霊魂」の会を示したもう〉

「最も小さい霊魂」の会は、イエズスの聖心のこの新しい示現の具体的結実である。そしてこの会は世界じゅうに広がり、永遠まで続くのである。絶え間ない愛の祈りは、コンソラータの愛の生活そのものであったが、はじめそれを他の霊魂にも伝えるべきものとは考えていなかった。だが時がたつにつれ、だんだん他の人も同じ道を、自分にならいながら歩むことができる、また実際に歩むだろうという照らしを神からいただいた。

コンソラータの愛の召し出しの結実が最初に暗示されたのは、一九三四年八月十七日であった。

─イエズス─「あなたが臨終の息をひきとる直前に歌う最後の『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください!』を私は拾い集め、あなたが生涯に書き残したものを使って、何百万人もの霊魂に伝えよう。彼らは罪人であるけれども、その愛の祈りを歓迎し、信頼と愛のこの単純な道へと、あなたのあとに従って進むだろう。そしてその単純なやり方で私を愛するだろう。」

「愛の最も小さい道」を全世界に広めるため特別の運動が必要だというわけではないが、コンソラータの指導司祭をお定めになったあとで、イエズスはその会のことと運動のことをお示しになった。

─イエズス─「この司祭は私のすべての希望をそのまま、自分の希望とし、私が望むとおり、その会と運動を全うするだろう。」(一九三五年十二月十四日)

 コンソラータがこのことばを新しい指導司祭に伝えた時、「なんの会と、なんの運動でしょう。私にはわかりません。」と言った。神のみわざはいつもみな同じ趣向に従う。すなわち、まず隠れた準備、小さなあまり目だたぬ地味な出発、そして不可欠な試練、それに打ち勝って強い活力で確かな発展を遂げること。──この「最も小さい霊魂」の会もそのとおりだった。修道院の沈黙の中で、全く隠れた霊魂に始まり、その種がすでに芽を出しても、その種を蒔かれた霊魂すら気づかず、のちにその会について知らされても、なお隠れたままで、より完璧な自己献身の戦いの中に、その霊魂は投じられたのである。

会というけれども、普通の手続き、例えば申し込み、会則、バッジなどを要する会とは違い、霊的な道である。そして召されたと感ずるすべての人が、形式的な手続きなしにだれでも歩むことができる。だがこの道を歩む霊魂は不安に迷わず、愛の召し出しという同じきずなにしっかり結ばれ、その召し出しに対して、絶え間ない愛の祈りをもってこたえるという同じ実行方法を持つという意味では、やはり会といっていいだろう。そしてこの「最も小さい霊魂」の会員たちこそは、お互いに知らず、地上で一度も会うことがなくとも、教会の最も精鋭活発な軍隊として世界の霊的再建のため、大いに活躍するのである。

この会が始められた次第は次のとおりである。一九三六年七月四日初土曜日、黙想ちゅうにイエズスはコンソラータに悟らせてくださった。

─イエズス─「カトリック・ア クション(信徒使徒職運動:注)の少年たちのグループ『べンヤミーネ』の中に最も小さい霊魂がいる。あなたも彼らのひとりである。またあとで、あなたに従って私に絶え間ない愛の祈りをささげる霊魂もその群れに属している。」

このようにして、神の御ことばなるイエズスがご自身でこの「最も小さい霊魂」の会を創立された。三週間後の七日二十二日、イエズスは新たにこの「最も小さい霊魂」の会について語られた。

─イエズス─「私がこのことを書きとめるよう要求するのは、もうすぐ墓にはいるあなたのためではなく、あなたの『兄弟たち』のため、またあなたのあとに従って絶え間ない愛の祈りを私にささげる何百万もの『最も小さい霊魂』のためである。ああ、コンソラータ、子どもたちをイエズスのもとにつれてゆき、またイエズスを子どもたちの所へもたらしたいとのあなたの熱情をおぼえているか。そう。あなたが天国へ昇ったあとでも、あなたは子どもたち、すなわち『最も小さい霊魂』たちを私のもとにつれて来、また絶え間ない愛の祈りによって、私を彼らの所へつれて行くだろう。」

そのことについてコンソラータは指導司祭に報告した。「……神父様は、神が与えてくださった多くのお恵みについて、いつか私の日記でお読みになるでしょう。私は次のことを隠すことができません。二十二日の聖マリア・マグダレナの祝日に、私は偉大な照らしを受け、私の子どものころの、イエズスのもとへ子どもたちをつれて行きたいという熱情を、イエズスが少しもお忘れにならなかったことがわかりました。イエズスは『絶え間ない愛の祈りをささげることによって私のあとに従う無数の最も小さい霊魂のために』書いておくよう仰せられました。天国へ行ってからも私は『最も小さい霊魂』をイエズスのもとへ導くでしょう。私の使命は『兄弟たち』のため、私の召し出しは『最も小さい霊魂』をイエズスのもとへ伴うことです。イエズスの全能のわざをごらんください! 主が私を自己放棄によって滅していられる間に、過去の自己放棄をみな花にして美しく咲かせ、また私という麦の一粒が地下で腐っている間に、輝かしく美しい、驚くべき偉大な使徒職を用意してくださったのです! ああ、私はイエズスを信じます。そしてたとえ私が主を愛し、信じ、信頼する以外、王たるキリストのために絶対何もしなかったことを知りつつ死ぬとしても、最後の息をひきとるまで恵みによって、主を信じたいと望みます!」(一九三六年七月二七日)

〈最初の「最も小さい霊魂」の奉献〉

一九三六年七月の初土曜日にイエズスは愛の「最も小さい霊魂」の会をコンソラータに示したが、二ケ月後の九月の初金曜日、最初の「最も小さい霊魂」ヨハナ・コムペールがイエズスの聖心に奉献された。

「最も小さい霊魂」とは、霊魂が最も小さいことを示し、年令には関係がない。はじめ、コンソラータすらこの点についてまちがっていた。この「最も小さい霊魂」の意味をはっきりさせるため、神は、最初の「最も小さい霊魂を八十五才の、修道者でない者(一度も結婚せず、貞潔を汚れなく完全に守った)に定めたもうた。これは「愛の最も小さい道」が聖職者だけでなく、愛の生活に励むすべての霊魂に与えられた賜ものであることを示すためである。

ヨハナ・コムペールはトリノ市で生まれ、育った。長い間非常に繁昌した靴屋を取り締っていたが、一九三一年八十才で店をやめ、カプチン修道院の近くのドミニコ会修道女の経営する小さな寄宿会に隠居した。その寄宿舎にご聖体がおいでになったので、ヨハナはたいへん幸福で、全生活を祈りと隣人愛にささげた。

一九三四年十月はじめ、サーレス師はカプチン修道院で四十時間の信心の説教をし、ヨハナはそれを聞いた。三日間の黙想が終わったのち、ヨハナは、信心生活に関する崇高な照らしに満ちた手紙を同師に送った。その手紙は「神に対して非常に飢えかわいている私のためにお祈りください!」ということばで終わっていた。この手紙に答えてサーレス師はヨハナを訪問した。神は慈悲の契約を全うするために、この二人の霊魂を結び合わせ、その聖なる結合は決して破られることがなかったばかりでなく、急に発展して霊的父娘関係となった。そんなにしばしば語り合ったわけではなかったが、語り合うたびにいつも司祭は感動し、恥ずかしい思いに満たされた。実際、神は小さい霊魂たちにご自分をお示しになる! 二人はただ神のことばかり語り合った。ヨハナの心は神のうちに生き、毎日欠かしたことのないご聖体拝領の中に神を求めた。そのうえ小さな寄宿舎の聖堂にまします聖なる秘跡をしばしば訪れては神を求め、絶え間なく祈っては神を求めた。その愛と祈りの生活を、よりいっそう熱烈なものとし、自分の心から、神に対する不信頼の最後のかけらまでなくして、浄化するためには、何かしらが欠けているように感じていた。そのかけらは小さくとも、神へ飛翔するための翼を弱くし、イエズスが何かそれ以上のことを要求していると感じたが、なんであるかわからなかった。

一九三六年七月、イエズスはコンソラータに「最も小さい霊魂」の会を示されたが、同年八月の終わりごろ、サーレス師はヨハナとの会話ちゅう突然恵みにせめられ、秘密にそのことを全部打ち明けた。じっと動かず、黙々と聞きながら深く黙想していたヨハナの、老いて弱くなった目が、突然明るく光り輝いた。司祭のほうへ向き、震える声で、「ああ、あなたはイエズスです!」と叫び、恵みに深く感動して、頭を下げると、泣き始めた。ようやくヨハナは自分の道を見いだし、イエズスの聖心は第一の獲物を獲得して、「最も小さい霊魂」の群れに加えた。ヨハナは数日後司祭に手紙を書いた。(一九三六年八月三一日)

「神父様、私は『最も小さい霊魂』の群れに私の場所を見つけました。彼らはイエズスの十字架のまわりを小さい蚊のようにブンブン飛び、イエズスから生命力を吸い取るため、イエズスにとまろうとしています。『最も小さい霊魂』ということばは私にとって言い尽くせない大きな魅力をもっています。そのことばをただ口にしただけでも、私の霊魂はキラキラ輝き、新しい道を示し、自愛心その他のむなしい愚かな誘惑に対抗する難攻不落な塁(とりで)を形造ります。……これが空想だとはどうしても信じられません。なぜなら小さい霊魂たちの群れの中で私が見いだした静寂、平安、自由を、私はこれまでこの世で見いだしうるとは思ってもみなかったからです。次の日曜前に教会へお尋ねします。ご相談したいことがありますので……。」

日曜前に……イエズスの聖心は、その日の初金曜日に新しい会を始めたいと望んでヨハナのうちに働きたもうた。司祭とヨハナの会見は短いものだった。「神父様、『最も小さい霊魂』の群れに加わるためにどうしたらよいか教えてください。私にはよくわかりませんが、イエズスが私に何かを望んでいらっしゃるようです。……私はなんといって私の考えを表わしてよいか解りません。……」

司祭はコンソラータがまだ生きている間に、もうその会が始まるとは全然考えていなかったので驚いて答えた。「そうですね。こうしたらどうでしょう。あすは初金曜日ですからあなたの寄宿舎で共同のミサ後、もうひとつのミサをたてましょう。その時あなたはご聖体拝領をして、すぐあとで聖母マリアを通して、イエズスの聖心にあなたを『最も小さい霊魂』のひとりとして奉献したらよいでしょう。

それから霊魂のあらゆる力を尽くして、① 絶え間ない愛の祈りをささげること、② すべての人のうちにイエズスを見、イエズスのように取り扱い、積極的に愛の微笑を与えること、③ すべてに感謝しそれを神のおぼしめしとみなすことの3点をこれからずっと努力するよう、イエズスに誓ったらよいでしょう。祭壇の上で私があなたをイエズスの聖心に奉献してあげましょう。」

そのことばどおりに初金曜日奉献が行なわれ、ミサ後二人は感謝のしるしとしていっしょにマグニフィカトを唱えた。

サーレス師とヨハナが語り合った木曜の夜、同師はコンソラータのもとへ、短い手紙を送り、ヨハナのことを知らせ、その奉献のため祈ってくれるよう頼んだ。コンソラータが、その日、どんなに熱烈に祈ったかは想像にかたくない。イエズスから「最も小さい霊魂」のことを聞いた時、コンソラータはほんとうの子どものことだと考えたので、最初の「最も小さい霊魂」が八十五才の人だと聞いた時、微笑を禁じ得なかった。

─イエズス─「『最も小さい霊魂』はどんどんふえて数千人ばかりか数百万人、数千万人となるだろう。そして女ばかりではなく、男の人も大ぜいいる。

あなたの死後、ちようど、サン・マシモ教区の公教要理のクラスの子どもたち『べソヤミーネ』があなたの所へ駆けつけたように、『最も小さい霊魂たち』はあなたの所へ駆けつけるだろう。」

初金曜日の夜コンソラータは書いた。

「きょうは一日じゅう『最も小さい霊魂たち』にささげました。この夜、聖なる秘跡にこもり、おごそかに顕示されたもうイエズスの御足下で、私はこれから幾世紀ものすべての『最も小さい霊魂たち』を心に抱きしめております。そして彼らを全部イエズスの聖心に奉献し、彼らを全部聖心の底深くかくまってくださるように、またひとりも失われないよう見守ってくださるように、また神の炎で彼らを燃やし、ひとりひとりがイエズスヘの愛に死ぬように、とお願いしました。」

イエズスの聖心はどんなに喜んですべての小さい霊魂を聖心におさめてくださっただろう。その群れの総数も、彼らのささげる愛の祈りの総数も全部知り尽くしておられるイエズスは、また『最も小さい霊魂たち』が無数の霊魂を救ってくれることもご存じだったので、コンソラータの願いを聞き入れ、彼らがイエズスへの愛に自分を尽くすように定めてくださつた。

─イエズス─「はい、わかりました。コンソラータ、『最も小さい霊魂』の心が、私への愛に死に、ただ私のためにのみ燃え尽くすことを定めます。被造物が創造主のために自分を尽くすのは当然のことだから。だが多くの者は、自分の愛に死なず、肉欲の犠牲になって、自分の罪悪によって世のあわれな犠牲者として死んでしまう。」

〈聖母マリアと「最も小さい霊魂」〉

 イエズスの聖心のお計らいにより、この会は九月の初金曜日、すなわち聖母が最も小さい御者として地上に誕生された祝日の準備の九日間ちゅうに、公式的に始められたのである。聖母マリアは被造物ちゅうで最も謙遜なる神のつかいめとして、実際、絶対完全な「最も小さい霊魂」であられる。その全生涯は神と隣人のための絶え間ない愛の祈りであり、神のおぼしめしに対する絶え間ない「はい」という承諾であった。

だから「最も小さい霊魂」の会は、マリアという天上的な嬰児(みどりご)の足もとに咲き出た花のようなものであり、赤ちゃんのマリア様から最初のほほえみを露と受け、最初の御祝福によって会が成功し、いつまでも続くよう保証していただきたいのである。そのことをよく弁(わきま)えていたコンソラータは書いている。

 「きょう、至聖なるマリアのご誕生の九日間の祈りの中に、最初の『最も小さい霊魂』が自分を奉献しましたので、九月八日(聖マリアの誕生日)に、あらゆる時代のすべての『最も小さい霊魂』を抱擁(ほうよう)し、赤ちゃんのマリア様のゆりかごのすぐそばで、幼きマリアに彼らを奉献するつもりです。聖母は私にしてくださったように、彼らを保護し、恵み、マントの陰にかばってくださるでしょう。彼らがイエズスにささげる絶え間ない愛の祈りには、マリアのみ名がはいっていて、マリアに対する祈りでもありますから、彼らはみな聖母を深く愛することでしょう。

翌一九三七年の聖母マリアご誕生の祝日、ヨハナはまたあらためて「最も小さい霊魂」として自己を聖母マリアの御手の中へ奉献し、「最も小さい霊魂」の会が、聖母のご保護のもとによく発展するよう祈った。その日からヨハナは、最後の日のために、細かいことまで準備し、絶え間ない愛の祈りと、愛の「最も小さい道」によって、信心生活は驚くほど聖化にすすみ、簡単になって、遂に一九三八年二月二七日聖人のような美しい最後を遂げた。最初の「最も小さい霊魂」の死去についてコンソラータは書いている。

「なぜかはわかりませんが、この善い霊魂が帰天なさってから、私の心には、強く激しい喜びの波と光が満ちてまいりました。イエズスは私の霊魂に力と恵みを増し、絶え間ない愛の祈りを続ける強い忍耐心、また被造物から離れるように、隠遁と沈黙への飢えかわきを与えてくださいました。」

この最初の「最も小さい霊魂」の聖なる最後によって、絶え間ない愛の祈りと、愛の「最も小さい道」の効果が明白に証明されたのである。

〈「最も小さい霊魂」とコンソラータ〉

「最も小さい霊魂」の会を創立し、最初の「最も小さい霊魂」であるヨハナを指導するため、イエズスはコンソラータを恵みの器としてお使いになった。だが、その会が発展し、拡張することについては、イエズスがご自身で全部、計らうことを約束され、コンソラータはただ絶え間ない愛の祈りと「愛の最も小さい道」をたゆみなく続けることだけに没頭しなければならなかった。一九三六年、この会に関するおぼしめしをお示しになったのち、イエズスは仰せられた。

「あなはただ絶え間ない愛の祈りを私にささげなさい。そうすれば、あなたは、あなたの『兄弟』のひとりひとりを、また『最も小さい霊魂』のひとりひとりを、全部私にささ
げることになると約束する。イエズスの聖心はその事業のためにあなたを道具のように使ったが、この『最も小さい霊魂』の会というふしぎな事業を完成させるのはイエズス
のみである。だからあなたは自分を全く忘れ、ただ絶え間ない愛の祈りのほかは、何も考えてはならない! 私がすべてを考えてあげるから。」

 「今あなたは『最も小さい霊魂』を幼きマリアにささげたから、彼らのために祈るほかは、少しも彼らのことを考えてはならない。絶え間ない愛の祈りによって、私の所へもどすあなたの『兄弟姉妹』のことだけ考えなさい。」
(一九三六年九月八日)

コンソラータは直接この事業に関係することは許されなかったが、み摂理によって、やはりコンソラータの事業であった。そのことについて一九三七年九月イエズスは仰せられた。

「私は地上から天上まで大きな愛の波が高まり上ることを望む。あなたは『最も小さい道』を一番先頭に立って歩んで行かなければならない。いつの日かあなたはすべての『最も小さい霊魂』の模範と仰がれるようになるだろう。世界じゅうの何百万もの『最も小さい霊魂』があなたにひたと目を向けるだろう! 彼らは私の目のひとみである!」

〈「最も小さい霊魂」に対するコンソラー夕の手紙〉

「最も小さい霊魂」の会は、最初の「最も小さい霊魂」の死によって衰微せず、イエズスの聖心が召し出した他の霊魂たち──修道女、カトリック・アクションの婦人たちに少数の男子すら加えて二十人ぐらいのグループとなった。そこでコンソラータの指導司祭は彼らのため、手紙を書くよう要請した。そしてその手紙に、どのようにして絶え間ない愛の祈りを実行するか、また適当なヒントも合わせ述べてれくるよう頼んだ。次にその手紙の大略を記載しよう。その内容は絶え間ない純粋な愛の忠実において、他の追随を許さず、最高度の模範となったコンソラータの生活によって、具体化されているので、非常に貴重なものである。

「私の愛するイエズスの聖心の『最も小さい霊魂』よ!あなたが夜寝る時、優しい守護の天使に、眠っている間あなたに代わってイエズスを愛し、朝は起こしてすぐに絶え間ない愛の祈りを始めさせてくださるようにお願いしてください。毎晩忠実にこのことを守護の天使にお願いすると、毎朝必ず忠実に『イエズス、マリア、あなたを愛します! 霊魂を救ってください!』とともに目ざめるようにしてくださいます。

このようにして新しい一日を始め、ご聖体拝領でイエズスと会う時まで愛の祈りを続けなさい。愛の祈りは、他の祈りを妨げることは全然ありません。いつもしている信心業は、そのまま続けなさい。けれども今まで以上付け加えず、自由な時間はすべて愛の祈りで満たしなさい。そしてイエズスが勧めてくださったら、声祷の二、三の代わりに、絶え間ない愛の心を起こしなさい。

ご聖体拝領の時、自分を全く放棄して、イエズスに信頼しきって任せ、心配、計画、望み、悲しみなどをすべてイエズスにゆだねなさい。そしてそれらをもう決して考えてはなりません。なぜなら、イエズスは『私がすべてのことを、最も細かい点まで考えてあげよう。あなたはただ私を愛することだけを考えなさい!』と約束してくださいましたから。聖心のご絵の下にその御ことばを写して、いつも見えるようにしておきなさい。そうすれば、精神がいろいろな思い煩いから自由になるよう助けられるでしょう。そしてイエズスがどんなに忠実に約束を守りたもうかを自分で経験なさるでしょう。

ご聖体拝領の時、イエズスに何もかも任せてから、絶え間ない愛の祈りを続けること、一日じゅう主のご要求なさるすべてに『はい』ということ、あらゆる人々のうちにイエズスを見、人々をイエズスとして語り、人々に親切に仕えるように決心すること、などの約束を新たにしなさい。

次のご聖体拝領まで、忠実に愛の祈りを続けられるように、また愛の祈りが、すべての不忠実の償いとなるようにという願いをこめて、あなたのひとつひとつの愛の祈りが天に昇ってゆくようきっぱりと意向をたてなさい。

聖堂を出る時、愛の祈りを始め、途中でも、家でいろいろな務めを果たす時も、ずっと続けなさい。

あなたが書いたり、祈ったり、黙想したり、必要に応じ、また隣人愛から話したりする時も、やっぱりあなたの愛の心は変わらずに続けられていると、イエズスが約束してくださったことをよくおぼえなさい。

できるだけ『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください!』のことばを書いたご絵かカードが、働く間も目の前に見えるようになさい。愛の祈りを思い出させてくれるでしょうから。

絶え間ない純粋な愛の祈りを妨げる最悪の障害のうち、特に次の三つと戦うようイエズスは教えてくださいました。

① 不必要な考え ② 無益な話 ③ 自分と無関係なことに専念し、思い煩うこと。── 不必要な考えとはイエズスが『最も小さい霊魂』のために、細かいことまですべて考えてくださると約束なさった瞬間から、どんな考えも不必要となります。無益な話については、必要、義務、隣人愛、礼儀作法によって、どうしても話さねばならぬ場合以外は、時間の損失となり、愛なる神の持ち物である時間を盗むことになります。無関係なことに専念したり、好奇心にかられたり、思い煩うことについては、自分を献身した唯一の目的である、イエズスを絶え間なく純粋に愛することから、あなたの精神を離すことになります。

けれども次のことをよく覚悟してください。あるご聖体拝領から次のご聖体拝領までの間、決してただひとつの愛の祈りも、隣人愛の行ないも怠らぬという、イエズスのご要求を果たすためには、どうしても継続的な、熱烈な骨折り、また惜しみなく雅量(がりょう:ゆとり、寛大さ)に富んだ忍耐強い努力が必要です。またとりわけ絶対に一度も失望してはなりません。

多少、自由意志によって決心を守らなかったことがあっても、そのたびごとに、純粋な愛の決心をあらため、もう一度始めなさい。その不忠実によって生じた苦しみを、イエズスに、ひとつの愛の祈りとしてささげなさい。あなたが不忠実なあやまちによって転ぶたぴに、イエズスは非常にていねいに、また親切に、あなたをゆるし、大急ぎで優しく抱き起こして、また愛の歌を続けられるよう励ましてくださることを、経験なさるでしょう。イエズスに、絶え間ない愛の祈りをささげる時、非常に助けとなる方法は、一時間ごとに決心を新たにし、それについて特別究明することです。究明する時、無益な話、つまらない想像やいらぬ考えなどによって費やした時間を不忠実として手帳に記入しなさい。その不忠実を、例えば、舌で床に十字架をきることなどで償ってから、また落ち着いて静かに愛することを始めなさい。

けれどもあなたの全力と決心のすべてを集中させる目的は、常に、絶え間ない愛の祈りです。勇気をお出しなさい。恐れるに及びません! イエズスが確かにあなたを助けてくださるでしょう。イエズスは仰せられました。『私は絶え間ない愛の祈りのほか何も要求しない。私を愛しなさい。私はあなたの愛に飢えかわく。……私を愛しなさい。私を愛すれば常に幸福である。私を愛すれば愛するほど、ますますあなたは幸福になるだろう!』 イエズスは忠実にその御約束をお守りになります!

ですからがんばってください! イエズスとマリアが確かにあなたを助けてくださいます! 決してどんな恐れもいだいてはなりません。イエズス、マリアのあなたに対する愛に信頼し、確信してください。

                 愛をこめて
                   あなたのコンソラータより」


〈「みどりごたち」〉

絶え間ない愛の祈りについて、「それはよいし、すばらしいし、崇高である。だがどうも恐れをす。」という人々があるだろう。絶え間ないといっても、愛の心を起こすために妨げのない自由な時間を有効に使う神のみ前の努力であると述べたが、コンソラータが模範を示した「愛の最も小さい道」に召された霊魂は比較的に少ないかもしれない。イエズスが何千万人にもなると預言されたのは事実だが、それは何世紀もにわたっての総数である。

しかもこのイエズスの聖心の新しい福音は確かにある意味では、すべての霊魂にあてたものであり、すべての霊魂に多くの恵みを与え、成聖と使徒職的精神の増加に役だつものである。ゆえに、完全にコンソラータにならうことができなくとも、この愛の祈りをできるだけ信心生活に利用することはできるはずである。信心生活の進歩における打ち勝ちがたい妨げである自己心は、神と隣人に対する愛、および口、目、心の慎みによって非常に効果的に放棄できる。もちろんあらゆる霊魂が、自分の性格と精神に応じて、最も適当だと思う手段を用いることは、全く自由である。だから愛の祈りを別のことばで表わしてもさしつかえない。イエズスも、信心生活についてよく指導してくれる諸聖人、神学者たちも、愛が信心生活の根本であると異口同音に述べている。しかるにこの愛の祈りはイエズスのことばであり、イエズス、マリアヘの愛と、他の霊魂への愛をきれいに含んでいる。だから「最も小さい霊魂」に属していない人々もこの愛の祈りを射祷のように用いて、神からいただいた貴重な時間を、神と霊魂のためにできるだけ利用したらどうだろう。この愛の祈りは声に出してもよいし、出さなくともよいが、いつも真心こめて唱えなければならない。もしたとえ一日じゅうでたった十度しか愛の祈りをささげられなくとも、一月経ち、一年経てばその数はどんなにばく大なものとなるだろう! そうやっているうちに、よい習慣となって、だんだん数を増してゆくことはたいしてむずかしくなく、遂には愛の祈りをささげることが容易となって、次第にイエズスと絶え間なく一致できるようになる。

またただひとつの愛の祈りも、神の正義の秤を慈悲のほうへさげるための大切なおもりとなる。世界の救霊のため、イエズスは信心生活に励む霊魂に、その年令、能力、環境に応じて、すぐ絶え間なくはできなくとも、できるだけたびたび唱えるようにと、この愛の祈りを恵んでくださったのである。ひとりの霊魂にとっては絶え間なくささげることができなくとも、多くの霊魂がささげることによって、絶え間ないものとなる。そのように世界じゅうの至る所から絶え間ない愛の波が天へ上って、天のほうから折り返し慈悲とゆるしの絶え間ない愛の波となって帰り、地上に打ちよせて、世界の霊的再建が遂げられるのである。

確かにイエズスは、コンソラータをそういうおぼしめしのもとに指導されたのである。一九三八年十一月二日、コンソラータは指導司祭に書いた。

「ある日、カトリック・アクション(信徒使徒職運動)の婦人会長が応接間で次のことを話してくださいました。現在、イタリア・カトリック・アクションの『最も小さい者』というグループに、『みどりごたち』という1グループが加えられました。生まれてすぐの乳児たちがそのグループに属するのだそうです。私はあとでその『みどりごたち』というグループについて静かに考えました。そして、イエズスに、『だれに彼らをゆだねてくださいますか。彼らは、あなたの教会でどの地位を占めますか。』とおたずねしましたが、お答えがありませんでした。

私は結婚することを犠牲にしましたが、子どもたちは、私の心の奥底に永久に燃え続ける熱情です。一九二八年私の霊魂が暗やみに迷った時、私は暇な時間をいつも私の教会の一番小さな子どもたちのグループと共に過ごしました。ある日のこと、二人の小さな兄弟の子守りをしたことがあります。私は今でもよくその二人の兄弟のことを思い出します。ひとりは四才ぐらいで、もうひとりは二才ぐらいでした。三人でいっしょに、「イエズス様、ぼくはあなたが大好きだ」と何度も何度も繰り返し練習しました。その次の、次の日曜、この二人は私の所へ走ってきて、まだ覚えていたその射祷を私に向かって、言って聞かせました。

けさ、ごミサの間、私はその昔のかわいい、挿話(エピソード)を思い出しました。なぜ、私はこんなに子どもたちが大好きなのでしょう。なぜ私は彼らをイエズスのもとへ導き、『イエズス、あなたを愛します』と唱えられるよう教えたいと熱望するのでしょう。私はずっと前から『最も小さい霊魂』として召し出された人々だけでなく、実際に最も小さい子どもたちに教えたいという熱望をもっていました。全能なる神は、私を無限に愛したもうので、私の全生涯のこの熱望を実現させてくださることができないでしょうか。

けさ私は自分の心の中に、私のすベての熱望のまとめである一つの意味深い文章を聞きました。

─イエズス─『“ みどりごたち” はあなたのものであろう。私はあなたに彼らを与える。』 はい、そうです。彼らは私のものであり、私は彼らの小さな心の中に愛のみ国が来るようにと、毎日祈りによって準備するのです。また天から、私は母のように彼らをかわいがり、それ以上のことをしてあげます。彼らは教会で何をするのでしょう。イエズスを愛することを! たとえ愛の祈りを全部暗記することができなくとも、『イエズス、あなたが大好きだ。』とか、『イエズス、マリア、あなたが好きだ。』ということぐらいは覚えられるでしょう。そうすれは、優しい神様がかわいい乳のみ子と小さい幼児たちの口によって完全にたたえられるのです!

私の心は、イエズス、マリアに対する感謝でいっぱいになってこの手紙を終わります。でも神父様、ごらんください。サタンはもはや子どもたちの中に、神なしの生活をさせるよう準備しています。しかし、イエズスの聖心は、悪魔に対し、全世界至る所の『みどりごたち』と『最も小さい霊魂たち』と共に堤防を築きます。」

コンソラータは、はじめ「みどりごたち」ということばをほんとうの乳幼児たちについて使っていたが、のちに恵みの光に照らされて、まちがっていたことを悟ってきた。それについて指導司祭に書いた。

「私は今度も『みどりごたち』についてまちがったようです。イエズスは、ある日、八十才ぐらいのシスターの中にも、あまり犠牲を求めることができないほど小さい『みどりごたち』のような霊魂がいることを悟らせてくださいました。けれども、彼らは愛の祈りを天にささげることはできます。……」

「みどりごたち」とはほんとうの乳幼児のほかに、自分の生涯を絶え間ない純粋な愛の祈りとするよう召されていない霊魂、また、自分には絶え間なく愛の祈りをささげることはできないと考える霊魂が含まれている。だが彼らも信心生活に進歩するため愛の祈りを利用することができるのである。

アッシジの聖フランシスコの祝日、一九四三年十月四日、コンソラータは次のように日記に書いた。

「けさ、黙想の時、私は、われらの師父、聖フランシスコと一致しているように感じました。私は彼をとおして、イタリアと全世界の平和のため祈ったのち『最も小さい霊魂』と『みどりごたち』を聖フランシスコと聖クララの特別の守護のもとにゆだねました。その時、聖フランシスコはそのことを待ち望んでいて、ちょうど、彼の設立されたフランシスコ会第一、第二、第三会の三つの修道会のように、『最も小さい霊魂たち』と『みどりごたち』が教会の中で、世の終わりまで存在し続けるという確証を与えてくださいました。」


(注)カトリック・アクション(Catholic Action)

教会の聖職位階(司教・司祭・助祭などの役職の位)の指導のもとに行う信徒の使徒的活動。カトリック・アクションは現代における教会の既成事実となっているが、そこに至るまでに、さまざまな発展段階があった。福音を伝え、人びとを教え導くという教会の使命を果たしていくうえで信徒の強力が必要である、というのが第2バチカン公会議の主要な教えのひとつである。信徒は聖職者が果たすことができないことを補う単なる補足的人員ではないし、単なる補助員でもない。信徒の役割は、世界における教会の使命を果たすために司祭や修道者の役割と強力しあって、神から設定された聖職位階の指導に従って物質的・精神的分野において働くことにある。教会が説く補完性の原則に従って、一般信徒はカトリック教会の使徒的活動において、信徒独自の貢献をするためのあらゆる機会が与えられなければならない。その上、通信や伝達手段の発達にともなって、一地域の信徒の集団や組織が緊密に連絡協力し合うだけでなく、いっそう広く人類社会全体を「聖座(使徒座と同義語でローマ聖庁をさす)の指導のもとにキリスト教化する」という国際的責任を自覚しなければならない。(現代カトリック事典)

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