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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第12章)

2022-09-05 12:17:41 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第12章)


第十二章 「兄弟姉妹」へのイエズスの聖心の愛の福音(メッセージ)

〈高い位より落ちて〉

十二使徒のひとりユダがイエズスを裏切ってから今日に至るまで、二十世紀間にわたって、ユダの後には長い長い裏切り者の列が続き、イエズスの聖心を茨のとげで傷つけ、教会の最も悲しい涙の源となっている。教会は、聖なる司祭を神からいただくために、信者たちの熱心な祈りと犠牲を望んでいるが、この重大な目的を十分わきまえない信者たちはとうとい位から深く堕落した司祭、修道者たちに、軽べつと批評の石を投げるのみで、彼らを救い出し、正しい道に呼び返すための協力をしない。「私があなたたちを選んだ」(ヨハネ十五・十六)「あなたたちは世の光である。」(マテオ五・十四)「あなたたちは地の塩である。塩がその味を失ってしまったら、なんで塩の味をつけられようか。もう役だたず、外に捨てられて人に踏まれるばかりである。」(マテオ五・一三)などのイエズスの御ことばに、聖職者の位の偉大さ、彼らの堕落が他の霊魂に及ぼす重大な結果、また堕落した聖職者たちに予定されているひどい運命が直観されるのである。コンソラータの聖化、自己献身、大きな苦しみこそ、特に彼ら迷える「兄弟姉妹」のためにささげられたのであった。私たちも、母なる教会とともに、彼らの堕落を、神の子らの家庭の、恥と災難だと感じ、コンソラータの模範にならって、英雄的な、高い自己聖化と自己献身によって、彼らの改心に協力しなければならぬ。

〈すべて「兄弟姉妹」のために〉

コンソラータの使命は、イエズスのように、犯罪者の身代わりとなり、聖心の器となって、迷える「兄弟姉妹」の代わりに、この世で地獄の責め苦を耐え忍び、激しい誘惑と絶えず戦い、想像もできぬ無残な苦しみにあえいで、彼らせ改心させ、それによって無数の霊魂を救うことであった。

コンソラータは観想修道会である女子カプチン会にはいる前に、活動的修道院の志願者となり、その間心の暗やみを味わって、ユダたちの心の無限に大きい苦しみと災いを経験し、彼らに対する使命をあらかじめ悟っていたが、のちに彼らを助けるために、どんな大きな犠牲をも覚悟して観想修道会に移った。その時イエズスから自分の特別な使命を知らされたのである。「私はイエズスに聞きました。『イエズスよ、私をゆるしてくださってどうしてかわいそうな『兄弟姉妹』をゆるしてくださらないのですか。』 イエズスは未来をおおっているベールを取ってすべてを知らせてくださいました。私はすべてを知っても少しも驚きませんでした。彼らがもし改心したら、彼らはどんなに高い愛に達し、また救霊のためどんなに熱烈に努力なさるでしょう。彼らによってイエズスを愛し、彼らによって多くの魂を救いましょう。イエズスよ、あなたの光に照らされて、私は自分の使命を悟りました。それは私の『兄弟姉妹』のために祈り、苦しみ、戦い、絶えず彼らのためにお詫びすることです。私は全くあなたのみのものになることによって、お望みのすべてに完全に応じ、あなたの誉れとなることに飢えかわいています。」

コンソラータは日増しに生きている犠牲となっていった。不忠実な聖職者たちがどんなに聖心を傷め苦しめるかを、イエズスは、コンソラータに親しく語られた。

「コンソラータ、あなたは、私の心を打つ鞭、私の心を刺す茨のとげを知っているね。それがどこからくるかも知っている。全世界の、限りなく大きな罪悪が私を侮辱するが、私の者ら(聖職者)のたったひとりの裏切りも、私の心の、言い表わせぬほど大きな悲しみの杯をあふれさせるのだ。」(一九三五年十月三一日)

イエズスは彼らを愛し、彼らを改心させるため、ご自分と共に犠牲になる気高い霊魂を用意なさったのである。修道生活のはじめごろ、コンソラータは自分の家庭や他の家庭をイエズスの聖心にささげるため努力したが、すでに一九三四年五月ころ、イエズスは、コンソラータに、今から使徒職的活動をやめて、すべての力を集中して「兄弟姉妹」のために尽くすよう願われた。

「私と全く一致し、犠牲の勧めをすべて鋭敏に感じ、それを果たすことによって、あなたは善徳の数えきれないほど多くの花を集めるだろう。ごらんなさい。それらの小さな犠牲は全くつまらない小さなことにすぎないが、あなたは大きな愛をもって、それらをささげるから、私は非常に喜んで、それらに無限の価値を与える。そしてその小さな犠牲を、私たちのかわいそうな『兄弟姉妹たち』を改心させる恵みに変えて降らしてあげよう。」(一九三五年十一月五日)

─イエズス─「コンソラータ、きょうから臨終の瞬間まで、あなたのすべての祈り、すべての犠牲を、あらゆる時代の、あらゆるあなたの『兄弟姉妹たち』のためにささげなさい。その他の祈りの意向については私が考えてあげよう。ミサ聖祭のとき、『兄弟姉妹たち』を私にささげ、彼らを私のとうとい血の中に浸しなさい。私が顕示台に現われた時、また聖櫃(せいひつ)の前で、彼らを私にささげ、祈りなさい。今年の降誕祭の準備として、私が彼らの心に新たに生まれるよう祈りなさい。また復活祭の準備として、私が彼らの中に復活するように願いなさい。」(一九三五年十一月六日)

コンソラータは時々全世界のすべての霊魂を救うためには喜んで自分の命を犠牲にする覚悟であると、イエズスに申し上げた。

「はい、私はあなたを、すべての霊魂のためにささげる。だがあなたの全生涯の使命は、あなたの『兄弟姉妹』のためであることを決して忘れないでほしい。」

─イエズス─「コンソラータ、あなたが犠牲として自分をささげ、あらゆる苦しみに耐える覚悟ならば、私はあなたの苦しみを私の苦しみ、あなたの血を私の血と一致させて、私を裏切った聖職者たちを罪のわなから解放しよう。」

誘惑の戦いに敗けて、尊い誓願を踏みにじり、イエズスを裏切った「兄弟姉妹」は多くの罪の源である七つの悪欲、すなわち高慢、物欲、色欲、ねたみ、どん食、憤怒、怠惰のとりことなって罪を重ねている。コンソラータは彼らと同じ激しい誘惑にあい、彼らに代わって絶えず戦い、そのひどい悪欲と猛烈な情欲の高熱を絶えず感じて、イエズスの聖心の責め苦に参加するのである。その責め苦の杯の苦さを完全に詳しく知りながらも、それを受けると自由に申し出て、何年間にもわたって耐え忍ぶことができるように、イエズスは一歩一歩コンソラータを導いてくださった。

─イエズス─「コンソラータ、私は毎日十字架にくぎつけられたままであなたの心に下るから、あなたは私と同じ責め苦を味わうだろう。」(一九三五年十月十四日)

─イエズス─「コンソラータ、あなたの『兄弟姉妹』が信仰の光、望徳の賜もの、私を愛する恵みをいただくために、あなたの霊魂は、苦悩に満ちた杯を飲み尽くさねばならない。」(一九三五年十月十九日)

そのうえ、犠牲の小羊のからだの苦しみ、血の一滴ずつを流してゆくずっと長く続く苦痛が必要だった。

─イエズス─「コンソラータ、私にささげられた人々の貪食と情欲を償うために、あなたのからだの苦痛がほしい。」(一九三五年十月一日)

─イエズス─「あなたの『兄弟姉妹』を救うために、私はあなたを少しも、いたわらず、すベての苦しみの絶頂、すべての悲しみの苦さを味わわせる。」(一九三六年十月二日)

イエズスはコンソラータを完全な犠牲にするために、一歩一歩愛と苦しみの絶頂へと導いたが、絶えざる愛の心こそ、聖心がコンソラータに要求した英雄心への道であった。

「『兄弟姉妹』をサタンの爪から解放するためには戦いが必要であり、戦いのためには苦しみが必要であるから、毎分ごとの苦しみを感謝をもって受けとり、それにつれて絶え間ない愛の心の歌をうたい続けなさい。」(一九三六年八月十一日)

これほど大きな要求に対して、この若い弱い修道女はなんと答えただろうか。愛にあふれる心からわき出ることばを聞こう。

「私の『兄弟姉妹』が無残な永遠の悪運に陥らないように、私は、神に無限に信頼しつつ自分を全くイエズスにささげました。

イエズスよ、私はあなたの犠牲ですから、どうぞご自由に私をお使いください。あなたに信頼しながらすべてを覚悟しています。イエズスよ、どうぞ全然遠慮なしに私を犠牲にして少しでも私をいたわらないでください。コンソラータのことなど全然かまわず、私の『兄弟姉妹』だけをみそなわしてください。あなたの司祭たち、浄配たちが御あわれみの聖心へもどるために、私は無条件に自分をおささげいたします。どうぞ毎分毎分を苦しみで満たしてください。苦しみに飢えかわき、どんなことも覚悟しています。」

このことばは衝動的な感情からではなく、苦しみの地獄の最中で書かれた。苦しみがひどくなればなるほど、より気高い心でイエズスに信頼した。

「『兄弟姉妹』のひとりも地獄に落とさないでください。……今新たに彼らのために自分を犠牲としてささげ、新たに、喜んですべての苦しみをにないましたから、私に任せてくださった『兄弟姉妹』のひとりでも地獄に落ちるようなことがあれば、イエズスよ、あなたの責任です。彼らが必ず改心し、あなたの無限の功徳と、必要な恵みをいただくために、必要な苦しみを、なぜ十分コンソラータに与えてくださらないのですか。」

このことばは、あまりにも大胆のようだが、彼らの改心しないことが、コンソラータの真心の不足に原因しないようにと、あらゆる苦しみを覚悟したことが、よく表われている。

〈すべての「兄弟姉妹」を〉

イエズスの聖心は、神の御あわれみにあふれ、最も災いである人々を改心させるために、コンソラータの心の中で祈り、コンソラータにおいて、またコンソラータと共に、苦しみ、いつでも赦したもう思し召し(おぼしめし)である。コンソラータは、単なる人間としては、他の人の罪を真に償うことはできないが、イエズスの神秘体に属する者として、イエズスご自身が人間の償いを、ご自分の償いと一致させて父なる神にささげてくださるので、償いうるのである。したがって、私たちのささげる最も小さな犠牲さえも、その意味で、すべての霊魂に役だつわけである。

─イエズス─「私は、あなたの『兄弟姉妹』が私のところへ来る時、全然拒まない。どんなひどい汚聖を犯していても拒まない! このことを書いておきなさい。コンソラータ、あなたが自分をささげることによって、たったひとりの司祭だけでも改心させることができたら、それは偉大な仕事だ。迷った司祭がひとたび改心し、新たに雄々しく自己聖化に励み、イエズスの聖心の使徒となるなら、どんなに神に光栄を帰し、また多くの霊魂にどんな豊かな恵みをもたらすか、あなたは全然想像もできないだろう。あなたが神のもとに呼びもどすのは、たったひとりの『兄弟姉妹』ではなく、すべての霊魂なのだから。」

イエズスは、コンソラータがその使命を果たしうるために、聖母マリアと共に努力することをお勧めになった。聖母マリアは「罪人のよりどころ」として、御子イエズスにささげられたしもべらを深く愛しておられるからである。

─イエズス─「コンソラータ、ごミサにあずかるたびごとに、私たちの御母の手を通して、とうといホスチアと御血のカリスを、永遠の御父にささげなさい。汚れた手がホスチアとカリスに触れて私を侮辱しても、聖母の汚れない手だけがそれを償うことができるから。」

だからコンソラータは以前よりも「兄弟姉妹」の改心のため、聖母の御取り次ぎを一心に願った。一九三五年十二月八日、聖母は、コンソラータに仰せられた。

「はい、コンソラータ、私はかわいそうなあなたの『兄弟姉妹たち』を忘れません。あなたは書きしるしておくことによって、私がいつも彼らを愛し、彼らの母として抱きしめることを待ち望んでいることを知らせてください。」

コンソラータの記録によれば、ある司祭や修道女が、その高い位から深く落ちたと聞くたびに、コンソラータが改心を祈ると、イエズスはいつでもその霊魂を与えてくださった。

─イエズス─「私を絶え間なく愛するならば、あなたは愛の道によって、使命を果たし、あなたの『兄弟たち』をひとりひとりイエズスへもどすことができるのだ。私はそれを約束する。」

─イエズス─「まことにまことに私はあなたに言う。あなたの不幸な『兄弟姉妹たち』が、神の御子のあわれみの声を聞く時がすでにきている。その声を聞く人は生きるであろう。(ヨハネ五・二五)と書いておきなさい。父はだれをもさばかない。すべてのさばきを私に任せてくださった…… 私は人間の心を持っているから、人間の弱さのすべてを理解している。愛の道を歩むあらゆる人を私はゆるす。どんなひどい汚聖に満ちた生涯でも、もしその人に私への愛のひとつの印でもあれば、私の心はもはや拒むことができないで、そのすべてをゆるすのだ。このことを書いておきなさい。コンソラータ、よくわかりましたか? 私を裏切り、私を捨てて敵のほうへ走ったあなたの『兄弟姉妹たち』のひとりをも残さず救うこと、それが御父の思し召しである。

しかし、心──(ちゃんと書きなさい)──私の所有(もの)となった心の鼓動のすべてをひとつ残らずほしい……それはどうしても必要なのだ。私のものとなった心のため、その心が望むすべて、どんな隠れた望みをも果たしてあげようと、考えられぬほど偉大なわざを行なうことは、よくわかっているね。」

─イエズス─「コンソラータ、信仰と聖職を捨てた司祭を、私は聖心の使徒とするだろう。私にはそれができるし、また実際にそうするだろう。」

 ─イエズス─「今月のあなたの苦しみによって、このひとりの兄弟を改心させ、彼があすから使徒になり、のちに聖人となったら、それだけでもあなたは満足するだろう。ところが、あなたはたったひとりではなく、多くの『兄弟姉妹たち』を私へ呼びもどしてくれた。コンソラータ、ごらんなさい。私はあなたの心の中へ、全生涯にわたって種まきをしてきた。今、あなたの犠牲と苦しみの助けをかりて、その刈り入れがしたい。あなたは、自分をいけにえとして私にささげて、『兄弟たち』を私の心へもどしてくれたことによって、最上のものを私に与えてくれたのだ。ごらん、私があなたを愛しているように、彼らをも愛している。彼らは私の所有(もの)であり、私のために霊魂を救ってくれるはずのものだ。彼らは私を裏切ってサタンについたが、私は相変わらず彼らを愛し、あなたのいけにえを私の犠牲に一致させて、必ず彼らを救うだろう。あなたは私の心の最大の喜びである。あなたは『兄弟たち』を私の愛へもどしてくれたことによって、私の聖心の慰め手(コンソラータ)となるだろう。」
(一九三五年十一月六日)

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