アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

施餓鬼で感じた地元への嫌悪

2016-08-14 06:00:13 | つれづれ
小生の実家の町は人口1万にも満たない小さな町であるが、お寺が八つもある。そのせいか、お寺がらみの行事がメチャクチャ多い。

 一人亡くなると、初七日にはじまり四十九日まで七日ごと団子を納めにお寺に行く。当然、世間一般の三回忌までの行事は全部ある。ちなみに四十九日は葬儀参列者から、平均で70名程度ご招待するのがならわしだ。
 それとは別に、三年間お盆の灯篭流しがあり、夏の施餓鬼と冬のだるまさまという行事が三年間ある。


 こうした行事とは別に、檀家として何もなくとも、一年に10回はお布施を持ってご挨拶に行くことになっている。
 先祖や故人を敬い、偲ぶことはいいことだし、否定するものではないが、こうした数々のしがらみが町の中でのおつきあいの「義理」という言葉で縛りになっている

 お盆の灯篭流しは、この町にこんなに人がいたんだというくらい多くの人間で港があふれかえる。三年間の故人の親族や友人知人があつまるのだが・・・これがうるさいこと極まりない。
 故人の名前を次々呼び出す放送が、聞こえないほどの大声で皆がしゃべっているので、呼ばれた施主が出てこないことも多く、昨年は放送しているお坊さんが怒ったくらいだ。

 そのとき思った。この町の多くの人たちにとって、故人がどうのでなく、「義理を欠かさず自分はここに来ていますよ」というアリバイを確保することが最優先なのだと。
 現に、小生の親族も昨年の灯篭流しのときに「誰それは来てるのか ?」ということをやたら気にしていた。所用で来れないなんて言えない空気感が恐ろしい。


 そんな今年、母の死後三回目の施餓鬼に出掛けてきた。小生の菩提寺のご住職は東京から来られた方で、個人的にはSNSなどでもつながっている若い方だ。
 行事の中で六道についての講話などを入れてくれて、施餓鬼の意義とかわかりやすく話してくれるのだが・・・そのときに参列しているオヤジたちの私語が・・・しかも内容は「誰それがまだ来てないぞ」という・・・

 ああ、なんと情けない・・・と思っていたところにさらなる事件が・・・遅刻してきた参列者が大声で、「みんな早いじゃん」と
 さらにさらに、施餓鬼のお布施を故人に上げてくれというおばさんが受付に来て、大声で○○に△△の名前で10本上げてくれと。

 実家は漁師町のせいか基本大声な人が多いのだが、それにしてもシーンをわきまえてくれよって・・・
 生まれ育った町だから、嫌なことは言いたくないのだが、あまりのマナーの悪さと次元の低さに悲しくなってしまった。

 こんな嫌なことを言っているそばから、小生も文字通り「餓鬼道」にまっしぐらなのかも・・・えっ、お前なんか「地獄道」だって? うーむ、否定できないかも。
 といいつつ、あさってはまた灯篭流しだ。今回で一区切りなんだが・・・
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