喬太郎独演会を聞きに行った日は、午前中中野で兼好を聞いた小生であったが、喬太郎の会との間に微妙に時間ができたので、禅林寺に立ち寄ることにした。
場所は喬太郎の会の会場、星のホールのすぐ近くだ。このお寺、三鷹市では有名な古刹であり、もとは三鷹駅のあたりまで広大な敷地を有していたという。
このお寺何が有名って、二人の有名な文豪のお墓のあるところだからだ。一人は森鴎外、もう一人は太宰治だ。
太宰治は、この近くの玉川上水に入水自殺したことが有名だ。だから、ここにお墓があるのは納得・・・と思ったら、そうではないようだ。
彼は尊敬していた森鴎外のお墓がここにあることを知り、その近くに自らの墓を用意していたというのだ。ちなみに森鴎外の墓は元の寺院が被災し、こちらに移転した由。
それを象徴するように、太宰治と森鴎外の墓ははす向かいにある。さすがに写真は失礼したが、興味深いことがあった。
森鴎外の墓も太宰治の墓も、墓石にはフルネームで名前が書いてあったことだ。ちなみに森鴎外の方は、本名の森林太郎で書かれていた。
今でも太宰のファンは多い。有名な桜桃忌にはたくさんの人が集まるという。この日も、本やお供物があげられていた。
小生も高校生の頃は太宰にハマった時期がある。「人間失格」は何度も読み返し、自らのことと思ったが、友人にそれは誰しもそう思うのだといわれたことを覚えている。
また、森鴎外が死について語り、それを歌人の賀古鶴所に書かせたものを碑にしたものが境内に飾ってあった(右写真)。
内容について、ここで触れると長くなるので割愛するが、なかなか深いもので、医師でもある森鴎外がどんな死生観を持っていたかがよくわかるものだった。
禅林寺は古刹だけにたたずまいも凛としていて、風情も感じられた。さて帰ろうかと思っていたところ、一人の男性から声を掛けられた。
「あの~、太宰治のお墓って、私でも見学できるんですか? 」と。小生はこちらに初めて来たのだが、碑をじっくり眺めていたのを見て、ベテランだと思われたようだ(苦笑)
かつては文学青年だった小生、森鴎外と太宰治の双方に思いをはせながら、星のホールに向かった・・・
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