アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

箸墓古墳は卑弥呼の墓か?

2009-05-31 08:43:22 | マニア
小生、歴史マニアであり、古墳マニアでもある。そんな小生にとって、食指が動くニュースが目を奪った。まずはこちらから・・・

 やはり…箸墓古墳は卑弥呼の墓? 歴博 炭素年代測定で分析(産経新聞) - goo ニュース

 おお、箸墓の中にある土器が卑弥呼の死亡時期と一致したという研究結果が出たということで、卑弥呼の墓の可能性が高まったというのか。
 確かに邪馬台国機内説をとる向きには、箸墓が卑弥呼の墓とする説が古くから存在する。ちなみに箸墓は大神神社(おおみわじんじゃ)のふもとにあり、祭られているのは倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととびももそひめのみこと)という女性だ。

 もっともこの女性、古事記に登場するシャーマン的存在だが、もちろん実在が証明されているわけではない。ただ、その性格は卑弥呼に合致するわけだ。
 ときに箸墓という名前だが、古事記によれば、倭迹迹日百襲姫尊命のもとに夜な夜な通ってくる男の身元を追いかけたところ、三輪山の大蛇であったことに驚いた彼女が尻餅をついたところ、そこにあった箸で女陰をついてしまい死んだという

 つまり箸でついたから箸墓というわけだが、どうもこれは信憑性に欠ける。冷静に見れば、箸墓という名前があったから箸でついた話になったと見るべきである。
 逆に、そこから土師墓、すなわち土師氏との関係を見るべきとの学説もあるくらいだ。とはいえ、この古墳が前方後円墳としては全国11番目の規模であり、かつごく初期のものであることは疑いのないところであり、今回の研究は興味深い。

 とはいえ、古事記に登場する倭迹迹日百襲姫尊命は卑弥呼でなく、その後を継いだ台与だとする説もあり、この墓の発掘がされない限り、けりはつかないだろう。
 箸墓は、現在陵墓参考地として宮内庁の管理におかれており、発掘は一切できない。

 また三国史魏書東夷伝倭人条(俗に言う魏志倭人伝)によれば、卑弥呼は248年に死亡、その墓は径百余歩とあり、「径」という字から円墳であるという説もある
 近年の研究によれば、邪馬台国畿内説に有利な研究結果ばかりが続いているが、小生がガキの頃は九州説も同じくらいの勢いがあった。

 なんにしても、こんな話を聞いて楽しいのは、歴史マニアだけだと思いつつ、やはり筆が止まらないところを見ると、小生根っからのマニアだと・・・
 今更ではあるんだが・・・また、箸墓を見に行きたいなあと。
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