日産と三菱自動車の元会長のゴーン氏が逮捕されてから、連日これでもこれでもかと情報が流れてくる。
ニュースでもワイドショーでもその取扱いのスタンスは、「いかにゴーン氏が悪い奴だったのか」というもの。
公立中正なんて言葉はどこかに行ってしまっていて、検察が言う(流す)情報はすべて正しく、それを否認するゴーン氏は往生際が悪いという空気感。
こうした報道や検察の在り方は、日本では普通のことだが、冷静に考えるとなんとも気持ち悪い・・・と思ったら、こんなアメリカの新聞記事が目に留まった。
ゴーン容疑者逮捕は「宗教裁判」=日産の不意打ち、汚点にも―米紙社説
この記事を紹介するにあたり、小生はゴーン氏を擁護する立場ではないし、特定の立場の議論をしようというのではない。
あらかじめその点だけ強調しておくが、記事には納得するポイントがある。「勾留中の取り調べには弁護士が同席せず、自らの権利を守ることができない一方、資金流用疑惑がメディアに次々とリークされる状態」というところだ。
これは厳然たる事実である。さらに記事はたたみかける。「共産主義の中国での出来事か? いや、資本主義の日本だ」と・・・
そう、われわれは普段は日本は中国より自由で開かれた国だと思っているが、必ずしもそうとも言えないと海外から指摘されているのだ。
ちょっと興味深いのは、こちらの記事。元ネタは同じようだが、片や「宗教裁判」、片や「奇妙な異端審問」と表現が違うところ。
さらに文章の中身についても少し異なっており、各通信社のスタンスが異なっていることがうかかがえる。
ただ、日本の場合ひとたび容疑者になると、たちまち犯罪者、悪人となり、その後無罪となっても名誉が回復されたりすることがないのも日本の悪しきところ。
建前は容疑者の段階では「推定無罪」のはずだが、今の日本はまちがいなく「推定有罪」が実状である。
記憶にあるところでは、女性初の事務次官も噂されていた村木氏は無罪となる前に失脚したし、民主党時代の小沢一郎氏も事実上、犯罪者のようになった。
すでにゴーン氏の日産・三菱自工やマスコミの取り扱いを考えれば、彼が仮に無罪になったとしてももはや復権は無理だろう。
それが日本という国なのだ・・・と言われるとしたら、それはあまりに悲しい。だから、あまりに世間から突き出るようなことをするなとか、長いものには巻かれろなんて言われるなら、「ふざけんじゃねえ」と突っ張りたい小生である。
話がそれたが、この事件について日本の常識と海外の常識を見守っていたいものである。
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