アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

京都の町の設計図

2006-07-15 07:27:02 | 薀蓄
このところ、すっかりご無沙汰しているジャンルがある。そう、オヤジの薀蓄ものである。たまにはこれもやらないと、ということで取り上げたい。

 ちょうど祇園祭りということで、京都の町の設計図について書いてみることにしよう。京都の町が碁盤の目のようになっていることは常識だが、その中心線を設定した起点はご存知だろうか。
 これが、千本通りの北にある船岡山というところなのである。

 それはいいとして、この町が風水によって理想とされている北に山があり、東に川、西に街道、南に平原という地形なのは有名だが、この中心線が絶妙なのである。
 風水の気の考え方で周囲の山からのエネルギー(気)が集中するところが、今の千本丸太町なのだが、なんとここは当時の大極殿があったところなのである

 現在の京都は御所が東にずれている関係で、烏丸通りが中心みたいに見えるが、もともとは千本通りが中心なのだ。
 さらに、都の鬼門である東北には比叡山があり、その守りとして延暦寺が置かれた。また、修学院離宮も鬼門の方角にあるが、裏鬼門には桂離宮がある。

 さらに、御所から見ての鬼門の方角には「晴明神社」がある。ここは安倍晴明の居宅のあったところだ。晴明自ら守護となっていたわけである。
 世界的に見ても一つの都が千年もの間首都であった例は稀有であり、この何重にも張り巡らされたガードシステムが機能していたというべきであろうか。

 この京都の南の入口には有名な羅城門があり、東寺があった。東寺は今でもその偉容を誇っているが、羅城門とともに南の守りを固める意味があったのだが、東だけ?という疑問もわいてくる。
 そう、実は西寺もあったのである。しかし、その西寺の命ははかないものであった。そのくだりについては、また機会があれば紹介しよう。

 かくして、延暦寺と東寺は、京都守護の象徴として今に至っている。ともに密教のお寺で、鎮護国家を旨とするところがまたなんとも興味深い。
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3 コメント

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すご~い! (すぽっと)
2006-07-16 02:37:15
こんなに完璧に作られていたのですね~。

風水の気。。。

それで千年も続いたのだとしたら、家の風水の考えも捨てたものじゃない、って事。。。(あまりそういうのを信じないすぽっとなのですが。。。)



またお願いしま~す



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ありがとうございます ()
2006-07-16 09:02:27
そういわれると、こういう記事も本望で。

またたまには・・・
返信する
おまけ ( 3L松田聖菜子★彡。 (まつだみなこ))
2006-07-16 22:30:28
 たしか桂川は付け替えして現在の形になった・・・と思うのですが。これは風水以前に土地の確保のためなのでしょうね。



 阪急京都線に乗って、西京極陸上競技場の逆三角形照明が見えたら平安京が近づいていることを感じます。でも1000年前はどんな風景だったのかなぁ>

西京極陸上競技場。



 1000年前の建物って・・・京都も応仁の乱などで焼けているから、それに近いものはありますけど、残念なことに江戸時代のものも危うくなっていますものね。



 あと1000年たっても・・・・変わっていないかもね>京都の碁盤の目。



PS.一応京都府サッカー協会所属4級審判員です>私。でもお呼びはかかりませんが。

 
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