アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

石舞台古墳CGで復活

2012-03-02 05:55:23 | マニア
奈良明日香村の石舞台古墳といえば、その巨大な石室であまりに有名だ。その名前の由来は、こちらの記事をご覧いただければであるが、古くからその石室がむき出しになっていたことが伺われる。

 その石舞台古墳の本来の姿をCGで復元したというニュースが目に留まった。トップ写真は、ズバリその画像である。
 これは古代史マニアにはたまらないだろう。石舞台古墳が方墳であることは有名であったが、このCGによれば二段構造だったことがわかる。


 ちなみに、石舞台古墳に関しては上円下方墳であった可能性も指摘されているが、表土が完璧になくなった今では、下方の部分しか証明のしようがない。
 もっとも上円下方墳自体、現在まで実証された例はわずか5例というから、なんともいえない(京都山科にある天智天皇陵は上円下方墳だが、後世の改造が定説になっている)。

 なるほど、この構造なら石室部分の盛り土は少なくなるし、表土がはげたことについても合理的に説明がつく。
 石舞台古墳は、その石室の巨大さでも有名であるが、地理的な情報も併せて考えれば、伝説どおり蘇我馬子の墓で間違いないだろう。

 石室を構成する石のうち最大のものは、なんと重さ77トンというからすごい。ざっくりいって、車約70台分の重さということになる。
 タイヤがついて転がりやすいはずの1トンクラスの車ですら、決して引っ張るのは楽ではないのに・・・と思うと、この作業のはかり知れなさがわかろうかと・・・

 ともあれ、単純な方墳だったとしても、一辺の長さから見て最大級であることは疑いなく、また古墳自体が小型化していく時代にあってこれはすごいというべきか。
 最近の研究では蘇我氏自体が、実は天皇だったというものまであるようだ。世界の歴史から見ても、万世一系なんていう記紀の記載はありえないし、むしろ記紀の記録の中でも積極的に蘇我氏を悪人にしようとしている節すらあるわけで、ある程度説得力のある説かと。

 記録(というか伝説的だが)、蘇我馬子の建てた宮殿は高さが48mくらいあったという話を何かで聞いたことがある。
 いずれにしても、崇峻天皇を暗殺してもお咎めがなかったんだから、こっちのほうが本物の天皇といえば天皇だったのかも・・・
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