小生、週一度所用で茗荷谷に出かける。基本的には、時間があるので田端から歩いていくことにしている。ゆっくり歩いて50分くらいだ。
概ね不忍通りを歩いていくが、途中何度か坂を登ったり、降りたりする。この辺は東京が意外に凸凹していることを象徴しているようだ。
白山通りを超えて、道が後半になって、坂を降りていくと千石三丁目の信号が見えてくるが、その近くに、トップ写真の石があるのを発見した。
その脇に、解説の看板が出ていた。この交差点は元々川が流れていたところという。ちょうど不忍通りがこの交差点を再下点としていることから、この交差する通りが川だったことがわかる。千川というから、今の千川通りにつながるようだ。
そして、この石は、ここにかかる橋の礎石だったようだ。
この坂の名前を猫又坂、橋の名前を猫又橋というそうな。
猫又といえば、以前練馬区の資料館で見に行った江戸の妖怪展でも何度か見た記憶がある。典型的な江戸時代の妖怪の名前である。妖怪展の絵で言うと、猫の妖怪で赤い手ぬぐいをかぶっているのがパターンのようだ。
当然、ここには猫又にばかされたような伝説が残っているわけで、今でいえば都会の真ん中であるが、当時はまだまだど田舎だったことを示している。
今は、通りそのものが暗渠になっていて川の匂いすらしないので、橋のイメージがまったくわかないのも、また象徴的である。
妖怪が住めなくなってしまった町・・・今の東京はそんな町なんだなあと・・・
概ね不忍通りを歩いていくが、途中何度か坂を登ったり、降りたりする。この辺は東京が意外に凸凹していることを象徴しているようだ。
白山通りを超えて、道が後半になって、坂を降りていくと千石三丁目の信号が見えてくるが、その近くに、トップ写真の石があるのを発見した。
その脇に、解説の看板が出ていた。この交差点は元々川が流れていたところという。ちょうど不忍通りがこの交差点を再下点としていることから、この交差する通りが川だったことがわかる。千川というから、今の千川通りにつながるようだ。
そして、この石は、ここにかかる橋の礎石だったようだ。
この坂の名前を猫又坂、橋の名前を猫又橋というそうな。
猫又といえば、以前練馬区の資料館で見に行った江戸の妖怪展でも何度か見た記憶がある。典型的な江戸時代の妖怪の名前である。妖怪展の絵で言うと、猫の妖怪で赤い手ぬぐいをかぶっているのがパターンのようだ。
当然、ここには猫又にばかされたような伝説が残っているわけで、今でいえば都会の真ん中であるが、当時はまだまだど田舎だったことを示している。
今は、通りそのものが暗渠になっていて川の匂いすらしないので、橋のイメージがまったくわかないのも、また象徴的である。
妖怪が住めなくなってしまった町・・・今の東京はそんな町なんだなあと・・・
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