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参議院選挙も終わり、それぞれの支持政党ごとに悲喜こもごもだとは思うが、選挙直前の安倍氏の事件で感じた違和感を記しておきたい。この記事もご参考まで。
予め書いておくが、小生が今回の件で、「安倍氏は銃撃されて当然だ」とかいうつもりはさらさらないし、銃撃自体あってはならないことだという認識でいることは念のためはっきり言っておきたい。
小生が感じた違和感は、マスコミの取り扱いやスタンスについてである。
まず表現についてだが、海外のマスコミの多くが「暗殺」という表現をとっているのに対し、国内では使っていない。
何がどう違うのかわからないが、「暗殺」という言葉を避けたいという意思があるのだろうか・・・
続いてはこれまでの政治家の事件として、テレビでは金丸信氏や細川護熙氏、それに加藤紘一氏の事件などを繰り返し報道していたが、2002年の石井紘基氏の事件を取り上げた局は記憶にない。現職の議員が刺殺された事件だが、取り上げない理由は?
ついでにいうと、この事件自体、発生したときからあまり報道されていないような・・・
だが、一番違和感を感じたのは、各局揃って喪服モードで報道していたことだ。まだ公式に死亡が発表されるかなり前から、キャスターが喪服に着替えていたところもあり、強烈な違和感を感じた。
フライングで着替えたこともさりながら、そもそも何故? と・・・
知床の遊覧船の事故のときなどにそうしたことはなかった。記憶が正しければ、東日本大震災のときなども・・・
小生の記憶でいえば、昭和天皇崩御のときくらいだろうか。大平正芳氏は現職の総理として選挙期間中に病死した。その時も、こんな扱いにはなっていなかったような・・・
では今回はなぜ? 元総理へのテロだから? って。元総理で、現在は国会議員というのなら、菅義偉氏や菅直人氏など何人かいる。
例えは悪いが、もし他の方が同じような事件に遭ったら・・・そうなっただろうか。ならないとしたら、それぐらい特別な存在なのだろうか・・・
そんなこというのも失礼なくらい、世界的な偉人だという方もいらっしゃるようだが、少なくとも小生には、この喪服モードについて合理的な理由が思いつかない。
しつこく書くが、小生死者に鞭打つような気持ちはさらさらない。そうではなく周囲の扱いが、あまりに特別扱いではないのかしらんと。
そんなことのひとつひとつが、なんとなく気持ち悪かった小生である。
*「日本人特有の宗教思想=死ねば誰しも仏様とは=明確な誤り」
どうもこの思想はアジア全体から見ましても極めて不思議で納得いかぬ思考ですが、どうもこの背景には「日本古来の武士道=どんな悪でも一度降参降伏した者へはとどめを刺さず生かしておく」と。しかしこの思想思考は自分としても、否世界的な風潮としてもどうにも納得できかねる面があります。
*「日本人は、事にムードに流されやすく特に上記の様なマスゴミ屋の判官贔屓報道には反吐が出る」
何かといえば「使者にムチ打つ何だ神田」と言いますが、そういうお前等マスゴミ屋は生前誰に対して何を言っていたのか? よもや忘れたわけではないだろうと。いい加減にしてもらいたいですね。
*「この世で起きた事は、この世で裁かれ決着をつけねばならないはず」
よく我々は「生前の善悪行いにより死後閻魔によって裁きを受ける」と。しかしながら現在「死後の世界も地獄も閻魔の存在も科学的解明も無いままに任せて良いものか?」としたら、やはり我々人間は「この世で起きた事起こした事については、やはりこの世で決着をつける=司法判断にしろ何にしろ」絶対に必要ですね。
*「信じられぬが最近、若者の間でハンムラビ法典が注目されていると言う事実」
ご承知の通りこの「ハンムラビ(ハムラビ)法典とは=古代の恐ろしい法律法典であり 目玉をえぐられた者は相手の目玉をえぐり出せ 両腕を切り落とされた者は相手の両腕を切り落とせ と言う双方向インタラクティヴ?報復権限とも呼べる恐ろしい法典ですが、この真実を知ってか知らぬか若い者達に少なからず影響を与えているとしたら、、、我々は真剣に考えねばならないでしょう。
*「人間誰でも功罪相半ば、矛盾も在ればまぁ、無事故無違反ならぬ=無事故無検挙だけの事も在る」
つまり「散々っぱら悪い事をしながらも、危ねぇ処で上手く逃れしらばっくれて、その罪=無謙虚なだけの行為を覆い隠す様な=一見善行や国益に値する様な行動により無検挙罪を覆い隠す。しかもこういう愚行を「日頃権力監視等と嘯くマスゴミ屋が率先してやっている」事に誰も?抱かぬ不思議さ。
*「世間や地球的視点=トランスグローバリズムアイ等から視る視点と、真に土着するド底辺の者達や実際に何らかの諸問題渦中に放り込まれた者達との視点思考は、まるっきり異なる。現実に何処ぞの誰かの行為により「この世を去ったり生き地獄みている連中」も多い事実を何と見るか、、、
*「人間とは? この世とお別れする死の瞬間こそその者の今までの善悪全てが明らかとなる」
つまり「どういうこの世との別れ方」によりはっきりと解るのですね。中には本当に「苦しんで苦しんでのたうち回り、銭金使い放題でそこら中から恨まれてこの世と別れる者」もいれば「なんとなく眠っているうちに知らぬ間にこの世と別れた者」もいる。自分も色々みて参りましたが。
*「自分は人を殺めるのは推奨せぬし容疑者犯人を庇い擁護する事は一切絶対に無い しかし、、、」
盗人にも三分の理が在る と言う日本独自の思考ってのも今回「もっと深く、真剣に議論勉強」しなくてはならぬと痛感いたしました。
*「一番残念無念は、たまたま?(意図的?)参院選の最中、今回の事象が一部政党を利するだけとしたら」
真に残念であり「何か裏で誰かが糸を引いていたのでは?」等との在らぬ噂や陰謀論を引き出す
トリガーとならぬ事を真に希望いたすものです。
今回は、自分大石の独り言をつぶやかせて頂きました事お許しください。 敬具
有名な落語の演目に「らくだ」というのがあります。ど悪人の「らくだ」と呼ばれる人物が亡くなるところからスタートするのですが、その中に「こんならくださんでも死ねば仏」というセリフがあります。とかく日本人はこの思想が底辺にあるのは事実のようですが、どっこいそうはいかないという方も・・・
といいつつ、この記事では個人としての安倍氏の評価などではなく、マスコミのスタンスについて述べさせていただいたわけで、あまりの取り扱いに違和感を禁じ得なかったという・・・
東日本大震災の際は、CMなし期間⇒ACジャパンの啓発ばかり、でしたね。
2002年の事件のこと、確かにブログを拝見してハッと思い出しました。野党議員が刺殺されるという衝撃的な事件でしたね。あれこそ、言論の封殺。
今回は、暗殺という言葉はもちろん、殺害、も使われません。
民主主義への攻撃、という表現も、事件直後はともかく、すでに違和感。
東日本大震災のとき、多くの企業がCMを自粛し、ACジャパン一辺倒になりました。
あの時は、被害の規模や被災者の数を考えれば・・・と納得感もありましたが、今回は?
そこに流れる忖度の空気感こそにイヤなものを感じる小生です。