アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

江戸時代の時の数え方

2011-11-11 06:24:03 | 薀蓄
今なんどきだい、「へえ、九つで」「十、十一・・・」というやりとりで蕎麦の勘定をごまかす落語「時そば」は、あまりに有名な落語のお題である。が、当時の時間の数え方って、ご存じない方が多い。そこで、今日はその辺の解説など・・・

 まず江戸時代の刻(とき)は1日を12に分ける。だから、単純計算すれば一刻は2時間ということになるが、厳密には2時間程度というべきだ。
 その理由は後述するとして、12といえば十二支で、午前0時を子(ね)として、以下丑・寅・卯・辰・・・と続く。だから、草木も眠る「丑充つ」は午前二時頃となる。

 よって、午(うま)の刻というのは、ちょうどお昼の12時で、これを基準にするから、午前と午後という名前がつくことになる。
 この呼び名の場合は、一日一度しか十二支は出てこないので、未とか戌は必ず午後ということになるが、四つとか五つとかいう呼び方をする場合はそうはいかない。

 まず基本ルールとして、子と午の刻は九つである。そこから時が進むにつれ、数字が下がり、丑と未が八つ、寅と申が七つ、卯と酉が六つ、辰と戌が五つ、巳と亥が四つである。
 したがって、四つの次は九つにはねあがる。時そばでは九つ(真夜中)で、ごまかした成功者を見て、翌日失敗する人が四つ(22時頃)なのはこのせいだ。

 おやつは「お八つ」で午後2時から4時の間、となれば納得がいくだろう。だが、冒頭2時間程度と書いた理由にここで触れてみたい。
 実は、当時は絶対的な時刻ではなく、日の出と日の入りを六つとし、昼と夜をそれぞれ六等分していたのだ。だから、夏と冬は同じ一刻でも長さが異なるのだ。

 明け六つとか暮れ六つの鐘なんて言葉は、聞いたことがあるのではないだろうか。♪お江戸日本橋七つ立ち~なんて歌があるが、要は夜明けの一刻前に出発するイメージだ。
 夏だと三時半ごろか。冬だと、五時ころというイメージか。つまり、当時でいうと夜明けの一刻前が七つであり、絶対的に何時と決められないのである。

 逆に言うと、当時は自然な流れでサマータイムを実践していたことになる。もっとも夏場は長時間勤務になっていたことになるが・・・(汗)
 もっとも七つ立ちは旅のときの早発ちであり、毎日そんな時間から動いていたのは魚屋とか豆腐屋さんくらいのようだ。

 今年は節電のシフトで朝7時から勤務なんて人もいたようだ。だとすると皮肉にも、夏も冬も毎日が七つ立ち、なんて人もいるのが現代なのかも知れない。
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