海外ドラマ「ビッグバンセオリー」の主要登場人物に、シェルドンという人がいる。これが奇跡的なキャラクターで、最後には俳優が1話あたり9000万円のギャラをもらっていたと聞くが、それくらいの価値はあるキャラだと思う。もうセリフ回しがひどすぎて、古今東西のあらゆる人権問題に喧嘩を売っているが「キャラだからしょうがない」で許される。まぁ許さない人もいるかもだけども。シェルドンの話し相手のキャラクターは、彼の言葉のあまりのひどさにたいていはあぜんとしてしまって、少し応酬したりもするが、大体の場合は「もういいやコイツは」と途中で諦めてしまう。それでも一応彼らは友達で、絶交することはない。と、すでに絶交してしまった人のことを思い出す。結局、シェルドンみたいな筋の通った一貫性や肝の太さが私になかったせいで、飽きられたのだと思う。まぁ、観客に飽きられたところでドラマのように人生は終われないので、自分という一人の客のために生きている状態である。
懐かしい絵文字



思わず使っちゃった。
この十日間、自分が緑内障かもしれないという不安で情緒がジェットコースターのように上がったり下がったりしていた。本日の夕方、運命の視野検査に挑んだ。
結果は、左眼の視野の一部にやや視神経の感度が低下した箇所が確認されたものの、視野そのものはおおむね保たれていることが判明。ひと月後に更なる検査があるので、まだ何とも言えないが、現状がわかっただけでも心理的にかなり楽になった。ラスト眼科からトゥデイ眼科までの十日間は、ここ数年で一番長い十日間だった。夕飯は、メンタルジェットコースターをくぐり抜けた自分を労うために近所にオープンしたマグロ料理屋で乾杯した。
今日はそのほか調べ物したり、コロナについて思いを巡らせたり(?)しながら過ごした。
キングスマンの第一作に「人間は、地球という宿主を殺している自覚がある唯一のウイルスだ」みたいなサミュエル・L・ジャクソンの台詞があった。
いざ実際にウイルスに何波も襲われてみると、ウイルスの世界は我々、いや少なくとも私がイメージしていたより、はるかに繊細だった。毒性が強すぎれば、他の個体に感染させる前に宿主が死んでしまってウイルスは広がらないし、弱すぎると、蔓延はするが個々の寿命が短くなる(という理解で良いのか?)。さらにコロナが流行るとインフルエンザは鳴りを潜める。人の身体の内部の、彼らの居住地として割り当て可能な限られた土地の取り合いになっているらしい。正直そんなにも住宅不足とは思わなかった。コロナとインフルに同時に罹患する可能性すらあると思っていたのに、思いのほか彼らは仲良くなかった。でも、そういえば味噌は滅多なことでカビない。ミクロの世界は人間以上に分断と排他主義が蔓延っているのだろうか。