三田和実-陶房KAZUMITACO.

やきものと雑談

GブライヤーズのタイタニックとBイーノのオブスキュアレコード

2009年09月01日 | 音楽
イギリス出身の現代音楽家”ギャビンブライヤーズ”の代表作に”タイタニック号の沈没=The Shinking of theTitanic"という作品がある。

この曲は、沈み行くタイタニック号の船尾で楽団が最後の最後まで"Autumn(主よ、みもとに=人々を安らかな死へと送り出す賛美歌-阿木 譲 氏訳)を演奏しつづけていたという逸話に、同じ音楽家として深い感銘を受け作曲されたもので、1970年頃からタイタニックの新しい発見、また新しいインスピレーションを得た時に随時書き加えられ、すでに3度以上の録音がなされているようである。

私が最初に聴いたのはもう10年以上も前になると思うが、(たぶん)3度目の録音になる1995年版。
この曲は約1時間に渡り延々とその”Autumn”が静かに繰り返される。
多くの命を乗せて沈み行くタイタニックの悲劇を、静かに深い祈りと悲しみをこめてゆっくりとゆっくりと沈んで行くといった光景をミニマル的に反復表現された現代曲であり、当時私は宮沢賢治の銀河鉄道にも描かれた描写なども思い描きながら、想像力を思い巡らしたものだった。

しかし、数年後あの映画”タイタニック”が公開され、私が思い描いていたそのイメージは見事に打ち消される事になってしまった。映画で表現されている様に実際の沈んで行くタイタニックの船上は惨状とパニックの連続であり、楽団もどこまで演奏出来たのかは分からない。映画と言うある意味リアルな表現を見てしまうと。今迄私がこの曲を通して思い描いていたイメージは一種のロマンチシズムにしか過ぎなっかったのだろうかと思ったものだ。

それから数年すっかりこの曲の事を忘れていたが、今回ネットでブライアンイーノについて調べていたら、1975年頃イーノが当時、実験的な音楽のために作ったレーベル”オブスキュア レコード”の最初のレコーディングがブライヤーズの(たぶん)最初の録音であった”The Shinking of the Titanic"という事を知る。
私は当時からイーノのファンで(現在では私にとってのロックは一種懐メロの様なものになってしまったが、イーノのみずっと引き続いている。)このオブスキュアレコードの存在は知っていたのだが、例えイーノのプロデュースであろうと知らない作曲家の何が出て来るか分からない輸入盤など到底手が出せるわけなかった。

今回、早速そのCDを注文し、久しぶりにブライヤーズのタイタニックに接する事になる。
録音時間は”95年版の半分以下の約25分。95年版の原曲にあたる。
多くの人が同じ経験をもつと思うが、一度気に入った曲を他の演奏で聴くとやはり何か物足りない、と感じてしまいがちだが、今回あらためて両アルバムを聴いてみると、私は映画タイタニックの呪縛から離れ、”音楽芸術としての一種のロマンティシズム”これもいい!
と、思える様になった。それはある一面でのリアリズムであり、現代音楽家ブライヤーズにとってタイタニック号への追悼と深い祈りのこもった潜在意識下に響く様な名作である。

ちなみにこのオブキュアレコードから出しているイーノのディスクリートミュージックも今回一緒に聴き直してみた。3曲のパッヘルベルのカノンが延々とゆっくりと繰り返される。これは基本的にブライヤーズのタイタニックと同質のものだ。そしてオブスキュアからブライヤーズはイーノとのコラボを含め3枚の録音をしていた。
あらためて当時のイーノは現代音楽やジャズ、様々な分野からインスパイアーされながら新しい音楽像を作り上げようとしていたかという事も分かった。

イーノのオブスキュアレコードについては評論家、阿木 譲氏の解説が詳しい。

http://www.nu-things.com/blog/2008/03/

(おまけ)95年版タイタニックのCDには他の作曲家によるものだが”Raising theTitanic"という曲のボーナスCDがついていて、 何とタイタニックが浮かび上がって来る。これもいい!

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映画 ”善き人のためのソナタ”

2009年08月18日 | 映画

もう2年以上も前の映画だが、07年度のアカデミー外国映画賞をはじめ世界の数々の賞を取った”善き人のためのソナタ”を観た。
ここ数年の間ではお気に入りの映画のひとつで今回で3回目。

http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/

舞台は東ベルリン、壁が崩壊する約4年前の1984年頃の東ドイツを描いた映画で、極度の統制下の中で生きる芸術家(劇作家)とそれを監視、盗聴する冷徹な国家保安省(シュタージ)の役人が盗聴して行く間に芸術家の感性に共鳴し、自らの身もかえりみず陰ながら芸術家を支援して行く立場に変貌してゆく物語だ。

私の”作品集5”のコメントでも軽く触れたが、88年11月、私はチェコから東ベルリン行きの夜行列車に乗った。
列車のコンパートメントではおそらく東ドイツでは余りに珍しいアジア人(私)をみても途中から同席して来た人たちはまるで無視。何か私がいるだけで厄介な存在という雰囲気だった。

早朝(am6:00頃)東ベルリンに着いた。
まだ陽も上らず、凍てついた空気だったが、駅構内も外も、異様なくらい人が多かった。
私は、元々東ヨーロッパは旅の予定に無かったため、何一つガイドブックも資料も地図さえ持っていない、観光案内所も見あたらなかったため、どこに行って良いやら途方に暮れるばかり、人は多いのだが、列車の中同様、声をかける雰囲気ではない、私をいないもののように皆、足早に通り過ぎて行くばかり。
すると後ろから地味な女性がすっとやって来て、あの塔の方へ行って観なさいと指を指し、逃げる様に足早に去って行ってしまった。
多分途方に暮れている私を見て、声をかけずに入られなかったのだろう。
しかし、なんでまるで逃げる様に去ってしまうのか?
この時には私も感ずいていた。たぶんこの国では目だってはいけないのだ。
つまり密告者や秘密警察(それこそシュタージ)のような存在がにらみを効かせている世界なのだ。

ひとまず私はゆっくりと朝食をすませ、女性に言われた塔に上り街を見渡し、街を歩く事にした。百貨店に着くと、人並みはさらに多い。
しかし他の東欧諸国同様、売る品物が極めて少なく(ほとんど無いに等しい)、その限られた商品に行列を作っている状態。缶詰め一つ買うのに行列を作っている様な異様な光景だった。

特に観光名所がある様に見えなかったので、地下鉄に乗って東ベルリン見学をする事にした。
ビザを取らずに入った私が東ドイツに居られるのはトランジットのその日1日だけ。貴重な東ドイツでの1日、何でも見たかった。

地下鉄と言ってもすぐに地上に上がり、風景も眺められるので行ける所まで行く事にした。人々は相変わらず私を見る事をさけている様だった。
小1時間も乗っていたろうか、気がつけば周りは完全な農村風景。
このような国に外国人がこんな所まで着てしまっていいのだろうか。
少々不安にもなったし、これ以上行っても何も無いだろうと引き返した。

その後も夕方まで街をブラブラと歩き、西ベルリンに入った。
結局接触があったのは早朝の女性と朝、昼に食べたフランクフルト屋のみ、
人は多かったが、何も無かった。
しかし、その印象は統制社会の抑圧感。私が行った社会主義国は多くないが、前のチェコとハンガリー、最初の中国。
その頃の社会主義国というのは一様に抑圧感が強く、自由がない。
ある意味中国はその抑圧を各個人収まりきれないエネルギーを吐き出していた様に感じたが、東欧では押さえつけられ、萎縮してしまった重さを感じた。
中でも東ドイツはダントツ、萎縮し、希望も夢も失ってしまったかの様な暗さを感じた。
出発前にジョージオーウエルの原作を映画化した”1984”という暗い映画を見たが、そこに描かれた超管理社会が個人の自由を奪い、希望を失った社会体制は最もこの東ドイツが近いように感じた。

西ベルリンに入るとそこは別世界、自由主義経済、私たちが思い描くヨーロッパがあった。

当時、一般的な旅行者は西ドイツから列車で直接西ベルリンに入り、観光ビザを取得し東ドイツに入るというのが一般的だった。
しかしその行き方だと何の疑いも無く西から西へと通過し、東を見るという形だったが、東から来るとある意味異常なのは東の中にありながら壁に囲まれ、西を維持しつずけていた西ベルリンである事に気ずく事になる。
いわゆる東西冷戦の象徴的な場所だった。

私の行った約1年後ポーランド、ハンガリー辺りから徐々に社会主義体制が崩壊、東ドイツも崩壊し、壁は壊された。
今では映画にある様に悪戦苦闘し西と接触しようとしたり,密入国しようとしていたのが嘘の様だ。

たった1日の東ドイツだったが、その印象は強く、この映画を見ながら、当時の事を思い出した。

*公式な発表で当時の国家保安省局員は9万1千人、また一般人の中に17万人の 密告登録者がいた。一般人の8人に一人の割合という話もある。
ちなみにこの映画で主役を演じた、ヴィースラー役のウルリッヒ.ミューエという東ドイツの俳優は十数年に渡り、秘密裏に密告者であった奥さんに監視を受けていたそうだ。

 
        




マルティンシュタットフェルトのバッハー平均律クラヴィーア曲集

2009年06月20日 | 音楽
先週所沢まで、3時間かけてこの所話題となりつつある、ドイツの若手ピアニスト、マルティンシュタットフェルトのコンサートに行って来ました。


バッハの平均律は私がほとんど初めて深くバッハの音楽に触れた最初の曲で、自分が死んだらこの曲とやはりバッハのミサ曲を流し続けて欲しいと思うくらい好きな曲なのですが、もうバッハを聴く様になって20年近くなるのに私の知る限り、1度もこの曲集のコンサートが行われる事がありませんでした。


思うに普通演奏時間2時間に及ぶ、この鍵盤曲の旧約聖書と言われる曲は、1回のコンサートで演奏するには大変な集中力がいるのではないでしょうか?
やはり、全く1人で演奏される無伴奏ヴァイオリンやチェロと言った曲は普通2晩かけて演奏されるもので、演奏時間もそう変わりありません。例えピアノと弦楽器の肉体的運動量の差があったにしても。


私はまったく楽器が出来ないので本当の所良くわかりませんが、この24曲(1曲がプレリュードとフーガに別れているため実質48曲)及ぶ曲を1晩で聴衆の目に囲まれながら、当然間違えない様細心の注意を払い、あの膨大な音符を1音1音研ぎすまされた音楽にして行くというのは、実際これは大変な事なのではないか、だから、今迄私の知る範囲内ではありますが大変有名な演奏家でも録音はしても、コンサートが行われないのではないかと思うのです。(しかし何でこの曲は練習曲集なのだろうか?恐ろしく内容の深い練習曲で、演奏家にとっても恐るべき難曲集に思えるですが....。)


その様な意味でも、このコンサートは私にとって願ってもないものでした。おまけに何という安さ|すごくきれいなホールでだいぶ後から買っても20列目のほぼど真ん中、それが2500円なのですから。日本のちょっとしたミュージシャンでも今は8000~1万円位普通にするんでしょ。たぶん...。


今回演奏したMシュタットフェルトというドイツのピアニストは、本国では数年前から話題だったようですが、日本では昨年の初コンーサトで、Gグールドを知らない世代の若手ピアニストとして新聞で取り上げられました。
実際私も今回初めて耳にして、その若々しい繊細なタッチ、音のまろやかさ、感情の込めかた、若干飛ばし過ぎで音が混じり合ってしまう部分も感じましたが、約2時間私はバッハ~シュタットフェルトの世界に完全に引き込まれた素晴らしいコンサートでした。


ちなみにその前週にはやはりバッハのゴールドベルク変奏曲にも行って来ました、彼はこのゴールドベルクで本国でも日本でもデヴューしましたが、これはグールドを意識したレコード会社の戦略と思いますが、彼独自の演奏で聞き慣れないとおや?と思う部分もありますが、大変弾きこなれた演奏でした、(しかし残念なことに私は睡眠不足だったのか、睡魔との戦いだったのですが......。)


彼はこれからより大きな器として育って行くでしょう。しかし今のその繊細な感覚を失う事なく成功して行く事を願い、これからも楽しみに追っかけて行きたいと思っています。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
価格:¥ 3,780(税込)
発売日:2009-02-18



映画 ”ふたりのベロニカ”よりサウンドトラック

2009年06月10日 | 音楽
「05_van_den_budenmayer_concerto.m4a」をダウンロード

Podcast フィードから音楽を入れることが出来る事を知って試しに入れてみました。
もう15年位前のキシェロフスキー監督の”二人のベロニカ”からの1曲です。
映画の中では200年以上前のオランダの作曲家ヴァン・デン・ブッデンマイヤーが作ったというので、私は本気でこのブッデンマイヤーという作曲はどういう人なのか調べてしまいましたが、これはあくまで映画の中の架空の人物で本当の作曲家はズビグニェフ・プレイスネルです。
私の大のお気に入りの映画、音楽です。

ただし、曲を聴く間は、画面が真っ黒になってしまう様で、もう1ページ開いておいてお聴きにになると良いと思います。(しかしこれっていいのでしょうか?)

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第3回 グループあてんぽ作陶展

2009年01月20日 | やきもの
今年で3回目となった、グループあてんぽ作陶展のご紹介です。
メンバーはしっかり息の会った、服部のぶたか、服部俊三、花戊まさき、岩本尚樹、三田和実。
今年も各自の個性を生かした新作を取り揃え、お待ちしております。
会期中は毎日メンバーが交替で在廊しています。
是非お立ち寄り、お声を聞かせて下さい。

会期:2009年2月10日(火)~22日(日) AM10:00~PM6:00(最終日はPM4:00迄)
まちかど美術館
栃木県小山市中央町2-1-8 メゾンタカキュー1F
0285-21-3381
小山駅西口より歩5分、小山市役所の手前交差点角です。

私の在廊日は11日、15日、19日の予定です。興味のある方是非、御来館下さい。
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2008 秋 陶器市へ御来店のお客様へ

2008年11月02日 | やきもの
こんにちは、今回も陶器市への御来店ありがとうございました。 
器の具合はいかがでしょうか?お気に召しましたら幸いです。

今年の陶器市は4日間と短期集中ですが、大恐慌の再来かなどと囁かれ若干心配もしてましたが、
お天気も良く、毎回遠くから足を運んで下さる多くのお客様に支えられ、また初めてのお客様も本当に気に入って頂き、作者名利につきます。是非お声をお待ちしております。
これからもよろしくお願いします。
三田和実


陶器市にご来店のお客様へ

2008年05月03日 | 通販・買い物
 陶器市への御来店ありがとうございました。
ご覧の様にまだこのブログ欄まともに始まってません。
もう少し落ち着いてきたら、作品紹介も含めゆっくり始めたいと思っています。

私の作品へのご意見、感想、ご要望などございましたら、是非おきかせください。
私の器が皆さんの生活に潤いを少しでも持たせられましたら幸いです。
これからもよろしく|

                                三田和実
 
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グループあてんぽ作陶展

2008年01月13日 | アート・文化
昨年に引き続き、第2回あてんぽ作陶展のお知らせです。

出展者は栃木県益子町で活動する、岩本尚樹 花戊まさき 服部俊三 服部のぶたか三田和実。   

伝統的な益子風のやきものから、私の洋風やきもの、陶器の人形まで各自の個性を生かした現在の益子をよく現した作品展です。
会期中は、メンバーのうち一人交替で在廊しています。
お近くの方、興味のあるかた、是非お立ち寄り、お声をかけて下さい。

会期:2008、2月5日(火)~17(日) AM10:00~18:00

まちかど美術館
栃木県小山市中央町2-1-8 メゾンタカキュー1F
0285-21-3381

小山駅西口より歩5分、小山市役所の手前交差点角です。
ちなみに、私のいる日は9日、14日、17日(17日はPM4:00迄)
です。お待ちしてます。Img_0002_6


陶芸-結晶釉 三田和実

2007年07月23日 | アート・文化
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はじめまして、
益子は必ずしも伝統にとらわれる事無く、多種多様で、各人の個性を引き出す事の可能な、許容範囲の広い自由な、素晴らしい陶器の産地です。
そんな益子に移り住んで早15年になります。私が主に制作しているのは、結晶釉と油滴天目というもので、およそいわゆる益子焼のイメージからかけ離れたものを作りつづけています。
こちらのページでは、よく結晶釉って何?と言ったご質問とか、私の作品はどこで購入出来るの?と言ったご質問にお答えすると同時に私の作品紹介のページとさせて頂こうと思います、
何しろパソコンに不慣れな為、たまに、日記なども含めゆっくりとやって行こうと思っています。