三田和実-陶房KAZUMITACO.

やきものと雑談

岡本太郎の縄文

2015年01月26日 | アート・文化

 

ある番組で太郎さんが言ったそうだ。”縄文は私が発見したのだ。”

司会者:それはすごいですね。一体どこで発見したのですか?

太郎さん:そっ、それは上野の博物館だ!

これを聴いて大笑いした事がある。

当時、研究者の間で縄文は野蛮人のもので文化ではないと認められていなかった。それを太郎さんは上野の博物館で見て、この外に向かうエネルギー、表現力、これはれっきとした文化であると初めて認め、日本人のルーツを掘り下げた功績は大きい。が、いかにも太郎さんらしい発言で笑えますね。

私の住む栃木県は弥生文化が最も遅れた地域だそうだ。稲作が紀元前、北九州に渡来人によってもたらされ徐々に東に移動、京都あたりから2方面に分かれ片方は愛知方面へ、片方は東北に渡り、東北から栃木方面へ南下して行ったそうだ。県の研究者によると、栃木は稲作を特に必要としていなかったのでは、という事だった。

そう言えば確かに栃木には縄文系の顔つきの人が多いかも。日本人の約4割が今も縄文人のY染色体D2になるのだそうだ。

太郎さんを見習って日本人もそろそろ外に向かって爆発しましょうか。


 <上野の博物館本館にて>


 


国立博物館-法隆寺宝物館と藤原真理-バッハの無伴奏チェロ全曲演奏会

2015年01月19日 | アート・文化

土日に東京に行って来ました。

バッハのコンサート目当てだったけど行きに上野にぶらりと立ち寄って、Facebookでオススメされていた国立博物館の法隆寺宝物館に寄ってみた。

この宝物館、博物館の片隅にあるため今迄気がつかなかったのだけど、ゆとりがあってなんときれいな事。

照明が抑えられ、一つ一つガラスケースに飾られている3~50cmほどの仏像はまるで宝石を眺めているかのよう。

展示量もちょうど良くゆっくりと見る事が出来る。休憩するスペースもたっぷり。おまけに着いた時に運良くガイドツアーが行われていて100点満点でした。博物館に行ったら、ちょいと一足のばしてゆったりと奈良時代(飛鳥時代になるのかな?)の宝物をご覧になってみて下さい。

ちなみに博物館はカメラ×マークが無ければフラッシュなしで撮影もOKです。前に長谷川等伯の国宝松林図屏風も撮影出来、驚いた事があります。ただご覧の通り手ぶれには注意ですね。

余談ですが、最近、聖徳太子は実在しなかった説が話題になってますね。私はいなかった説に一票です。厩戸皇子も怪しい。日本書記の出来上がった頃にはすでに聖書が日本に入って来ていたと思います。モデルにした人物はいると思いますが。まあ、私の知識レベルではあてになりませんが。

 

今回は話が完璧に2つになります。

翌日は武蔵野市民文化センターでの藤原真理さんのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会。

全曲演奏会というのはずっとこれはミスプリなんじゃないかと半信半疑だったのですが、これが驚くことに本当だったのですね。

全曲というのは録音でも約130分、演奏会では休息を含め3時間になってしまう。実際ほとんどの演奏家が2日に分けます。あの大男ミーシャマイスキーでさえ、無伴奏にはたった一人の重圧と緊張感で2日に分けている(と言っていた)程の内容なのに、失礼だけど年配で華奢な藤原さん、淡々と表情も変えずに見事に弾ききりました。

おまけに自分の席は4列目ど真ん中、こちらも居眠りなど出来ない。僕は5番6番が好きなのですが、5番の一曲目、前奏曲は滑らかでよく歌ってとてもすばらしい演奏。最後の6番は本来5弦の古楽器で行うべきの曲ですが、モダンチェロを扱う方々は4弦で弾く為、チェロを抱え込む様に押さえの指が弓に接触するくらい下の方の弦を弾く事になるという事が改めて分かりました。4弦ならではの必殺技ですが、少々無理も感じました。

また、アンコールには振り出しに戻って1番の前奏曲、有名すぎる曲だけど1番の調和のとれたバランスのいい内容を改めて感じたのでした。

1971年から活躍しているという事だからキャリアはもう45年という事ですか。立ち上がると心持ち足を引きずっている様でしたが気力は十分。立派。拍手です。

おまけにこのコンサート、チケット1200円だったのです。武蔵野市民文化センターにも拍手。

 

<国立博物館-法隆寺宝物館>

 ・摩耶夫人及び天人像

 

・竜首水瓶

 バランスよく、ギリシャ、ペルシャなどの絵付けも入っていたようでこの時代にして完成度抜群。

 ・本館 十二神将

 格好いいですねー。

 ・吉祥寺のハーモニカ横町

 今も駅前に残っている昔ながらの横町。こういうバザール的な所は世界中どこも大好き。

 武蔵野市民文化センターでのコンサート

2日間大満喫でございまいした。

 

 

 


下野国府と薬師寺散歩

2015年01月13日 | 史跡見学

この3連休、栃木市にある国府と下野市にある国分寺、薬師寺跡を中心に古くからある神社や古墳を見学してきた。

国府とは奈良時代の日本に60か所以上置かれた、国庁を中心に作られた現在の県庁所在地的都市機能を持つ所だが、下野に於いては国庁から薬師寺あたりまで10Km以上の広さ。もちろん当時の中心、奈良に比べたら比べ物にはならないが各施設もなかなかの大きさ、こんなところにもこんな大きな立派な施設をよく作ったものだとつくずく感心する。同時に当時の農民への重税と兵役、そこに乗っかる貴族階級という構図は常に見逃す訳には行かない。

とは言え残念な事に下野に於いて、残っているのはすべて広大な空き地に僅かに復元された建物と建物の礎石のみ。ほとんどすべてが焼失または破壊されてしまい、もぬけの殻状態。

多くの遺跡、古代文明ファン同様、私もその地に立ち、歴史をひも解きながら、過去にそこで行われて来たことを想像や空想を楽しむものだが、さすがにここまで何も無いと、感じるはだだ広い空間に吹く冷たい風ばかりか・・・・。

その中で今回とくに感じたものが大きかったのは、孝謙天皇(称徳天皇)の寵を受け太政大臣まで上り詰め、一時は天皇にまで推薦され、国作りを推進して行った”道鏡”がおそらくは陰謀の上、姦通、巨根説まで流され失脚し、最後に左遷され亡くなったのがここ下野薬師寺別当で、現在の龍興寺に塚が残っている。

どんな思いであったろう?さぞかし無念な事だったろう。

 

<下野国庁跡前殿>    

    

 

<総社町大神神社>

奈良県桜井市にある大神神社(最近かっこいいJRコマーシャルやってますね)の摂社。この写真は境内にある”室の八島”。奈良時代から、歌枕として万葉集や古今和歌集などに登場し、芭蕉も訪れた。

     

<篠塚稲荷神社>

 田畑の中にある古墳の上に建てられた神社。観光情報にも載っていない小さな神社だが、とても味わいがある。

  

<国分寺跡>

 

<七重の塔跡>

この先の基台部分に七重の塔が建っていたそうだ。立派だったでしょうね。是非復元して欲しい。

 

<薬師寺回廊跡>

   

<道鏡塚>

 龍興寺の隅にひっそりと建っています。

 

連休中日には自治会での”お焚き上げ”がありました。