Kei's Page

 
 世の中のニュースへの意見や、サムライの仕事はどういうものかなど、自分の興味あるものについて書いてるよん。

 悩める人々、

2013-05-22 |  サムライあれこれ、

 俺は、仕事柄聞かれることも多いけど、たとえば、開業やら営業やらってなると、俺自身も自分より先に開業したりサムライやってる“先輩たち”に質問して聞くこともある、
 でも、普段は圧倒的に聞かれる立場の方が多い。
 それでも、仕事以外のことで聞かれる、というか、「聞いてほしい」と言われることも多く、俺はそう言ってもらえてありがたくもありつつ聞くしかできないけど、それだけ悩んで救いというか、聞いてもらってラクに感じたいという人が多いんかなとも感じる。

 この春以降は、仕事以外では、資格試験についてとか、人生の岐路についてとか、仕事やそれこそ独立開業とか、さまざまなテーマで俺に話してくれる人の悩みを聞いてきた。
 俺自身は、自分が悩んでる時に人から詮索されたり「教えてやろうか」的な態度で聞かれるのもイヤなので(笑)、あえて自分からはさらけ出して悩みや迷いを人に言うことはなかった。人に言うなら、深く話せる、信頼のおける人に聞いたり相談したりしてた。やはりその相手は選ぶ。そういう選んだ人は少なくとも上から言うでもないし、ちゃんと同じ目線で俺に話してくれてありがたい人ら。だから俺も深く話せたりさらけ出せる。
 すんごく困った時期を乗り越えた経営者の話を聞いて、その人自身もさらけ出して自分のつらい時期やカネのことで怖かった時期を話してくれて、それを聞いて泣きそうになったこともある。
 それは怖いからって泣きそうになったんではなく、まずその人がそこまで俺にさらけ出して、カッコつけることもなく赤裸々に話してくれたことがうれしかったこと、そして、俺自身も事業をするにあたり、それだけの覚悟、ハラをくくる決意が必要ということをつきつけられてこれが現実だと教えてくれたこと、に感動したからだ。
 「開業」というと、人からおめでとうと言われたり、カッコいいものだとも見られがちだけど、いやいや、実際に自分でやるとなると、そりゃ、ホント、カッコだけではいかない、そのウラには厳しい現実がある。まずそこまで経験者として話してくれる“先輩たち”がいることに感謝。そういう人は、今も気を引き締めて走り続けがんばり続けてる、だから言うことも説得力があるし、こちらも今後ともそういう人らにアドバイスを求めようとも思うし、その人を逆に応援したいとも思える。

 俺は俺でひねくれてて、しょぼいくせにこだわりやプライドもある(笑)。だから、最近でこそ周りの会社やってる人とかサムライの人に聞くことも多いけど、「結局は自分で解決する」、「誰も助けてはくれない」という結論に落ち着く。
 うまくいくまでの過程やヒントは聞くけど、それをどうしていくかも自分次第というのをよく感じる。
 それもそうだ。
 要は、そういう価値ある話を聞いたあと、刺激を受けたあとに、自分がどうしていくか、それに尽きるってこと。
 俺はそう思う。

 でも、逆の立場で人の悩みを聞く時に、俺から聞かなくても、よほど悩んでたり聞いてもらいたいのか、こんな俺に気持ちを開いて難しい状況や試練のこと、悩みをいろいろ話してくれる人もいる。俺自身も、そういう話を聞いて、自分と重ね合わせられるとこや、違う視点で考えられることもある。ただ上から「こうした方がいいに決まってるやん」とかって言うんじゃなくて、なるべく一緒の目線で聞くようにして一緒に考えてあいづちもうって聞く。

 俺は、それこそよく本にあるような「聞くということ」が特にうまいわけでもない。相手の目を見るとか適宜あいづちをうつとか、そんなんに細かくこだわってもない。
 大事なのはそういうクセとか態度そのものより、いかに話をちゃんと聞いてそれを自分の中で取り入れるか、だ。
 俺も、そこまで幅広くカウンセリング的なことはしてるわけでもないんで(笑)、そういう聞く態度とか心理的な専門的なことはよくわからんけど、わからんからこそシンプルに、まっとうに素直に聞く、というのを心掛けてる。
 あまり「聞く」ことそのもの以外のことを意識してては、気が散って肝心の話自体理解できないとも思うんで。

 しかし、ネガティヴになってる人は、オーラも出るコトバもネガティヴ。
 まあ、それもわかる。
 そういう時もあるさ、人間だもの。
 たとえば、資格試験で、試験の日が近づく、残り日数がなくなる、というと精神的にもしんどくもなる。時間との闘い、体力的、精神的な戦いが日々続いてる。そういう人の悩みも聞いてきた。
 そういう人の状況は、以前もここで書いたけど、その人が望んでそう自身を仕向けてるとこもあり、それを自分で乗り越えないといけないものでもある。ま、そう言っちゃおしまいでもあるけど、それでも聞いてて、俺は資格試験を受ける人へは「俺も苦労したよ、ヘコんだよ」とも共感して言う。そこでも、「だから俺も一緒だったんよ、みんな一緒だよ」とも言える。
 そのほか、アトピーとか仕事のこととか、人間関係とか、カネのこととか、悩む人はいろんなプライベートな理由があったりもする。
 みんなそんな大変ななか生きてるんだ、と実感する。

 人それぞれその環境や状況で悩みはある。
 その原因や理由もさまざま。
 そういう悩みや苦しみや、現実の厳しさは誰しもがあるもので、そこで奮起できるか、気持ち的に一掃して前向きにできるか、そこがその人の命運、運命、結果を分けると思う。
 結局“精神論”になるとこもあると思う。
 そういうのも、それこそ、自己啓発やら自己暗示やらの本に書いてもいるんだろうけど、経営、事業に関する本にも精神論的な要素が多く書かれてる。事業主の考え方とかコツとかもあるけど、「調子よくてもうぬぼれず、調子悪くても腐らず続ける」というようなことも多かったりもする。初心を思い出すこと、日々コツコツ努力すること、やたらネガティヴにばかりなってると周りも離れていく、というようなこととか。だから、たとえばカネについても「カネは借りられる、足りんかったら借りたらいい」という安易な考えだと、自分で稼いでカネを得ていく自分個人の気力、熱意に油断や甘えが出るような、そんなことも書いてたりする。そういうのも気持ち、だ。
 とにかく、俺も資格試験で落ち込んでたりカネなくてダラダラしてたり、そういう時期もあったし、もっと前は大学やめようか悩んでたり仕事がなくて「俺、なにやってんねん」みたいにヘコんでた時期もあった。それでも、ダメな時はダメ、ちょっと時間をおいて動けるタイミングを探そう、待とうと割り切ってたとこもあった。当時20代で、一応はカツカツながらもそういう自分を分析できてたとも思う。
 最近、仕事が決まらない(就職できない)20代前半の人が、悩みすぎてウツっぽくなってたりもしてるよう。
 それがそういう若い人らが精神的に弱いからとは一概にも言えないけど、いずれにしてもその状況、希望などなど自分がいいように努力して腐らずにその人自身が乗り越えていかないと、結局はその状況は変わらない、変えられない、となる。そんな彼らの今の強みは、「若いこと、元気なこと」のはず。でもそのままだと若さも元気もそのうちなくなっていく、そうなったらまさしく強みもなく、対外的な魅力もそがれてしまう。そうなる前に彼ら自身でまずその今の貴重な時間をなんとか(苦しいなかにも)前向きになって経験や別の意味での試練を体験してほしくもある。
 
 でも、素直に人のアドバイスを聞けないというのは、んー、俺も含め悩んでる人にはあると思う。
 周りが励ましても「結局精神論では現実は変わらんやん、ヒトゴトでそう言ってるだけやん」ってひねくれて受け取ってしまうパターンもあると思う。
 俺はその気持ちもわかるけど、どうせなら、ひねくれて受け取ってても、やはり自分のポリシーや信念を貫くべく「このままで終わってたまるか」という情熱は、周りのアドバイスにかかわらず持ってないといけないと思う。だから、他人が言うこともありがたく拝聴しつつ、そこで自分が腐ってはいけない、人はこう言うけど俺はこうする、っていう芯というかプライドというか、そういうのを持ってるかも大事になる。人の言うことに振り回されても大変だし、逆に迷いが増加することもあったりするから、参考までにありがたくとどめつつ、人はそう言ってくれる、それもありがたいけど俺はこうしたい、こうする、ってのも大事。
 人が「A」のやり方を言っても、自分なりに考えてそれが「A’」のやり方でも全然違う「B」のやり方になっても結局やるのは自分、それですべて自分で背負ってやるんならそれでいい。もちろんアドバイスを受けたままの「A」のやり方を自分で試してみるのもいいだろうし。俺も、開業やサムライの営業についてこれまでいろんなアドバイスをもらってきたけど、それも自分で吟味してるとこもある。ある団体に所属してそこからの仕事を期待する、とか、他のサムライと組んで仕事を確保する、とか、チラシやDMやホームページや有効な営業の仕方や媒体のことも聞いてきた。それでも自分の気力、経済力(笑)、やりたいやり方などを考えてポリシーも固持して自分で責任もってやってくよう芯はしっかり持ってたいと思ってる。
 ポリシーもこだわりも、ひとりよがりではいけなくもあるけど、それでやれるだけやってダメなら、それを根気よくさらに続けるか、他のやり方を自分なりに模索するか、はたまた、そういった周りからのアドバイスのうち第二段階として使えそうなのを試してみるか、それも自分のタイミング、考えでやればいい。
 俺も、資格試験を受けてた時も人からエラそうに言われてがっかりしたことや、開業するにしても厳しいことばかり言われてもきた。でも、だからこそ「なんとかうまいこといってやる」って思えた。ダメでも「自分はこうやって続ける」と意固地にガンコにやってきたとこもある。結局は意地というか、プライドだった。別にアドバイスくれた人に合わせたりうわべで聞くだけってんじゃなく、自分ができること、受け入れられることなどを吟味しつつ、やはりやるのは自分、それからどう実際にやっていけるか、だ。
 それにはやはりモチベーション、精神的なタフさも必要。

 悩んでる人がそう前向きにできないなら最初っから人に話すなよ、自分で乗り越えろよ、って周りもなるだろう。
 思いを吐き出すのもいい、グチるのもいい、そういう時もあるさ、それ自体は全然いい。でも、そのあと、いつまでも腐ってては自分で自分を変えることはできない。
 周りも自分の話を聞いてくれ、それがグチであれワガママであれ、一応は聞いてくれもする。時にはあえてわかってることを言われたり耳が痛い指摘を受けることもあるかもしれない、それを素直に聞くも聞かないも自由だけど、それでも自分のプライドがあるんなら、うまくいくようにしたいなら、やはり自分でやらねば。
 今の俺もまさしく同じ。
 俺がここでエラそうに書くだけではなくて、俺自身も事業やってて大変ななか、怖いなか(笑)、自分にそう言い聞かせてる。そうでないとメシもノドを通らんくらい暗くなる。
 それに、世の中、自分以外のことはしょせんほとんど“ヒトゴト”やん。まして、自分がやりたくてやってること、自分が望んでそうなってることについての悩みなんて、結局周りはどうしようもないわけで、自分でそうしてるなら自分で最後まで責任もってやるべきでもある。
 で、イヤならやめればいい。
 それがすべて逃げとか挫折とかって表現にもならない。イヤなことをグチ言いながらやるよりは、切り替えてやめてその後の人生の時間を有意義に楽しんで使える方がよほどいい。
 そういうとこも気持ち次第。
 仕事が見つからない若者についても、そりゃ、俺があれこれ言ってもしょせんヒトゴトかもしれん、でも、彼らだって、もしかしたら仕事を選んでたりあえて難しい、競争率が高いとこを選んでたりもしてる背景があると思う。そういうプライド、自尊心もいい、「俺はこんな仕事はしたくない」とこだわるのもいい、でも、現実は甘くもないし、それで自分の現状を見返すと、その状況が逆にそう言う自分のプライドを傷つけてないか、とも思う。
 それで落ち込んでウジウジしてては元も子もない。
 まして20代前半で世の中にあれこれ言えるほどでもないだろうし、若くてエネルギーもあるんなら、やれるとこでとりあえずでもやればいい、それでとりあえずでもその現状は変えられるやん、という意見だってある。
 ま、それも一言で言えるものではないとも思うけど、ホンキ、がむしゃらというのは、そういうとこでも結果を変えるものだとも思う。
 
 人それぞれの環境、状況、そして目標や理想で悩みの質も変わる。
 そこに整合性がなかったりあまりにもギャップがあるからどうしようもない深刻な悩みにもなる。
 でも、その目標や理想を下げたりやめれば、、、悩みも軽くなるのも可能性としてはあるとも思う、そこを自分で妥協なり譲るなりできるかどうか、状況的に可能かどうか。
 もちろん、自分の判断、力ではどうしようもない悩み、状況もある、でも、そのひとつのこともポジティヴに受け入れられるかが自分の容量、裁量次第だ。自分のそのおかれた状況、環境は、よく見ても悪く見ても同じ、そしたらムリやりにでもいい方に見ていい方に考えていくのも方法としてはアリかもしれない。

 俺もこれまたある意味そう。
 再度書くけど、事業やってて不安もある、怖さもある、カネのことも常に気になる。
 出ていくカネは決まってても入ってくるのは不規則、不定期。
 でも、自分でやってるからそういう思いをするわけで、それなら考えを変えて、俺は資格もあるしやれることもあるから、選ばないならどっかのサムライの法人でも雇ってくれるとこもあるだろう、その方がラクでもあるし安定した給料ももらえる。その方がより現実的で安定的な道だ、とも思える。
 でも、俺はあえて自分がやりたくて起業して独立してやってる。あえてしんどい方を選んでる。それは自分がそうしたいから。悩みも難しさも怖さもある、思い通りにならんことだらけだ。でも、それを、まあ、事業やってる仲いい人らには飲みの席でグチることもあるけど(笑)、それで精神的にホンキで深刻に滅入ってては自分でも「じゃ、やめれば?」となる。
 そうなったら終わりなとこもある。
 正直、日々、常に張りつめてるものもあるけど、それがプツンと切れてしぼんでしまったら、THE END、まさしく、はい、おしまい、だ。終わるのも逃げるのもラクだ、でもなんのために俺はここまで苦労してきたのか、とも自分で思う。そう思うと、常に気が張ってようが、「それを乗り越えねば」とも思えるし、仕事が来ることを思えばワクワクもできるようになる。
 それも自分でわかってるから、ため息も多くなることがあるけど、それでもなんとかやれるだけやろうと思う。イヤでも自分をそうもってかないとやってられない(笑)。
 俺もプライドがある、「ここで終わってたまるか」って思う。でも、だから奮起しよう、なんとしてもちょっとはうまくやろうと思う原動力に切り替える。みじめな状況になることの方がヘコむ。だからそうなる前になんとかしようと思う。
 俺も開業して5ヶ月、いろいろ思うとこもあり、起業や経営のジャンルの本などもよく読むようになった。
 それでも、やはりひねくれてるから素直に読めん、受け入れられんとこもある。それらについては前回のブログに書いたようなこともあるけど、自分がやるだけに、自分ができることを取り入れて前向きにやってかないと、グチばっかになって結果的になーんも変わらん、むしろその時より弱ってる自分になってしまう。
 気持ちだけは、なんとかカラ元気でも前向きに持ってかないと、仕事よりカネよりまず気持ちからやられてしまう。
 俺の状況での悩みは、それこそ「仕事をもっとほしい、カネをもっと稼ぎたい」、だ。でも、それはこれまで書いたように自分が好きで、自分で飛び込んでそうなってるわけで、それはもはや人に聞ける悩みでもないとも自分で思う。
 だから、グチは言えども(笑)、やたら“悩み”として人にそこまで話すことではないとも思ってる。

 要は、気持ちひとつでどうとでも切り替えられるんではないか、ってこと。
 ま、それも、ヒトゴトだ、と言われるかもしれん、でも、じゃ、悩みがありつつひねくれてイジける人らは、一体どうなったら幸せになるのか。周りに悩みを言いつつ素直に周りの言うことも聞けず、ただ周りや国や景気に文句言ってる人らは、どうなったら「これでいい」と思えるのか。ただ自分のエゴや理想について、周りから共感してもらいたいだけではないのか?そんな自分がうまいこと満たされるように期待してるだけではないのか。それこそさらにエゴだ。

 事業をやってるから、ってわけでもないけど、俺も余裕がある状況では決してない、気持ちは日々崖っぷちだ(笑)。でも、もはや、余裕がないから、後回しにすることも減るし、やれることは今やろう、まず動こう、となる。それも思うだけではなく、実際に「やる」。それも俺はこれまで書いてもきたけど、その実際に「やる」がどうか、それだけの信念、行動力、気力、情熱があるか、すべてはそこで結果が決まる。
 よって、現状や結果に満足してない、それを悩みという人は、これからでも深呼吸して気力を高め、ワクワクする方向に自分をもってって打開していくようにしないとそのまんまだ。
 そんなわけで(笑)、これまた今の俺がそう。
 俺はいつも自分にそう言い聞かせてる。
 俺も、自分の事業で気が滅入る時やイヤになることもある(笑)。今が、現実が俺を試してるような、そんな時期。でも、そこでヘコんでては周りに笑われる、とも思う。このブログも息抜きで長々と書いてるけど、他に趣味らしい趣味もやってなく、まずはどう仕事を得ていくか、安定させていくか、そういうことばっか考えてる。まだ資格試験の受験生で悩んでた方が、やることがわかっててよかったとさえ思える。
 営業も仕事も王道はそうない。
 成功した人のやり方が自分も成功できるやり方とは限らない。
 俺は誰かに心酔してついていってあれこれマネするタイプでもない(笑)。
 だからこそ、今苦労したりあれこれ言いつつも、自分で全部責任もって自分でいいようにやって結果を出さないといけない。
 そのためにはまず気持ち、だ。
 ある経営者というか、同年代の事業やってる人が言ってた。「事業やってると、カネのこととか顧客のこと、仕事のことや従業員のことなどで、まず気持ちからやられてきますから(笑)」と。俺もそういうのがわかってきた。カネの残高や仕事の量そのものより、まず気力、精神力が減っていく。だからせめてカネも仕事もなくても(笑)、気持ちだけは高く維持してかないといけない。自分でコントロールできるのはそういう状況ではそれだけでもあるだろうから。
 自分のポリシーを貫くにはそれだけのリスクもある。
 でも、自分がそう選んだ道、やり方なら、それ自体は悩みにはならない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿