以前からのことだけど、他の同業者の仕事の仕方を見ることがある。
同業者といっても、税理士とか司法書士とかの士業ではなく、俺と同じ資格の人のことだ。
それも、当然ずっと張り付いて仕事ぶりを見てるわけではないんだけど、その人の要領ややり方が感じられるやりとりをすることで、いろんなことを思うわけで。
まさしく「仕事を見る」というよりは、「その人の仕事ぶりを感じる」、ってことだ。
それも、(同業であれど)俺から仕事を頼むこともあったりで、特にその仕事のやり方がダイレクトに伝わってくる人もいる。
たとえば、すごく丁寧なのはいいけど、やたら時間がかかる、とか。
時間がかかるのはしょーがない、いくらか自分で仕事もこなし顧客もいるんだろう、俺の案件も後回しでもいい、優先順位もあろう、でもそんななかでひとつひとつに丁寧なのはいいけど、それで時間を消費して結局対応が遅くなるのが出てくる。
問題はそこだ。
これまでやった資料や文面を使い回しするとか、以前懲りたことを繰り返さないように改める、とか、もっと要領よく効率よくやんないと1社1社をさばききれず時間ばかりがかかる、それでようやくその人から来たリアクションは、「こんなことやってるから時間が足らんようになるんだ」とうかがえるような内容、質だったりする。
確かにそういう人はよくやってはくれる。
丁寧な表を作ってわかりやすくしたり、とか。
が、しかし、こちらは「頼んでる案件が役所に通ればいい」のが目標なわけで、「キレイな資料を作ってもらう」ことが目標ではない。
むしろ、役所にさえ通ればそんなもんは俺はいらん。
案外、そこをよく勘違いしてる人が多い。
全然違う次元のことだけど、たとえば「受験」とかでも似たようなことが言える。
「うかることが目標、目的」なのに、その学習過程とやらでの丁寧なノート、キレイなマーカーなどでの区別、統一された見た目、などなど、誰にどう見てもらって何を評価してもらいたいのか、ましてそうするその目的は?、と思うような、そんなことに時間を割く人もいたりする。
そこで危険なのは、「その作業で満足する」ということ。
ここが理解できた、この問題は繰り返して間違わない、という効果があることならいいけど、「うん、キレイにできた」、「うん、自分なりに見やすくできた」と、そういう出来栄えに満足してるパターンは危険でもある。
大事なのは「試験にうかること」なのに、それが目標なのに、どうも違うとこにエネルギーも時間も注いで自己満足になる、で、現実の結果はどうか、というとこだ。
仕事にしてもそう。
前述の話でいうと、俺から時間も猶予もあげて任せてても、進捗の報告もない、過程の問い合わせもない、それならうまくいってるもんだろうと思うと、あとになって、とか、ギリギリになってからあれやこれや言い出したり、と。
おそらく他の案件ででも忙しいんだろう、それはいい、それならそうで、あらかじめ「時間くれ」とか「いついつまで待ってくれ」という連絡のひとつも欲しいとこで、かつ、自分の手元に情報なり資料なりがあるんなら、まして自分でわかってる期限やら締め切りがあるんなら、お互いにあわてんでいいように段取りも組んでいかんと、それで、手続きする直前で「この書類がない」、「この情報がない」、「顧客からハンコをもらってない書類がある・・」と言ってきたり聞いてきたり。
それも不器用なやり方だ。
俺はそういうのに巻き込まれたくない(笑)。
俺個人は自分のぶんは段取りして落ち着いてても、そういう俺から振った案件などでの対応を他人から急いで求められるとイラっとする(笑)。
おまえに任せた意味がないだろう、と。
これまで時間を与えてた間はいったい何をやってたんだ、と。
あとは、対役所とか、対手続きについて慎重すぎること。
固く考えるのもいい、慎重になるのもいい、それでもそこも性格が出るもので、やたら細かく考えて対応してきて、それも時間がかかる原因になる。
案件について、こだわるとこもその人の色、個性が出る。
俺からすれば「そんなこと気にせんでもいいのに」とか「役所の職員がそこまで見るか?」ってなとこばかり細かく俺に聞いてきたり顧客に確認してくれと言われたり、そういうことをやってるから時間もたつし、手間もかかる。
なんのための、どういう手続きか、で、おさえるべきポイントはあるんだけど、書類の記載の1つ1つまでこだわってきっちり作ろうとするから、書類を作る前から慎重になりすぎて疲れる。
俺なら、「これでいいかな、あとは窓口で職員に言われたら訂正して出そう」くらいのかんじだ。
通るか通らんかわからん微妙なこともある、でもそこを考えてもしゃーない、訂正がきく書類やきかない書類もある、書いたらダメなこともある(笑)、明らかに間違ってることは当然ダメ、とか、そういうポイントをおさえてさえいれば、あとはどうにかなるもんだ。
っていうか、その状況でどうにかできるならどうにかせなあかん。
そういうとこでも時間を割いて考えて悩んで、それで逐一聞いてきたり気にしたりしてて、それで時間もなくなり焦ってもきて、そら、精神衛生上もよくないだろう(笑)。
資料ひとつにしてもそうだし「そんな資料、いるか?」、「別に役所に出すわけでもないのに、ここまでの資料を作るのにどれだけ時間かかったんだ?」、と思えるようなのを見せてきたり。
そういうのも、上から指示されて従ってやる立場でもなく、自分自身で考えて工夫してどうこうできることなんだから、アタマ使って自分がラクなようにやってかないと。
同じ仕事、同じ結果を求めていくのに、どうせなら効率よく、ラクなようにやっていくべきだ。
俺らは時間で給料をもらう立場ではない、役所に通して結果を出してナンボ、だ。
それならいかに時間をかけずに効率よくそうできるか、気にするのはそこだろう、と。
つまりは、資料を丁寧に作る、キレイに表などを作る、「役所にうまく通るように」と慎重になりすぎるくらいになる、と、そういうのはいいんだけど、その効果、重要性は、そこまではない、そういうことに時間を割いてるのがうかがえるし、当の本人はその自覚がないというのもうかがえるわけで。
多少でも待ってた方としては、ホント、「こんなやり方だから時間食うのは当然だ」、「忙しいなか、時間がないとこに、そんなことを気にしてそんなことをやってたのか」、「それでこれまで進捗の報告も連絡ひとつなかったんか」と、その人の要領ややり方そのものに疑問を感じることになる。
まったくのムダとまでは言わんけど、どーにも「エネルギーと時間を費やすとこがズレてる」感はある。
本人としては、「これでどうだ」といわんばかりの力作かもしれん、細かなところまで配慮して書類を通そうとしてるんかもしれん、でもそんなんで周りへのリアクションが遅くなったり、迷惑かけたり、さらには信用まで失うことにもなる。
自己満足の代償がソレだ。
あとになって時間がなくて焦ったり、それでいてようやく見せられたのがそんなんだと、こちらもそう感じざるをえん。
現に俺はもう新しい次の案件や頼みごともそういう人には頼まないつもりでいる。
それらのことは、問答無用で、「要領が悪い」となる。
「バタバタしてて」というのは言い訳で、そういう人がそう言う「バタバタ」はいつまでたっても終わらない。
ということは常にバタバタで常に後回しになり、常に焦ってる状態だ。
俺もすべてがすべてうまくコントロールできてるわけでもないけど、そういうのがイヤだからあらかじめ対応したりムダなことは当然省いたりして仕事を片付けてる。
それで気分転換がてらこういうブログを書く余裕も出る(笑)。
時間が足りないってのはあるにはある、かく言う俺だって、つい先日「顧客を待たせてること」についてこのブログに書いたけど(笑)、それも言い訳でもあり、反省すべきところだ。
しかし、自己満足の域を出ない人は、反省することもなく、徒労や効果のないことで仕事をやった気になって、それでも夜遅くまで、とか、徹夜してまで、とかでやってて、その「充実感」を錯覚してる。
それでナンボの仕事なのか、自分のその働き、動き、作業を時給換算するといくらになるものか。
そこを冷静になって自分の仕事を見ると、いかに生産性のない内容、質かもわかってくる。
それでも、そういう状況だからこそ、自分のさばいていく流れを効率よくしないとそうなる。
そのやり方でやっていくなら、時間が足らん、さらに仕事を受けられん、それで売上も収入も頭打ち、となる。
そらそうだ、みーんな、1日24時間で身体もひとつなんだから。
それでもそういうやり方を貫きたいなら、新しい仕事は控える、とか、人を雇ってさばいてもらう、とかって対応しないと、そら身体がもたんくらいにてんてこ舞いにもなろう。
でも、それは「仕事で充実してる」というわけではない、もしかしたら「錯覚してる」のかもしれん。
限られた時間、体力のなかで、アタマ使って効率よくやってかないと悪い方に進む。
ビンボーヒマなし、と露骨には言わんでも、そこでそういう人らは思う、「なんでこんな忙しくしてがんばってるのに儲からないんだろう」と。
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