賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める
ソクラテス
意志が侵害を受けている時、客間的に
1.人間の身体になった意志と
2.人間の思考となった意志があるという。
1.人間の身体になった意志とは、身体のどこかに小さな傷があり痛く、
その事にばかり注意が向けられている時、他は健康なのに落ち込む。
2.人間の思考となった意志とは、一つの意志に背いた時、些細な事なのに
絶えず気にし、その虜になって他は順調に行っていることに考えが及ばない。
1.意志の満足には、この意志の侵害が行われていないという消極的、否定的な
働きを持ち、直接的には意志の侵害を感じられない。(自分で認識していない)
意志の侵害を感じるのは反省という道を経て意識されるのが精一杯である。
2.意志の阻害とは、積極的、肯定的なものであり、阻害は阻害として人の意識に現れる。
(自分で認識している)
享楽はすべてこの阻害の除去、阻害からの解放を本質とするに過ぎず、つかの間だ。
(うーん、分からないけど、つかの間はわかるわ)
人生の享楽、快楽に注目せず、出来るだけ襲いかかる災厄を逃れる事に目を向ける。
賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める
ソクラテス
一生の総決算を幸福論的見方でいうと、
自分の享楽した喜びによって勘定を立てるべきではなく、
逃れた災厄によって勘定を立てるべきである。
災厄が避けられないくても、それは
運命のせいであって愚かさのせいではないのだ。
ショーペンハウワー
幸福について 人生論
橋本文夫訳
A 一般的な見解と忠告
ショーペンハウワー様ありがとうございました。慰めになりました。)
運命のせいであって愚かさのせいではない❗