現在こそ唯一の現実的で確実なものである、
それどころか過去だって我々の想像とは
過去における希望の挫折や未来に対する憂
ここまでのお付き合い誠にありがとう
それに反して未来はほとんど決まって我々が
想像していたのとは異なってくる。
それどころか過去だって我々の想像とは
異なっていた。
そして未来も過去も生涯を通して見れば、
見かけほどたいしたものではない事を夢
にも忘れないように。
肉眼で見ると実際には小さな対象なのに、
心の眼で見ると対象は大きくなってしまう。
真実なのは現実なのは、現在だけである。
現在こそは現実の充実した時であり、
我々の現実の生活はただ現実の今の中に
ある。
過去における希望の挫折や未来に対する憂
慮の為に、この現実の一時を気まずいもの
にしてはならない。
過ぎた事に腹を立てたり、未来の事を心配
してせっかくの楽しい現在の一時を退けた
り、この一時を台無しにするのは、全く愚か
な話である。
心配をする事はもちろん、悔恨に暮れるにも
、一定の時のみを充てるがいい。
ともかくある程度の一時が与えられれば、
意識的にこれを享楽するのが良いのだ❗
出来てしまった事は、
どんなに心が痛んでも、
今は過ぎた事としておこう。
どんなに辛くても、
はやる心を静めよう。
未来は神の御心にあるのだ❗
災厄というものは、ただ起きるかもしれない
がその数は非常に少ない。
起きる事は確実でも、起きる時期も不確実だ
が、いちいち相手になっていては、
心は一刻も休まらない。
だからこの不確実な事から生活の平和を
守る為には、災厄は絶対にそう直ぐには
やってこないと恐怖の念を取り去り心が休
まる事を思う習慣を身に付ける事が大切だ❗
今日という日はただ一度限りで二度とは
こない。
明日はまた明日で一度しか来ない別な一日
なのである。
一日一日が人生の主要な部分である。
という事を肝に銘じて、いつも意識して
いれば、より良く現在を評価し楽しめる。
旅人が丘の上にたどり着いて初めて、
今まで歩んできた曲がりくねった道全般に
見透しがつき認識ができる。
我々も生涯の終わりには、
全生涯の終わりのある時期には、自分の残し
た全実績の真の関係、その細かな一貫性や脈
絡、そしてその価値さえ認識するのである。
今の現在は過去の中へまさに移り行こうと
している。
神々しい過去の中へ繰り込まれた後には、
恒常不滅の光明に包まれて末永く記憶に
留められ、
苦難が来たときには、
その記憶があなたの大いなる神になるで
あろう❗
ここまでのお付き合い誠にありがとう
ございました。
ショーペンハウワーの[幸福について]
光明な癒しで包んでくださる猫ちゃんが
のぞき見を致しました。