幸福は幻にすぎないが、苦痛は現実である❗
ヴォルテール
人生は本来、楽しむべくものでなく、克服し、始末をつけるものなのである。
高齢になってから、一つの慰めになるのは、一生の労苦を片付け終わったということだ。
最も幸福な運のある人とは、大いなる喜びや大いなる享楽を授けられた人ではなく、
肉体的にも精神的にもそう極端に激しい苦痛を知らずに一生を過ごす人である。
どんなに大きな喜びや享楽でも一生の幸福を測る物指しには📏なれない。
苦痛の無いことは、人生の幸福を測る物指しである。
それは、苦痛は人には能動的に感じられるからである。
苦痛を逃れる為に享楽を犠牲にする場合は、依然として自分の利益を失わない事になる。
(享楽を犠牲にして苦痛を逃れるとしても、自分の利益は損なわれない)
悲嘆の舞台であるシャバを、歓楽街のようにしようと考えて、苦痛を無くし、
その代わりに享楽と喜びを目標にするのは大間違いなのだが、この大間違いを
やっている人は多い。
(アチャー、あんまりツボを押さないでください)
🔵はるかに迷いの少ない人とは、この世を地獄だと思い、
この地獄の中に業火に耐える一室を築く❗ことができる人である。
愚者は人生の享楽にふけり、享楽を追いかけては騙される。
万一、災厄を極端に避けすぎ、不必要なまでに享楽を犠牲にしたとしても、もともと
何も損はしない。
架空的な享楽をとり逃がしたと嘆くのはけちくさい。むしろ笑うべき心情だ。
賢者は災厄を避ける。
万一不孝にして災厄が避けられなかったとしても、
それは運命のせいであって、愚かさのせいではない❗
(享楽は架空の物とするショーペンハウワーおじさまは、19世紀から出ちゃダメよ?:
いまだにパリコレは残っているし、前世紀の遺物なんて言われちゃうわ、今の猫ブーム
にもチェツと舌打ちしたとかしないとか?😱)
苦痛は現実であるけれど、幸福は幻にならないようにする。
どう蕾の塊って綺麗じゃない❗
おじさまの眉間のシワとっても素敵❗
この本大好きだわ❗
怒ってくださる人大好き。
ショーペンハウエル
[幸福について]をカメレオンっぽく
書いちゃった。
おじさま眉間のシワ寄せないででね🎵
フフン❗