1959年(昭和34年4月20日)と木製の棒に墨で書いてあります。
ここ大宮鉄道博物館へ来ますと、昭和時代の復興期だった日本のあの時期を
ふつふつと思い知らされます。
戦後の日本は世界銀行からお金を借りる事からスタートしました。
それと同じように新幹線事業も世界銀行からお金を借りる事からスタートしました。
288億円(約8000万ドル)を政府による完全保証を受けての借款の成立は、資金面
での強力な裏付けになりました。
東海道新幹線起工式と墨で書いてあります。
東海道新幹線起工式に使用されたクワの棒の部分です。
新幹線着工から開通までには、わすか5年半で出来ました。
何故こんなに早くできたかと言いますと、驚いたことに新幹線計画は、従来の狭いレール
から広いレールの上を走る弾丸列車として、将来の東海道本線の輸送力が行き詰まりにな
るのを打破するために1941年(昭和16年)にすでに着工されていたのです。
それは東京から下関間を広軌(1435m)による複線の別撰を建設し、12時間で以内に走ると
いうものでした。
1937年(昭和12年)の日中戦争から国内とアジア大陸間への旅客?貨物輸送力が
増加していき、一貫輸送体制の実現を目的とする軍部の意向が強かった。
しかし、戦局の激化により1943年(昭和18年)にこの工事は廃止となりました。
この時期に検討、準備されていたものが東海道新幹線へ引き継がれていたからこそ
、5年半という短い工期で完成することが出来たのだそうです。
戦前にすでに新幹線計画は開花していたが目的が国外にあったのね。
やーね、平和を震撼に感じるわ。
新幹線は平和ありの成長よね。
そして、なんとその10日前の4月10日には明仁皇太子(現天皇)と正田美智子様の
ご成婚パレードが行われました。
1ケ月後の5月26日には、5年後の東京オリンピック開催が決定しました。(1964年)
そして6月25日には昭和天皇が初のプロ野球観戦の中、巨人軍長嶋茂雄選手の
天覧サヨナラホームランが国民の喝采を浴びました。(後楽園球場)
十河国鉄総裁が新丹那トンネル熱海口で行われた起工式で土を掘ったクワ
の実物です。