振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

昭和30年代は新幹線とオリンピックの金字塔が引っ張った経済成長の時代でした。

2019-02-01 22:21:06 | ブログ

 

 

 

 

 

 

 

東海道新幹線が計画されて、建設・開業した昭和30年代は、政治経済科学技術、文化と

 

あらゆる分野で大きな変革があり、人々の暮らしも向上して大きく様ざわりしました。

戦後の日本は敗戦の打撃と苦悩から立ち上がり、不死鳥のごとく立ち直し、苦境から

脱出しました。

戦線のレベルにまで回復した経済と政治の整備が整った。

1956年(昭和31年)経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言した。

 

所得倍増計画が実施されて国民の消費意欲を刺激して三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、

電気洗濯機、電気冷蔵庫)などの家電製品が急速に普及し消費革命と呼ばれた。

 

 

輸出は順調に伸びて、貿易立国、技術立国としての地位が確立していった。

 

経済成長率は毎年10%を維持し続けた。

1964年(昭和39年)、IMF(国際通貨基金)八条国へ移行して国際通貨としての円の地位がが確立した。

さらにOECD(経済協力開発機構)に加盟、経済の自由化を進め先進国の仲間入りをした。

 

 

 

 

1964年(昭和39年)10月に東海道新幹線開業

新幹線は世界にも例を見ない大量高速輸送機関として、日本国の技術水準の高さ

を象徴する金字塔となった。

 

しかし、その喜びの影の前の年、1963年(昭和38年)には、

世界銀行から288億円(約8000万ドル)借款したのだが、物価上昇や路線変更、

用地買収価格の膨張などにより、

1972億円とされた建設費は、最終的に3800億円に達することにより

十河総裁、島技師長、大石新幹線総局長らが責任を取り国鉄を去った

という苦渋の歴史もあった。

 

 

 

 

 

第18回オリンピック冬季用大会が開催

オリンピックは日本が敗戦の痛手から急速に立ち直り、経済成長を遂げ、先進国の

仲間入りを果たしたことを、全世界にアピールした政治的な手法でもあった。

 

 

 

 

                        ↑

                       1964年(昭和39年)

下の赤線が国民所得

その上の太い青線が東海道新幹線旅客輸量

その上の帯状灰色が国内総生産(実質)

その上の緑の線が対前年度増加率

その上のオレンジ線が消費者物価指数

国民所得と東海道新幹線旅客輸量と国内総生産(実質)が連動して

上がっています。

 

見えづらくてすみません。

 

 

 

 

1964年(昭和39年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された。

 

 

 

 

 

 

大宮鉄道博物館昭和30年代の日本

新幹線こだま、ひかり展示場からお送りいたしました。

何故にこんなに輸送機関が好きなのか?

風切る背中だけが知っている。

一挙両得!

 

 

 

 

機関棒のキンカンです?

 


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