最近、山の斜面や空き地などに太陽光発電パネルをよく目にする。今日は大きなため池の上に沢山のパネルが並んでいるのを見た。これだけ熱心に取り組んでいても原子力は必要なんだろうかと思ってしまう。
小生の生きている間に原子力発電の廃炉が完全に終わるところがあるだろうか?子や孫の代でも廃炉が終わらないだろうと思われる。その間の費用は天文学的な数字になるのではないか。こんな馬鹿げたことを考え出してやり出した科学者や政治家という連中は、エゴの塊のような人たちだろうと推察する。そういう人は一生考え方を悔い改めようとせずにあの世に逝くんだろうなと思うと、その人の業に対して不憫さ切なさを禁じ得ない。
<「もんじゅ廃炉計画」新聞記事より>
原子炉に残る核燃料の取り出し⇒2022年度
冷却材のナトリウム取り出し廃炉完了⇒2047年度
不安材料⇒核燃料やナトリウム取り出し実績少ない
放射性固体廃棄物⇒2万6700トン
費用⇒3750億円(⇒これは数倍に膨れ上がるだろうと推察する)
(名前はもんじゅだけど、知恵は一切使わずに建設したようだ)
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