風門館 福光館長(上は私、下は真風会I指導員)
8月15日土曜日、私とI指導員は、日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟風門館福光館長の元へ出稽古に行って来ました。
福光館長は、私に日本拳法道と古術をご指導してくださった、私の師匠の一人です。
現在は”豊前福光派古術”を主体に、ご指導されている為、”日本拳法道連盟”からは遠のいていますが、現在、田川、京築で活動されている”日本拳法道連盟”のルーツは、この福光館長率いる”風門館(当時は風門同志会)”です。
今から10数年前、福光館長は田川郡香春町にて、”日本拳法道連盟 風門同志会”を主催し、指導のかたわら自身も選手として、数々の試合に出場されておりました。
当時の”風門同志会”は、現在、田川や京築地域で指導されている”日本拳法道”とはかなり違ってました。
今は、稽古の主体は打撃技のみの”キックボクシング”に近くなっているようにみえます。(ルールは今も昔も同じ”寝技10秒迄の日本拳法道ルール”ですが。)
板間で稽古を行うので安全の為、投げ技、寝技、関節技無しのキックボクシングルールのスパーリングが中心になっています。
長所としては、技をほとんど打撃に限定して稽古している分、逆に、風門時代よりパンチが上手い人が多いように思います。
しかし、当時の風門は、打撃技が主体である事に変わりはありませんが、投げ技も、寝技も、関節技もありの”立ち技系総合格闘技”でした。
板間で稽古していた事に変わりはないのですが、”投げ技、寝技、関節技あり”が普段のスパーリングでした。(もちろん、お互いに加減はしていましたが。)
ですので、長所としては、柔道やレスリングなどの組み技系格闘技の方が稽古に来られても、違和感なくスパーリングが出来ていました。
それは、当時の風門のメンバーは、投げに対する受身や、ある程度、組み技も身に付けていたからです。
また、スパーリングは6オンスのボクシンググローブのみを付けて、ヘッドガードやすねサポーターなどの防具類は付けないのが普通でした。
私は福光館長とのスパーリングで、前歯を折られた事がたびたびあります。
当時の”風門同志会”については、常に体のどこかが痛かったというのが思い出です。(笑)
これは最近になって知ったのですが、福光館長が独自に、古術の技も取り入れて指導していた事と、福光館長自身の試合用トレーニングも兼ねていたので、そのような荒っぽい稽古になる日が多かったようです。
また、その頃は、”風門祭”というイベントをたびたび開催し、風門同志会対空手道場や、風門同志会対キックボクシングジムなどの団体対抗戦もよく行っていました。
当時30代半ばの私も、風門の選手として、対抗戦に参加させて頂きました。
空手やキックボクシングとの対戦は、貴重な体験になりました。
そして、日本拳法道連盟において、当時も今も、この福光館長ほど、30歳過ぎから40歳前後という年齢で、数多くの試合に出た方はいないでしょう。
日本拳法道連盟主催のセーフティ格闘技選手権はもちろん、硬式空手道大会、キックボクシング、真武館主宰の全日本格闘技選手権等など、本当によく頑張っておられました。
現在の”日本拳法道連盟”で稽古されている方達の中に、この福光館長の存在や、当時の活躍を知っている方はほとんどいないようで、少し寂しい気がします。
その福光館長率いる”風門館”へ、今年のお盆も里帰りをし、色々な”古術”の技をご指導して頂きました。
”風門館”で指導されている”古術”は、戦国時代に生き延びる為の武術であり、”やるか、やられるか”の命のやり取りを想定した武術です。
ですので、肘を折る、顔面を踏み潰す、崖へ突き落とすなど、非常に恐ろしい技が多いのが特徴です。
鎧かぶとをまとい、剣で戦い、剣が折れたら素手で敵を殺さなければ、自分が殺されるという時代ですから、それが当たり前だったのでしょう。
本来の武術とは、そういうものです。
現在、”合気道真風会”では、”争わないこと”、”いかに相手を傷つけずに制するか”という事を、最重点課題においています。
また、”お互いにケガをしない事、させない事”を心掛けるように指導しています。
”風門館”出身の私ですが、思想的には、全く対極になっているのが面白いなと思います。
”合気道真風会”は、老若男女が、楽しく安全に稽古が出来る場となっております。
たまに”風門館”で出稽古をさせて頂くと、武術本来の厳しさ、恐ろしさを再確認する事が出来ます。
"現実の闘いは甘くない。”
私とI指導員は、その事を踏まえた上で、理想とする”和の武道 合気道”を指導して行きたいと思っています。
福光館長、丁寧なご指導ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。
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