大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20130415-16 帰省5 ―石巻大文字屋柔道部 殿 田中奥次郎―

2013-05-20 15:55:47 | 日記

 帰路も仙台まではミヤコー・バスであった。仙台からの新幹線車中、阿部新旅館さんが石巻の中央一丁目「プロショップ まるか」に出しているお店「松竹」のカツサンド(キクちゃんが買って持たせてくれた)を、ダイエットではないコーラと共に美味しく食した後、実家から持ち出した本に目を通した。

 実家には高校時代まで購読した本が三階に整理されないまま残されており、その中で取っておきたいもの確認したいものがいくつかあったので、それが今回の帰省のいくつかの目的の一つでもあったのだが、とにかく物色して二冊持ち出したのである。

 一冊はモームの「月と六ペンス」(講談社文庫版)、もう一冊は兄の本の中に紛れていた「合気道入門」である。

 「合気道入門」という本は見たことがなかった。高校時代まで空手には興味があったものの、合気道はあまり実戦的なイメージがなく、当時一世を風靡していた実戦的格闘技に染まっていた私にはほとんど興味の対象外であった。年を経て植芝盛平の話を耳にするようになって、一度関連書籍に当たってみたいという思いが出、それが今回たまたま本を掘り出したことから、一度目を通しておこうかと思ったのである。

 私自身はこの本を買った記憶がないので、てっきり兄のものだと思い、出がけに「合気道入門」という本を借りていくよと声を掛けると、「?」、「俺のでねえよ」、「そんな入門書、俺が買うわげねっちゃ」とのたまうので、私も「??」、まあそうは言いながら兄の本の中にも入門書はそこそこあったので、まあ忘れているんだろうぐらいの気持ちで聞いていたのだが、車中で本の扉を開いて絶句した。

 「贈 石巻 大文字屋 柔道部 殿

 昭和五十三年十一月二十四日
 日本伝講道館柔道 
 五段 田中奥次郎」

と墨書してあった。

 奥次郎おんちゃんは、ばっぱ(私の祖母の小糸)の弟に当たる人で、正式には私の「大叔父」に当たる人である。昔から名前はよく耳にしていたが、実際会ったのはばっぱの葬儀の時で、その時高校で柔道をやっていた私に、得意技をかけてみろと組み合ってきたので、私は既に六十は超えていたであろう小柄な奥次郎おんちゃんに、得意としていた小内刈りをかけて仰向けに倒したのである。たしか柔道をやっていたということだったし、踏ん張って跳ね返そうとするものだと思っていたので、かなりの勢いで倒れたことが意外で、若干心配な気持ちにもなったのだが、受け身はとらなかったものの畳に倒れた時の衝撃を弾力ある小さな体に吸収した感触があったので、安心したのは鮮明に覚えている。

 その時は奥次郎おんちゃんがどのぐらい柔道をやった人なのか、あるいはどんな人なのかあまり知らなかった。この本の「五段」から、かなり熱心にされていたことは想像に難くない。また「大文字屋 柔道部」というのは、兄や私が柔道をやっていたこと、また春彦おんちゃんがやっていたことから、こう記しているのであろう。

 昭和五十三年十一月というのは、私が高校を卒業後、一浪して仙台の文理予備校の寮に入っていた時なので、私がこの本の存在に気づかないままであったのは、そのせいかもしれない。奥次郎おんちゃんがどのような形でこの本を大文字屋で置いて行かれたのかも分からない。キクちゃんに電話で奥次郎おんちゃんのことを少し問い合わせてみたが、仙台に住んでいたこと、自分で事業をやっていたこと、春彦おんちゃんが世話になったこと、ばっぱの実家である二郷の兄弟関係などを聞いたぐらいである。それ以上のことは春彦さんがくわしいのではないかとのこと。いずれ機会があれば春彦おんちゃんに奥次郎おんちゃんのことを訊いてみようと思う。

 本の中身であるが、二百頁余りのうち半分近くが合気道の成り立ち、歴史を解説したものである。とりわけ道祖・植芝盛平の生涯は興味深い。著者である植芝吉祥丸は盛平の息子だが、盛平が「技の追求と精神の研鑽」に打ち込み「求道に専心」したのに対して、自身はその普及に尽力することを使命と感じるという通り、盛平は道の創造に生きたのである。

 盛平は、天神真楊流、起倒流といった古流柔術をはじめ、柳生流柔術、大東流合気柔術を学び、それらの長所をとり、新たに創意工夫して今日の合気道をつくった。

 盛平が学んだ古流武術はその多くがルーツを中国に遡ることができること、講道館柔道の祖・嘉納治五郎も同じ天神真楊流、起倒流で修業を開始していることなどが興味深い。

 実人生の面からは、十代で上京。病弱と孤独で挫折。帰郷後鍛錬し日露戦争従軍。政府募集の北海道開拓移民として財を成す。大東流合気柔術の武田忽角師範と出会い本格的に武術の道に。大本教の出口王仁三郎(でぐちわにさぶろう)から精神面で薫陶を受ける。戦時、東亜連盟構想を持つ出口に中国に同道し九死に一生を得る。戦後は技術面・精神面での合気道の完成に集中し、最終的に合気道を「愛と平和」の根本精神をもつ武道に仕上げる。

 余談だが、武道は危険で暴力的であり、スポーツは安全で平和的であるとのイメージで語られることがあるが、おそらくそれは本当ではない。武道が武術と異なるのは「道」すなわち「精神性」を備えている点である。それは「暴力」的であることと本来的に相容れない。

 おそらく「暴力」的なのは、競技化・競争化(勝利至上主義)によって精神性が失われるからである。それはスポーツも同じであるように思われる。

 この本を奥次郎おんちゃんがどんな思いで寄贈してくださったのか、すでに故人なられているので知る由もないが、柔道以上に「柔よく剛を制す」を実現している合気道に触れ、より己の柔道を磨いてほしいという願いがあったのではないかと推測する。

 天神真楊流と起倒流が盛平と嘉納治五郎が共に学んでいたことは前述の通りだが、特に起倒流は「柔よく剛を制す」の精神が中心にあり、これは柔道にも合気道にも大きな影響を与えている。そして柔道には「柔よく剛を制す」では説明がつかない言わば限界があり、それに悩んでいた治五郎が、盛平の合気道と交流して「これこそ自分が理想としていた武道、つまり、柔道」と認めていたとある。

 そういえば、前述のばっぱの葬儀の際、「現在の柔道で何が最も大事か」と訊かれて、私が「スピード」と答えると、「パワーです」と答えられたのを思い出した。今では現実的な教えであると分かるが、当時「柔よく剛を制す」を柔道の理想としていた私としては「そうだろうか」と疑問に感ぜざるをえなかった。それも今では懐かしい思い出である。

 一冊の本がもたらした時を超えた邂逅が、今回の帰省を締め括った。

****

20130415-16 帰省5 ―石巻大文字屋柔道部 殿 田中奥次郎―(右下角をクリックすると拡大できます。)

 


付記

最近つぶやいた曲。

①歌詞の内容込みで良い曲だと思います。


・歌詞の内容→およげ!対訳くん

②5月に入ってようやく過ごしやすい陽気に。朝晩はまだ冷え、風邪も結構流行っています。気を付けたいです。→The Way You Are - David Choi & Kina Grannis

③リンク切れになった再生リストを補修していて見つけました。紅白歌合戦だと思いますが、あれだけバタバタして、レコード並みのこのパフォーマンスは素晴らしいと思います。

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