大文字屋では「胡桃豆腐」(くるみどうふ)を作っている。
胡桃豆腐は、こうして作る。
殻を剥(む)いた、薄皮のついたクルミを、擂鉢(すりばち)に入れて擂粉木(すりこぎ)で油が出るまでよく擂(す)る。
それを篩(ふるい)にかけてさらに滑らかにする。
大鍋に、擂ったクルミと水一升とクルミの2倍の量の葛(くず)を入れ、強火にかけ、大きな木の箆(へら)でゆっくりとかき混ぜる。
だいぶ温まってき . . . 本文を読む
ある晩のことだった。大文字屋の古い家の茶の間に、できあがったばかり胡桃豆腐(くるみどうふ)が4かんほど並んでいた。熱を冷ますためにラップも何もかけらていなかった。
できたての胡桃豆腐は、まだ湯気をたてていて、容器をつつけばぷるぷるふるえるほどやわらかそうだった。お得意さんに納めるため「かん」に入れられたできたての胡桃豆腐は、見ることしかできないものだった。
「かん」に入らなかった胡桃豆腐の余 . . . 本文を読む
父が食事をしている光景として最初に思い浮かぶのは、昔の大文字屋の台所での朝食のシーンである。
大きな円卓をかこんで父と私ら兄弟と住み込みで働いている従業員さんらとが食事をしているのだ。(母は忙しく立ち働いていた。)
円卓の真ん中には大きな瀬戸物の鉢に大量のネギ納豆がつくってあって、よそわれたご飯の上にめいめいがその泡を吹いたネギ納豆を載っけるのだ。ご飯茶碗と味噌汁のお椀と朝鮮漬けやら沢庵やらキ . . . 本文を読む
父はどちらかというと口下手だったかもしれない。
用も無い時、自分から口を切って、その場の空気を作っていくタイプではなかった。どちらかというとその面については受け身であって、誰かが積極的に話を進めれば、それに応じて話を進める方だった。何事も相手の出方を見てそれに対応する方だったと思う。
ただ無口というわけでもなかった。
たとえば、家族で一緒にテレビを見る時、たとえば野球を見ている時に、これは私 . . . 本文を読む