大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20151125 “チチウエー”  ー 丹野征一 先生逝く ー

2015-11-25 16:47:25 | 日記

 鰐陵(石巻高校)同窓の坂本くんより国語の丹野征一先生が21日朝に亡くなったとの連絡を受けた。

 通夜、火葬は済み、葬儀は本日午後1時より大街道の清月記にて行われたようである。

 *  *  *  *

 丹野先生に私にとって2年生時の担任であり、3年間現代国語の先生であった。

 丹野先生の授業についてはいくつか記憶に残っていることがある。

 ひとつは修学旅行中に先生が創った俳句のことである。現国の授業中に旅行を振り返った時のことだったと思うが、たしか初句が「胡坐して」であった。「胡坐」(あぐら)という言葉を漢字で目にした最初の記憶である。 

 ひとつは「所謂」の読みである。
 これの読みを皆に問うて、私は「しょせん」と答え、それに対して先生は「所詮」と板書で応じた。

 ひとつは「阿Q正伝」のことである。
 授業中、おそらく魯迅の「故郷」か何かを扱った時ではないかと思うが、この作品の話になって、先生が、
「読んだことある人~」
と聞き、私が手を挙げると、
「分かった?」
と訊かれ、私が、
「よく分からなかった」
と答えると、
「分かんなかった…。」
と、「まあ、そうだよなあ~」という感じで引き取られた。
 「分からなかった」ことをはずかしく思う気持ちはなかったが、「分からなかった」ことをそれはそれで理解できると応じた先生の態度に、少しの安堵とともに、文学作品を視る際の或る何事かを伝えられたように思う。
 中国の近現代史についてある程度の理解がないと何ゆえに狂人とも思える人物を主人公に描かねばならなかったのかはたしかに理解しがたい。
 文学(の歴史)がそれを生み出した社会(の歴史)と分かちがたく結びついていることを明確に意識させられた最初の経験といってよい。

 そして「チチウエー」である。
 先生は、私の担任をされている頃、三人目のお子さんが生まれ、いずれも女の子さんであった(と記憶している)。お子さんたちには、ウチは貧乏だから中学を卒業したらみんな働くのだよというようなことを早くから教育(?)していたようなことをおっしゃっていた(ような気がする)。
 それはともかく、お子さんたちに自らを「父上」と呼ばせていたので、帰宅すると幼子たちが「チチウエー」と言いながら駆け寄ってくると相好を崩して話していたのが記憶に残っている。
 子煩悩で、少しお茶目な人。それが先生についての私のイメージである。
 
 感謝とともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 *  *  *  *

…亡くなったことはうれしいことではないが、先生に湿っぽい雰囲気は似合わない気がする。だからこんな歌を。幸せな家庭を築かれたであろう先生に捧ぐ。

Overjoyed - Stevie wonder - Lyrics


付記1
 坂本くんによれば、今年度同窓会誌鰐陵51回生たよりにて、現在勤務している東松島市立大曲小学校で,野菜博士として地域活動、学校運営に協力していただいている阿部ひで太君(ラグビー部)について寄稿したとのこと。来年2月頃発行とのことです。

付記2
 鰐陵同窓会のHPを覗いてみますと、卒業生のみならず在校生の活動状況も知ることができます。野球では来年の春の選抜21世紀枠推薦校になったことが伝えられている。

 → 春のセンバツ 石巻が21世紀枠推薦校に

 最終選考は来年1月。楽しみである。

※ 鰐陵同窓会HP

 


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9 コメント

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Unknown (丹野幸子)
2016-01-09 22:00:05
丹野征一の妻です。

なんて素敵な人だったか、
他の人はなんと言おうと
征一は人間としてこの上なく上品な人でした。
丹野の死を悼んで下さってありがとうございます。

こんな現代的な機械の中に、丹野征一の名を見出したときのうれしさ、
しかも「チチウェ」これは我が家だけのオリジナル用語、
それを共有して下さっていた事の感激。
丹野征一が生きていることの証です。

私は、高校2年(16歳)で丹野先生と出会いました。
先生の語る、小林秀雄、中原中也、ランボオ、そして哲学に魅了されました。
先生に褒められたくて、自分も詩を、文章を書きました。
出来ることなら、先生その人になりたいとさえ思いました。

その先生と、20歳で結婚することが出来、生涯先生と共に生きることができて幸福でした。
しかし、今、征一に逝かれ、身をさかれる痛みにのたうっている状態です。

そんな中、
丹野征一を想っていてくださった方がいて、
歌を贈っていただいたこと、うれしかった。
佐藤慶広さん御礼を申し上げます。
返信する
丹野幸子 様 (佐藤慶広(管理人))
2016-01-10 07:15:34
コメントをいただき誠にありがとうございます。

とともに勝手に思い出話を書き散らした非礼に恐縮しております。

丹野先生が文学に傾倒された先生であったことは授業を受け入ていて分かりました。先生は知識をひけらかすようなことは決してなく、極めて抑制的な授業をされた方でした。

私たちが覚束ない足取りで歩いてくるのを待ち受けていてくれるようなそんな授業をされていたように思います。

個人的に似たような仕事をしているのでわかるようになりましたが、「教える」ということにおいていかに自制の占める割合が大きいかを、先生は身をもって教えてくださっていたと思います。

そういうものは薫陶を受けた私たちの血のなかに流れ続けています。

あらためて先生にはその贈り物に感謝を申し上げなければなりません。

ふるさとを離れたまま恩師にろくに挨拶にもうかがわない不孝者の教え子ですが、先生の教えに恥じない生き方だけはしようと思っております。

またいくつもの春秋が訪れますが、なにとぞご家族皆さまご自愛の上過ごされることを希望いたします。


PS.

先生から直接聞いたことはないのですが、生徒の間では先生は大恋愛の末結婚されたような噂も飛び交っておりました。

ゆえに先生についての私のもう一つの印象は「愛妻家」であるということです。
返信する
Unknown (塩屋園子)
2016-01-11 12:11:30
丹野征一の長女の園子です。
母のコメントにお返事を下さってありがとうございました。

母は今、悲しみの中で涙し、苦しんでいる状態です。
そんな毎日の中、佐藤さんのブログに出会えた時の母は、絶望ではない
別の涙を流していたように思います。

本当に感謝しております。
父の思いを携えて母が動き出すにはまだまだ時間がかかると思いますが
いつか、父の残した文章や詩をまとめたいと申しておりました。

その日が来るのを娘として
ゆっくり見守りたいと思っています。

本当にありがとうございました。




返信する
塩屋園子 様 (佐藤慶広(管理人))
2016-01-11 16:34:00
コメントいただき誠にありがとうございます。

今回、奥様、園子様よりお言葉いただいたこと、
私自身にとって驚きであり喜びです。

そしてこれほどまでに強い愛に生きた方の心に触れたことに
胸打たれ、心励まされる思いです。

>いつか、父の残した文章や詩をまとめたいと申しておりました。

もしその時がきたときには、是非拝読したく思います。
私もその時がくるのをゆっくり待つことにいたします。
楽しみしております。

本当にありがとうございました。
返信する
Unknown (今野)
2016-01-27 20:22:57
初めまして 佐藤様
 丹野幸子の妹です。先日、姉から佐藤様のブログ
を紹介され、さっそく、ありがたく拝読させて頂き
ました。ブログを、見つけたエピソードには、兄が、
導いてくれたような、不思議な、偶然があったそう
です。元気だった頃の、兄の笑顔が浮かび、にんまり
しながら読ませて頂き、心が、あたたまりました。
 姉も、どんなにか勇気づけられたことでしょう。
ある詩集の本を、落合恵子さんが、こんなメッセージで
紹介しておりました。すべての、それぞれの愛する
ひとを見送ったひとに 落合恵子
 母を見送った季節が、またやってくる。
 喪失の悲しみをいやすことはできないし、
 その必要もないと考えるわたしがいる。
 なぜならそれは、まるごとの、そのひとを
 愛したあかしであるのだから。
 悲しみさえもいとおしい。
 けれどどうしようもなく
 こころが疼くとき、長田弘さんの、この、
 ふたつの「絆」の詩を声にだして読む。
 人生に余分なものは、何ひとつない、と。
詩人、長田弘さんが、亡くなった奥様に贈った
詩集でした。弱ってい姉に、出来る事はないか
と、毎日想う私でした。佐藤様のブログに、力を
頂き、思い切ってこの詩集を、姉に送ることが
でいました。時間は、まだまだかかるでしょうが
前へ、進むヒントになれば…と。最後に、ブログ
本当に、ありがとうございました。今野久美

返信する
今野久美 様 (佐藤慶広(管理人))
2016-01-29 17:33:24
コメントいただき誠にありがとうございます。

落合恵子さんの詩。
一つの詩を読むのにも、その人の経験や感受性によって受容のありようは人さまざまなのだと感じます。
この詩は少なくとも私にとって、
その向かっているところに一緒にたどり着くには、
まだ幾歳月を要するかのように感じられます。

またもし私が近くに奥様を見ていたならば、
丹野先生の思い出を書くことはできなかったかもしれません。
だから先生との距離がそれを可能にしたのだと思います。

私がこのブログを書き始めたのは、
父が亡くなった直後でした。
父の死は私にとって大きな悲しみとはなりませんでした。
ただ本来は本を愛し、音楽を愛し、スポーツを愛した父が、
私たち子供のために一心に働き続けた。
過去の自分の趣味を封印するかのように生き続けた。
そんな父が死んで、
葬式が終わって、
もうこれからはただ忘れられていくだけの存在になってしまうことが、
どうにも耐えられなかった。
それが私にこのブログを書かせています。

今野様よりお便りいただいたこと、
私にとって心に力をあたえてくれるものとなりました。

あらためて、
ありがとうございます。
返信する
「お元気ですか」 (丹野幸子)
2017-05-30 21:41:20
佐藤さん、お元気ですか?私はのたうちながら夏目漱石の門を読み、それをきっかけに全集を読み始め、丹野が私淑していた小林秀雄を読み、毎日丹野と会話しながらの日々です。でも、行き掛かり上の、生活協同組合の仕事を再開して、東京会議にも行ってます。関東には佐藤さんもいるのだなぁと思いながら、一度お目にかかりたいと思ったりしています。先日は、病気でねたままに病院で過ごしている阿部聡さんとお会いしてきました。私は、なかなか丹野先生の文章をまとめかねていますが、ビートルズの「ヘイ、ジュード」最近私が心ときめかしている、ラッドウインプス、野田洋次郎という作者の「スパークル」と丹野先生の文章を入れた作品(?)を書きました。佐藤さんに読んでもらいたいなんて思っています。毎日若き日の丹野先生の文章を読み、読むほどに、また新しい発見があり、あの人が立ち上がってくるような、不思議であり、辛く幸せな、時間を過ごしています。文章をどうしたら送れるのか…。
返信する
「お元気ですか」 (丹野幸子)
2017-05-30 21:43:34
佐藤さん、お元気ですか?私はのたうちながら夏目漱石の門を読み、それをきっかけに全集を読み始め、丹野が私淑していた小林秀雄を読み、毎日丹野と会話しながらの日々です。でも、行き掛かり上の、生活協同組合の仕事を再開して、東京会議にも行ってます。関東には佐藤さんもいるのだなぁと思いながら、一度お目にかかりたいと思ったりしています。先日は、病気でねたままに病院で過ごしている阿部聡さんとお会いしてきました。私は、なかなか丹野先生の文章をまとめかねていますが、ビートルズの「ヘイ、ジュード」最近私が心ときめかしている、ラッドウインプス、野田洋次郎という作者の「スパークル」と丹野先生の文章を入れた作品(?)を書きました。佐藤さんに読んでもらいたいなんて思っています。毎日若き日の丹野先生の文章を読み、読むほどに、また新しい発見があり、あの人が立ち上がってくるような、不思議であり、辛く幸せな、時間を過ごしています。文章をどうしたら送れるのか…。
返信する
丹野幸子 様 (佐藤慶広(管理人))
2017-05-31 09:16:22
おはようございます。
コメントありがとうございます。
御無沙汰しております。
お陰様で元気にしております。
いろいろ活動されていらっしゃるようですね。
うれしく思います。
文章をお送りいただけるとのこと。
是非お願いいたします。
次の無記名コメントにメールアドレスを載せますので、そちらにメールをいただければ、こちらの連絡先をお伝えいたします。
送り方は書簡、FAX、メール添付(PDF、ワード)いろいろ可能かと思います。
楽しみしております。

こちらは梅雨の先触れのような陽気です。蒸し暑さに体がなかなか追いつかないでいますが、丹野様もお体にはくれぐれもお気をつけください。
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