今年もやってきた石中同窓会。今回は中野駅前にある「魚谷屋」さんで開催。
中野は20代ほとんどまるまる過ごした地であり、懐かしいことこの上ない。この日は時間があったので、お店に行く前に駅前付近を撮影してきた。
中野駅南口を出て左に100mほど進んだところにある会場に近づくと、お店の前にはすでに数人の人影。お店がまだ開いていないので、たむろしている。
オカくんとアキオくんの姿が。うーむ、大きい。昨年見た時もそう感じたが、今回もっと大きく見えた。何か全体に膨張しているような。もしかしたら背も伸びているんではないか、まだ成長期なんではないか、と思った。本人たち曰く、「ストレス太り」(オカくん)、「10キロ減った」(アキオくん)。まあ、太れるということは体力がある証拠なので、よいことだ。それと、やはり小中学校時代のイメージというものがあって、ガンジなどは元々大きいイメージがあるが、オカくんやアキオくんはほっそりしたイメージがあるので、何か今の姿を見ると、ギャップで実際以上に巨大化したように見えるのだ。
ケヅカくんは、今年も大街道もり眼科医院さんで「視覚障害者のためのチャリティーコンサート」を行ったと聞いていたので、お疲れ様と声をかけた。この催しは20年ほど続いているとのことで、いつか私も行ってみたいものである。
この日のメンバーは、さらにトッシュロ、ガンジ。少し遅れて ボデヒとユノメくんも合流した。
17時にお店が開き、店内に入ると、ガンジとケヅカくんの間で何かのやりとりが。見ると、「ウルトラQ」のDVDボックスセットがガンジからケヅカくんの手に。ガンジがケヅカくんに借りたらしい。それでウルトラQの話に。私はケムール人が夜の暗い東京の街を大股で飛ぶように疾走するシーンがたまらなく怖かったとか、ラゴンの赤ちゃんの映像が原始的な合成技術ゆえに気持ち悪さ倍増だったとか、そんな話をした。(リアルタイムで見ていたのは小学校1、2年だったと思うが、何年か前にNHKBSでウルトラシリーズをまとめて放映した際に録画して見ており、その時の感想も混じっている。)
ガンジは、ラゴンの着ぐるみに入っているのはウルトラセブンのアマギ隊員役の人であると教えてくれた。この人がウルトラマンの中に入っていることは知っていたが、ラゴンの中に入っていたとは初耳だった。ガンジはそれ以外にも、一話一話のストーリー展開をよく覚えていて、あまりに詳しいのでそのこと自体に驚いてしまいました。いや、凄いですね。
会場になった「魚谷屋」さん。「宮城漁師酒場」とある通り、宮城県の漁師さんたち直営のお店である。
漁師集団「フィッシャーマンジャパン」に参加する宮城の漁師さんたちが、クラウドファンディングで調達した資金を元に開店したらしい。その経緯は下記を見てもらうとして、宮城の海の幸が新鮮なままふんだんに味わえる。もちろん私の好きな日本酒も豊富に取り揃えている。宮城出身の魚好き酒好きにはたまらないお店である。産直の直売店もあり、フィッシャーマンジャパンのネット販売でもこのフィッシャーマンたちの獲物が購入できる。
お通しは海藻のサラダ。海藻の種類は聞いたことのない名前(アカモクだったかな)。刺身の盛り合わせにも知らない名前の魚があり、宮城に住んでいても知らない食べものもあるのだなと思う。ほっけの焼き物はホクホクで美味い。ビール、ハイボール、日本酒などを飲む。日本酒は何を飲んだかあまり覚えていないが、日高見や萩の鶴などを2合で頼んでみんなでお猪口で分けて味見した。メニューにあった乾坤一の「愛国」(酒米の名前)も興味をそそった。
トッシュロはすでに何度か訪れているお店だそうで、この日も開店直後から続々と席が埋まる盛況ぶり。中野の駅近で、オフィスも住宅も多いから、宮城出身者は来るでしょうね。この日は同窓会での利用で、お店の真価を十分味わえるところまでいかなかったので、またの機会にいろいろ試してみたいと思う。
話題はそれぞれのお仕事や進路、サトコ先生のこと、ガンジたちが必殺からくり人以外にも毎年度ドラマを制作していたこと、小中学生時代の同級生のこと、しょんつぁんのこと、中野のこと等々。
ガンジたちのドラマ制作は、必殺からくり人などのように、今それを聴くことによって、ウン十年間前の自分たちの姿に触れることができる。その意味でとても貴重なものだ。自分たちの過去の、若きあるいは幼き時代の姿に、年を重ねてから触れるというのは、何とも不思議な気分であり、そして何とも言いようのない愛おしさを感じる。
「しょんつぁん」は私たちが小学校低学年時ぐらいに、石巻の街中に出没した人物である。年齢は三十代ぐらい、坊主頭で、作業着のような服を着て、廃材となった木の棒切れを集め歩いていた。足が不自由らしく、両足が極端なX脚で、腰をかがめながら歩いていた。いつも口が半開きで、ちょっと狂暴そうにも見えた。私たちはしょんつぁんが現れると、「しょんず、しょんず」などと言いながら石を投げたりしたのだ。今考えるととんでもないことをしていたのだが、そのころは集団心理も手伝ってか、そんなことをしていた。「しょんつぁん」には「名前はしょうじ」とか、「ショウイチというお兄さんがいる」とか、「足が悪いのは親に自宅近くの崖から突き落とされたから」(石巻駅から中嶋外科の方向に登った突き当りにかつて採石場のようなところがあり、急な崖になっていた)とかといった真偽確からざる話もあり、ボデヒも「聞いたことがある」と言っていた。私はしょんつぁんのお兄さんらしき人がパチンコ屋によく出入りしているのを見かけた記憶がある。たぶん大町ホールだろう(ホシノの向かい)。
「牛友チェーン」の名前が出たのはユノメくんからだろうか。中野には昔「牛友(ぎゅうゆう)チェーン」という牛丼・カレーのお店があり、その量の多さは、若い時分にお腹を空かせた私たちとしては、大変重宝するお店であった。場所は中野駅南口を出て正面に見えるビルの4階あたりで、現在1階に三井住友銀行が入っているビルのあたりにあった。現在お店はなく、ビル自体も建て替わっているのではないか。学生時代に鰐陵(石巻高校)柔道部の後輩の鈴木くん(大食漢)がアパートに遊びに来て、私の自家製ラム肉カレーをたらふく食べた後、帰りにこの牛友チェーンの大盛牛肉カレー(大盛カレーに牛丼用の具をのせたもの)を食べようとして失敗したのを思い出す。
あこがれの女の子たち(?)の話などもしながら、私たちは宮城の美味に舌鼓を打ったのである。
* * * *
魚谷屋さんを出ると、2軒目を探す旅に。北口のサンモールの一本東の飲み屋街を歩く。かつての職場があったところということでオカくんに店探しを一任。なぜかエイティーズ('80年代)酒場のようなところをあたるが、あいにく満席。結局カラオケ屋さんに。その間、飲み屋街を歩いたが、私にとってはなかなか懐かしく楽しい散策だった。写真をもっと撮っておけばよかった。
カラオケ屋さんでは、はじめそれぞれ思い思いに歌っていたのだが、ユノメくんオカくんが懐かしの邦楽1番のみシリーズということで、60年代から80年代の曲を次々にリクエスト。歌謡曲、フォーク、ニューミュージックの名曲を、いきなり指名で歌ったのだ。
「花嫁」「大都会」「22歳の別れ」「心の旅」「あの日に帰りたい」etc...
「木綿のハンカチーフ」にボデヒが「東京に出るとほんとにこんなふうに染まんのがなとそん時思ったな」と呟いた。
いろいろな曲を聴いていて感じたのは、あの頃これらの曲を書いた人たちは10代、20代の若者。その彼らがなにゆえにこれほどまでに「別れ」や「死」について考え、そして深みのある詩や曲を書いたのだろうか。書くことができたのだろうか。後日その話をしていて、ある人が「若い人は敏感なのだ」というようなことを言った。同感だった。そして「若いからこそ、そういうことについて考えるエネルギーを持ち得るのだ」とも思った。そして、そういう曲を若くして作った当人たちは、自分の曲を年を重ねてから聴いてどう感じるのだろうか、とも思った。少なくとも私にとって、名曲は古びることなく、名曲のままだ。それは単に懐かしさを感じる以上のものだ。年月に洗われて、光を増すもの、聴きこまれることによって底にある色や光が表に出てくるものある。漆器のように。そういう曲の一つがこれである。
スカボローフェア【訳詞付】 - Simon & Garfunkel
ちなみに三善英史の「雨」や藤正樹の「忍ぶ雨」といった、歌以上にキャラが印象的な曲も登場。残念ながら藤正樹の「紫の学生服」はカラオケ映像では見ることができなかった。(今のカラオケでは、本人登場映像使用の曲などを探して選択したり、その種のものだけを続けてリクエストしたりできるらしい。)
おそらく石巻時代だけではなく、自らの20代も振り返りながらのカラオケタイムになった。今宵も楽しい時間をありがとう。
20181117 石中同窓生と「宮城漁師酒場 魚谷屋」で飲んだ
付記1
私が上京後に最初に住んだのは、新宿区原町3丁目。東京女子医大や、昔のフジテレビのあるあたり。夏目漱石の生家のある牛込も近い。そこの4畳半のアパートが、住んで3カ月で取り壊しになり、中野に引っ越した。最初は中野1丁目のJR中央線の線路沿いの6畳間。2階だったがウナギの寝床ののような細長い部屋で、窓の外がすぐ線路。毎朝4時半から電車が行き交い、当時は少し面白がって住んでいた。遊びにくる友人も電車の中から声をかけてくることもあった。その後中野3丁目の丸井の裏手に引っ越した。
付記2
中野のシンボルである中野サンプラザであるが、来年取り壊され建て替えられるらしい。ミュージシャンからは音響面の優秀さから建て替え反対の声も出ているそうだ。この三角形の形は日照権の問題かららしいが、建て替えられるにしても、今の姿を保ってほしい気がする。
付記3
私としては「ラーメン・カレーのタブチ」も「牛友チェーン」に劣らず気になるところだが、後で調べてみると、2014年頃閉店しているようだ。こちらは駅のそばの「丸井」の手前の横路を登ってすぐの左手のビルの2階にあった定食屋で、東京のまずい飯を堪能できるお店だった。といっても「マズ旨」一歩手前だったが。
そういえば「とんかつ富士」もなくなっていた。
店内が異様に暗くて狭く、常にクラシック音楽をかけていて、オヒヤのグラスがワンカップ大関の空き瓶、コーヒーミルクを入れる器がマヨネーズのキャップで有名だった「喫茶クラッシク」もなくなっていたが、店主の遺志を継いだ方が高円寺かどこかでお店をやっているとの情報もある。
昔のお店はいろいろなくなっていたが、新しい良いお店も増えているだろう。機会があればいろいろ訪れたいものだ。
付記4
中野といえば私は「中野大勝軒」にはほぼ毎年1回訪れて「スペシャルつけ麺」を食べている。つけ麺で私が最も美味しいと思うお店である。東池袋のあの「大勝軒」の店主(故人)が修業時代に「つけ麺」を発明したお店である。昔に比べれば味が落ちてきている気がするが、それでも私にとっては一番だ。麺を食べ終わった後に「スープください」といって丼を差し出すと、つけ汁にスープを足してくれ、それを飲むと美味しい。しかも足してくれる量が「もうちょっとほしいな」と思うたいへん微妙な量なのが、ますます美味しく感じさせる。とにかく「スペシャルつけ麺」がおすすめである。
付記5 最近つぶやいた曲
André Rieu & Gheorghe Zamfir - The Lonely Shepherd
Imagine Dragons - Natural
私にとって懐かしい地ということもあり楽しい会になりました。
みんな変わらず元気でした。
イトーキも良い年をお迎えください。
今回はスケジュールの関係で不参加です。みなさんによろしくね。
ガンジも中野近辺に住まっていたのですね。どこかですれちがっていたかもしれないですね。中野は駅前がかなりきれいになりましたが、それでも地方都市感が残っていて好きですね。東中野なんかは昔とあまり変わらないような…(笑。美味しいお店も多いので今でもたまに行きます。またあのあたりで美味しいお店があったら紹介してくださいね。