大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20190801 やっぱり激熱・激暑だった! 2019 石巻 川開き祭り 帰省その3

2019-08-30 13:24:44 | 日記

サンプラザホテルをチェクアウト後、駅前から寿町通りを経て大文字屋に到着したのは10時30分ほど。

2階居間でキクちゃんに挨拶、仏壇で憲ちゃんに挨拶の後、1階の店頭で今年もお店を出している楓楸栞(ふうしゅうかん)さんに挨拶。そしてパレード撮影の準備に。

アイトピアの車道に三脚、カメラを設置。
陽射しがキツい。
炎天下での撮影はカメラが熱を持ちやすいので、できるだけ日陰で、水で濡らしたタオルで冷やしながらの撮影。私の体も冷やす。
平日、厳しい暑さもあって、人出が多いと言えない。だが、沿道には徐々にギャラリーが詰めかける。

午前11時、パレードスタート。今年は消防音楽隊から。最近プログラムに明記されていないが日赤看護専門学校カラーガード部の皆さんとのコラボである。

そして、石中吹奏楽部、各小学校の鼓笛隊へと続く。

アイトピア通りに響き渡る金管楽器、ドラム、シンバルの音、聞く耳と心と全身に沁みわたる。ふだんは眠っている何かが賦活される。

生の楽器音の快(こころよ)さ。
時折バトンやリングを落とすのもご愛嬌。
湊小の先頭に見えるのは校長の坂本くんであろうか。

パレードが始まってまもなく…
「あのう、もし間違ってたら申し訳ないんですが…、大文字屋の方ですか?」と女性から声をからけられる。
「はい、そうですが…。」
「私、以前大文字屋に勤めてました…旧姓イトウと申します。」
その言葉とお顔を拝見して、アッと思った。かつて大文字屋には女性の定員さんが常時数名勤めていて、大体の方のお顔は記憶にある。その方のお顔も私の記憶の中にあったのだ。
「あーッ!! ご無沙汰しております。」
なつかしさと驚きに興奮しながら、それぞれの近況をひとしきり話した。
結婚して震災後は泉町にお住まいとのこと。
小柄で丸顔のその方は若者と歩いており、成人したばかりの息子さんだそうだ。
しばらく一緒にパレードを見る。親子仲良くお話している。
大文字屋にもたまに遊びに来てくださいとお声かけして別れた。

小学校の鼓笛隊の後、たい平師匠が笑点のテ-マとともに。それにエイサー踊りが続く。

縄張り神社神輿が通り過ぎると、パレードは小休止。ここで私はランチをいただきに知人とともにキッチンじゃがいもさんを訪れる。

お店に入るとママさんがこちらに気付き、声をかけてくれる。
「あら、こんにちはー。M、来てるよ。」
息子さんのM君は小学校の時からの私の同級生。言われて指さす先を見ると、M君の顔が目に飛び込んでくる。

不意を突かれて思わず「オーッ!!」と声を出してしまう。
サプライズである。
M君とは震災の年の川開きで会って以来だから8年ぶり。あの時会った時には、その若々しさに30代かっ!?、と思ったが、今回は40代ぐらいの少し落ち着いた雰囲気に見えた。

いやいやご無沙汰ということで、積もるお話をしたのだった。
M君は医療関係に従事しているが、高次脳機能障害という障害の治療に携わっている。直接の治療もそうなのだが、この障害についての周知活動にもだいぶ力を入れているようだ。病気や怪我による脳の障害には回復不能なものもあるが、この障害は適切な環境で適切な治療を行えば回復可能で、職場復帰・社会復帰も可能とのこと。ところが医療や行政の現場でそれが十分認知されていないために、適切な治療が受けられないケースが多いのだそうだ。

彼らしく話ぶりには熱を感じさせるが、その中に聴く側を慮るソフトさが加わり、そのあたりも落ち着きを感じさせるところだった。
今年はママが少し前に病気になり、その関係もあって少し長めの帰省らしい。そういえば、じゃがいもさんが一月ほどお休みした時期があったと聞いたことがあるが、その時のことらしい。ママさんは一時だいぶ悪かったらしいが結局無事回復されたそうで、M君曰く、「奇跡の復活なんだ!!」と相変わらずインパクトのある表現をしていた(苦笑。
まもなく定年を迎えるが今後のことは何も決まっていないとのこと。まあ、いろいろ考えることはあるだろうし、彼にとって仕事はただの仕事ではないだろうから、彼らしい選択をするものと思う。

M君とは小学校時代に石巻柔道会に通っていて顔見知りであり、ご両親が営むキッチントリオというその当時としては極めて珍しいイタリアンレストランに大文字屋から食材を納めていたこともあり、馴染みがあったのだが、最も親しくなったのは中学から高校時代にかけてだ。特に中学時代は、学校帰りに永巌寺の本堂の左脇の木の階段に腰かけて毎日のように話をした。

彼からは、どういうことでブログを書くことになったのかを聞かれたのだが、以前にどこかに書いたように、父が死んで法事がひと段落した時、憲ちゃんというひとりの人間がこのままただ忘れ去られていくことに何とも言えぬ耐え難い(たえがたい)ものを感じた(そこには自己投影もあるのかもしれないが)、さらに、書き始めてからは、法事の時に会ったこともない親戚から「読んでますよ」と声をかけられたことがあり、「読んでくれる人がいるなら、そういう人のために」という気持ちも今はあることなどを言った。

そう書いてきて思い出したのだが、中学時代に私たちは、ラジオの深夜放送のDJ(ディスクジョッキー)を真似て、ナレーション+音楽のDJ番組を作ってカセットテームに録音し交換していたことがある。たとえば、「ビートルズは来日公演の後、ファンの反応についてインタビューでこう答えていたそうです。“みんな、ずいぶんおとしなかったね。”…というわけで、ビートルズの曲○○をどうぞ。」などというふうに。因みにM君は自分の番組に「MO's Something(モス・サムシング)」というビートルズを意識したタイトルをつけていた。考えてみれば、このブログで文章や写真に自分のお気に入りの音楽をつけるというのも、さかのぼればこの中学時代のDJ番組作りに行きつくのかもしれない。私は今もあの頃と同じことをしている。

彼が記憶する私自身についての思い出としては、吉川英治の「宮本武蔵」を勧めてもらい、読書の幅が広がったというようなことを言ってくれた。高校時代のことだと思うが、おそらく私が「空手バカ一代」の大山倍達(おおやま ますたつ)の影響を受けて読んだものを紹介したのだと思う。中学時代のブルース・リーブームから続いた格闘技熱の延長にある読書だった。内容もさることながら、当時の私にとっては全6巻という長い小説を読み通すことが、この読書の意義になっていたように思う。その長さにおいて高校時代に読んだ本としては「カラマゾフの兄弟」と双璧だった。

私が彼に与えたものが何かは分からないが、私が彼から受け取ったものはたくさんある。高校時代のいくつかの旅、蔵王の山頂から数時間かけてスキーで滑降したり、ヨットに乗ったりといった後に私の糧になった経験は、好奇心旺盛で行動力ある彼との付き合いなしにはありえなかった。歩む道は同じではなかったが、共に過ごした時間の中で、互いに刺激し合った間柄でもある。そういう意味で、Mは私にとってたんなる親友以上の何かであったように思う。

この日はお店のスペシャルである「たらば蟹のスパゲティ」が売り切れだったので、スパゲティ・ミートソースとホットコーヒーをお願いする。いつも通り自然で素直な味で食が進む。

そうこうしているうち外から「ものう はねこ躍り」のお囃子が聞こえてくる。撮影の続きをしなくちゃ。ということでママさんとM君と私とで記念撮影をさせてもらい、M君と固く握手してお店を後にした。

はねこ踊りは個人的にはパレードの華である。とはいえこの暑さの中で、この衣装での激しい動きはたいへんである。よって、号令をかける方も50メートルごとぐらいに休憩を入れる。この号令をかける方がなかなかユーモアがあって面白い。「次、○▲⬛×(踊りのパターン名)」と号令をかけ、踊り手の皆さんが「エーッ!!」と悲鳴をあげると「エーッって言わなぁい!」と、きつい感じではなくのんびりした感じで返したりするのだ。

はねこ踊りには数種類のパターンがあり、なかでもお囃子のペースを上げての激しい躍りは最大の見ものだ。これはエイサーも同様で、できれば頭から終わりまですべて録画して全パターン記録しておきたいと思っている。来年はチャレンジしよう。

はねこ踊りが過ぎ、縄張り神社神輿(みこし)が終わるとパレードは再び小休止。その間に平塚さんの湿布薬を星薬局で買い求め、おうちまで届ける。お母さん在宅で、何か市役所からきた書類がよくわからないと言うので書類作成を手伝った後再度お別れの挨拶をして辞去。

撮影に戻ろうとすると電話が入る。番号は恵美ちゃんだが実際には兄だった。立町の肉屋に焼き鳥を予約するから取りに行ってくれないか、無理ならキクちゃんに取りにいくように伝えてほしいとのこと。私は予定が見えないし、キクちゃんそんな用事に対応できんのかいなと思いつつ、言ってる意味がよくわからん、何すか? と返事をすると、じゃあ後でもう一度連絡すると言って電話は切れた。

立町通りに出るとパレードはフィナーレの大漁踊り。各種団体が参加している。大勢が思い思いに祭りに参加している感じがいい。各所で和太鼓で調子をつけたりするのがたいへん盛り上がる。

パレードが終わり、花火大会が始まるまで少し時間があったので、橋通りから元気市場前へ出て烏賊ポッポと冷たい飲み物を買って一息つく。露店にテーブルやベンチが置かれているが、人が多いので空きが少なく相席に。私が座った隣のかなりデキあがっている感じのネクタイ姿の男性が話しかけてくる。聞けば役所関係の被災地支援で、神戸から出向してらっしゃるとか。神戸の震災の際のお返しなのだそうだ。「おたがいに助け合うのは当たり前ですよね」と語るいい人だが、この後路上に転がったりしてやや飲み過ぎの感あり。席を探しているらしい別の男性がいたので「どうぞ」と声をかける。年齢60歳代ぐらいだがバックパッカーみたいな軽装(Tシャツ、短パン、スニーカー、キャップ、リュックサック)。この後おいしいラーメンでも食べたいのでお店を紹介してくれと言うので「もりや」、「大王(たーわん)」、「しぇんろん」などを教える。明日網地島に行くという。聞けば某化粧品会社のOBだか相談役だかで、会社が障害者支援活動を財政支援している関係で、海水浴を中心とした障害者のための行事にオブザーバーとして参加するとのこと。県外からの来石で、石巻の賑わいに驚いていた。ふだんはそんなに賑やかではないことや、少子高齢化・過疎化など所謂(いわゆる)「地方の問題」を抱えていることを説明するとわかってくれたようだ。「結局まず、ひとつひとつの会社や家庭がしっかりやっていくことが大事」という私の言葉に頷いていた。美味しいラーメンを食べてほしいとなと思った。

一旦大文字屋へ戻り、少し食べ物をつまみ、休んでから、再び撮影に。いよいよ花火大会である。

今年は最初のカウントダウンのところだけ、広小路の川沿い、友福丸前あたりで撮影することに。
周りは混雑を極めていて、陣取って座っている見物人の前に通行人が立ち止まって視界をさえぎる場面がしばしば見られ、ケンカなどトラブルが起きないか心配になる。
午後7時30分、花火がスタート。今年はよく晴れ、風も多少あるので、煙で花火が見えなくなることは少なそうだ。

最初の位置では電柱や建物が映りこむので早々に移動。川沿いを門脇方面へ進み、防潮堤がまだ完成していないあたりで撮影続行。

ドーン!と腹に響く爆発音。夜空の巨大スクリーンにいつ果てることなく繰り広げられる一大絵巻。

こればかりは写真や動画ではなかなか迫力が伝わらない。
また花火にはそれぞれに創意が感じられる。現今の花火は単発や単純な連発は少なく、いろいろな種類の組み合わせが主流。時として創作の新作花火も披露される。花火には花火師たちの美意識が反映されているのだ。

予定の21時を超えて花火は終了。忙しかったが充分に満喫した今年の川開き。余韻を楽しみ、名残を惜しみながら家路につくのであった。

大文字屋に戻ったのは9時半過ぎ。昨夜のお酒の残り半分で晩酌しつつキクちゃんと近況を話しながら夜を過ごす。
キクちゃんの視力は以前とあまり変わらないようだ。視野の周辺部はまだ見えるらしい。ただ耳が少し遠くなっていた。以前は諸事情から耳が遠いふりをしていると推察される状況があったが、かなり聞こえにくくなっているようである。そういう状況なので、ふだんは店を開けることもお店に出ることもなく、2階の居間で扇風機と壊れた冷蔵庫を相手に過ごしている。食事を買いに外出して野田やさんあたりに行くことはあるようだ。夏場は暑いので、兄の透析の際に病院に同行し、冷房のきいた患者の家族用控室で半日過ごしてくるとのこと。今はそんな毎日であるキクちゃんだ。

朝から早起きして動き回っただけに、今夜はお酒二合で十分だった。心地よい疲れとともに私の意識は夜の闇に溶けていった。

 

20190801 石巻川開き祭り パレードと花火大会

20190801 石巻川開き祭り パレード

20190801 石巻川開き祭り 花火大会

 

 

 

付記1 
今年はアイトピア通りに七夕飾りがなかったのがさびしかった。


付記2
鼓笛隊の演奏曲名で確認できたのは下記の通り。たぶんですが。

・負けないで(ZARD)
・風になりたい(THE BOOM)
・鉄腕アトム
・宇宙戦艦ヤマト


付記3
Mくんとの思い出はいろいろあるが、今回思い出したのはこの曲のこと。↓
Savoy Truffle (2018 Mix)

「サヴォイ・トラッフル」は、ビートルズのホワイトアルバム(通称、正式名称は「ザ・ビートルズ」)という2枚組アルバムの2枚目に入っている小品。

私は小学校高学年からビートルズを聴いていたが、比較的後期のこの曲はとぼけた味があって親しみを感じていた。そのような話をM君にするとM君は、「いやー、何だかこの曲はいやだな。気色悪い」というようなことを言った。私は特にサビの部分の裏声になるあたりが、何かふざけた感じがして面白いと思ったのだが、Mくんは嫌悪感を覚えたらしい(今はどうかわからない)。

曲(詞)の内容は、ジョージ・ハリソンが、録音に参加していたギタリストのエリック・クラプトンが甘いもの好きで虫歯に悩んでいたことに想を得たらしい。最初の1コーラスの歌詞を見ると、

クリーム・タンジェリン、モンテリマ
パイナップル・ハート付きジンジャー・スリング
コーヒーデザートだよ、グッド・ニュース(良い知らせ)だね
でも、(歯を)全部抜かなくちゃならなくなるね
サヴォイ・トラッフルを食べた後は

「クリ-ム・タンジェリン」、「モンテリマ」、「ジンジャー・スリング」、「コーヒー・デザート」はすべてチョコレートの名前で、「サヴォイ・トラッフル」も同様である(意味を細かく言うと「サヴォワ風のトリュフ」。サヴォワは現フランス南東部の地域名で、そのあたりで採れたトリュフの意だろう。そのトリュフが入ったチョコレートらしい)。「グッド・ニュ-ス」とはこれらのチョコレートが入っている詰め合わせ商品の名前で、曲中では「君の好きなチョコレートの名前、グッドニュース」と「良い知らせ」の二つの意味がかけられている。それにしても歌詞の大半がお菓子の名前(しかも固有名詞)というのも珍しい。(ちなみに「グッドニュース」は、日本では「キットカット (Kit Kat)」で知られるイギリスの菓子メーカー「マッキントッシュ社」の商品。同社は1988年にネスレ社に買収されている。)

この曲を作るにあたって、ジョ-ジ・ハリソンは、サックス奏者に依頼して録音した際、音に加工を施し、それについてサックス奏者たちに「あなた方が良い演奏をして良い音を出してくれたことは分かっている。でも、この曲にはこの音が必要だっだ。許してほしい」と謝ったという。歯痛に悩んでいるにもかかわらず甘いお菓子を食べ続ける友人をからかう歌のためにそこまでするところがなんとも面白い。

イントロの何となく落ち着きのないドラム。刑事ドラマのようなサスペンス感あるエレクトリックピアノ。サックスの無神経な野太い音。時に深刻そうに、時に軽妙に、ところどころスパイシーに。「痛みで頭の中が汗で一杯になり、ついには大声で叫ぶんだ」と苦悶の描写、「甘い(心地良い)ものは酸っぱい(つらい)ものになる。みんなオブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダを知ってるだろう。でも君たちどうなった?」とポールへの皮肉も入っていたりする。フワフワしながらも全体に引き締まった曲で、ジョージのペーソスがよく出ていると思う。私風に言えば、とにかく聴いていて、何か耳が痒(かゆ)くなるような曲である。そこがいいのだ。

 

 

(追記20190830 16:20 虫歯に悩むエリック・クラプトンの曲を2曲 ↓ &サヴォイ・トラッフル歌詞・訳詞)

Eric Clapton Layla Original

Eric Clapton - Change The World

 

付記4
その他最近聴いた曲

NOTD, Shy Martin - Keep You Mine (Lyric Video)

SHY Martin - Same Old (Official Lyric Video)

(20190831 04:35 追記 “same old”↑は「いつもの、お決まりの、相変わらずの、決まりきった」といった意味がある。良くも悪くもである。)

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