2019年の川開き帰省は、7月31日07時00分生田発小田急小田原線通勤準急松戸行に始まる。登戸駅で快速急行新宿行に乗り換え07時29分新宿着、07時37分JR中央線快速東京行に乗り換え、7時51分東京着。08時20分東京発東北新幹線はやぶさ5号新函館北斗行に乗車。09時51分仙台着、10時18分発JR仙石東北ライン石巻行に乗り換え、11時16分に石巻に到着した。4時間あまりの旅。(最速4時間以内で到着するがアクシデントを考慮し一電車余裕を持って移動。)
石巻駅前は暑かった。日射しが強い。東京辺りのこもった暑さではなく、日光を遮るものがない無防備の暑さである。
電車内の私は石巻が近づくにつれ、脳がカレーライスになっていた。駅のコーヒーショップでカレーライスを食べるイメージが出来上がっていたのである。喫煙所で一服後、コーヒーショップに入りメニューを見ると、カレーライスがない!
「カレー、ないんですか?」
「はい。」
そういうわけで店を出る。たしか昨年から喫煙不可になったこの店にコーヒーを飲むためだけに居る理由はない。駅前を何気なく通ると市役所脇にランチにカレーを出すカフェを発見。悪くなさそうなので入ってみた。スパイスの効いたプレーンタイプと大山鶏の入ったタイプの2択で大山鶏をチョイス。食べてみるとルーもお肉もまずまずのお味。本を愛好する落ち着いたお店の雰囲気も好印象。また来てみようと思った。(もしかしたらこちらに客をとられて駅のコーヒーショップはカレーをメニューから外したのかもしれない。)
腹ごしらえを済ますと一路「渡波海水浴場」へ。
今回の帰省では31日は実家の都合がつかず泊まれないことがわかり、旅程を練り直すことになった。グランドホテルもいいのだが、芸がない気もして、石巻の他の宿泊施設を調べてみた。すると、市内中心部だけでなく、牡鹿半島や島方面にもいろいろ宿があることがわかった。ビジネスホテルから昔ながらの旅館、民宿、復興関連の長期滞在型宿泊施設も目立った(工事の減少で縮小・撤退もあるようだが。)個人的に気に入ったのは潮美荘というところだが、それというのも宿のセンスもさることなが美しい海で海水浴を楽しめるロケーションである。そうか、震災があってからもこういう宿は海を楽しむ人たちのためにがんばってきたのだな。そんなことを思いながら、「そういえば渡波辺りはどうなのだろう」と思った。調べてみると市のホームページ に「渡波海水浴場オープン」のお知らせ。幸い天気予報は晴天続きである。これは行かねばなるまい。そう思ったのである。
渡波海水浴場に到着。場所は漁港に近く、昔の渡波海水浴場よりもかなり西寄りである。プレハブの更衣室、シャワー、トイレが整っている。防潮堤を登るとその向こうに薄緑色の海が見えた。
青空と太陽の下、静かに海は広がっていた。潮騒に耳を澄ませる。砂浜は渡波、万石浦方面に続く。200メートルほどの幅にブイを浮かべて、こじんまりとではあるが、渡波海水浴場はあった。監視員が2名ほど監視塔に陣取り、数組の家族連れが水遊びに興じている。それを遠くから眺める日傘を差した老夫婦。平日の、川開き当日ということもあってか、人影は疎らだ。しかし、穏やかな静けさが満ちている。
準備体操もそこそこに水に入ってみる。はじめ少し冷たいが、冷たすぎず温かすぎず心地よい。顔を浸けて平泳ぎ、クロールで恐る恐る泳いでみる。どうやらまだ私は泳げるようだ。たぶん40年ぶりの渡波海水浴場での泳ぎ。水は40年前より透明に見える。海草もそれほど多くない。私は変わったのだろうか、変わらないのであろうか。いずれにしても海は私をあたたかく迎えてくれた。
震災後、川開きの行事の取材で漁港まできたことはあったが、渡波までくることはなかった。そういう心のゆとりもなかったし、まして泳ぐなどということは考えもしなかった。そこには津波で多くの人が亡くなったことからくる憚(はばか)りの気持ちもあった。今回渡波で泳ぐ気持ちになったのがなぜだかはわからない。それはたんに懐かしむ気持ちからだけではない。というより、そういう気持ちはむしろわずかだ。それは怪我や病から癒えた体がかつてのように働くかどうかを確かめる作業であったように思う。私にとって、リハビリであり、快癒の確認だったように思える。
* * *
折角ここまで来たので万石浦あたりまで足を延ばすことに。
万石橋を渡り、工事が行われている場所を通ってサン・ファン館、佐須ノ浜へ。
サン・ファン館は初めて見た。といっても中に入ったわけではなく、外から眺めただけだが。オフシーズンで閑散としていた。たしか現在は船内の見学ができず、資料館のみ稼働のはず。ホームページによると老朽化の影響によるとのこと。
サン・ファン・バウティスタ号は17世紀初めに慶長遣欧使節一行を乗せて太平洋を渡った木造帆船「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船である。HPに掲載された画像を見ただけでも、生々しい歴史の迫力を感じられる。
この船と慶長遣欧使節についてはサン・ファン館HPに詳しいが、私自身はこの使節の歴史的意義について知らなかったので少し調べてみた。すると、wikipediaの慶長遣欧使節に次のような記述があった。
“慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)は、慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ3世、およびローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節である。”
“慶長遣欧使節は「日本人が初めてヨーロッパの国へ赴いて外交交渉をした」画期的な出来事であった。常長らは「初めて太平洋・大西洋の横断に成功した日本人」である。のちに江戸幕府崩壊後、明治新政府は岩倉具視を全権大使として欧米視察の使節を送ったが(岩倉使節団)、その際に欧州で常長らの遺した事跡に出遭い、日本ではほとんど忘れられていた常長達の存在が再び注目されることとなる。明治新政府の首脳たちは欧米視察によって日本がいかに遅れた国であるのかを痛感し大きな劣等感に苛まれていたが、このとき250年以上も先立つ昔に日本の外交使節がスペインで外交交渉を行いローマまで派遣されていたという衝撃的な事実を知った。常長達の足跡を目の当たりにして、岩倉たちは大いに勇気づけられたという。”
“しかし日本でのキリスト教取り締まりに伴い、この外交交渉は成功しなかった。元和6年(1620年)遣欧使節の副使であった常長はマニラ経由で帰国したが、その2年後に失意のうち没し、その墓は宮城県仙台市の光明寺にある。遣欧使節の正使のソテロも、元和8年(1622年)キリスト教禁止下の日本に潜入を図るが捕らえられ、寛永元年(1624年)火刑に処せられた。常長がスペイン、ローマから帰国したとき、日本は幕府の方針によって、キリスト教禁止の時代になっていた。”
慶長遣欧使節にはこのような歴史的意義とともに人間ドラマがあったことがわかる。サン・ファン館には機会を見て見学に訪れたいと思う。
因みに宿泊施設を調べてみると、隣接するホテルサンファンヴィレッジはなかなか使えそうなので、来年利用してみようかと思う。
佐須ノ浜を見て、ここは前に一度来たことがあると思った。憲ちゃんに車で連れてきてもらったのか、享さんに釣りに連れてきたもらったのか、どちらか定かではないが、こじんまりした浜の絵が記憶にあることから前者ではなかろうか。今は8メートルほどの防潮堤が築かれ、浜と海は分断されている。海岸線の防潮堤には賛否両論があり、海辺の風景の破壊、人心を海と断ち切る、過疎化を助長する、コンクリートは建設した時点から劣化が始まる、そのメンテナンスは?…建設の趣旨からすれば、おそらく防災上の効果が第一の論点になるであろう。
なおブログを書いている時、佐須ノ浜で検索すると鰐陵(がくりょう 石巻高校)ヨット部のツイッターにヒットした。この辺りで活動しているらしい。なかなか立派なアカウントである。
***
この後私は市街に移動。サンプラザホテルに16時チェックイン。荷物を落ち着かせた後、小柳町の平塚タツヤくんの家に。お母さんは元気だが、この一年で3度ほど転倒し、膝を痛めている。湿布薬を切らしたが、祭りの人混みを星薬局まで買いに行くのが億劫なのでがまんしているというので、明日買ってきましょうと約束する。相変わらず亡くなったご主人が就寝中に現れて怖い、困るとのこと。あっちが寂しくて会いに来るんじゃないですかと私。それでもタツヤくんの弟さんが法事を仕切ってくれた話などしてくれた。
タツヤくんの家を後にしたその足で四釜商店へ。日本酒の4号瓶一本(田林(でんりん)特別純米酒)を購入。お店の人から大女将の健在を聞き、よろしくお伝えいただくよう申し上げると、仙台にいる女川の大文字屋によろしくとの言葉をいただく。
立町の通りを内海橋方面へ歩き、昔の宮城交通辺りで供養花火大会をチラと見る。私のすぐ前で地元の若い女性と東南アジアから来日しているらしい男性との日本語と英語のチャンポンの会話が聞こえてくる。「いつから日本語を習い始めましたか」「スリーマンサゴー」。かつては川開き祭りに見かける外国人というと西洋人、白人が多かったが、今はアジア人が多いようだ。これも時代の変化だ。
宿への道すがら酒の肴にと夜店で蒸しほやと焼き牡蠣串(焼き牡蠣)を購入。サンプラザホテルに戻ると1階のコンビニ(ミニストップ)で少しの食べものを買い、部屋でお酒2合とともにいただく。
蒸しほやは初めて食べたが、最初殻ごと口の中に入れて噛み切ろうとして当然噛み切れず、「何て硬いんだ―!」と思ったが、そもそも殻から身を離して食べるものらしいことに気づく。なるほどこれはなかなか旨い。なかなかの肴である。焼き牡蠣が美味しいのは言うまでもない。田林特別純米はしっかりした酸と、適度なコク、すっきりした後味と、なかなか良いお酒であった。なお、後で前年の帰省(2018年7月31日)に飲んだお酒を確認したら、まったく同じ田林特別純米だったことが分かり愕然とする。私は極力いろいろなお酒を飲みたいクチなので、同じお酒を飲んでいたことにショックを受けたのだ。来年は間違いなく別のお酒を飲むぞと今は思っている。
こうして2019年7月31日の帰省初日は終わったのである。耳の奥に潮騒を聴きながら…
20190731 渡波海水浴場で泳いできた
20190731 渡波海水浴場で泳いできた
付記1
駅前のカフェの名前は"cafe grain"(カフェ グラン)というらしい。スペースがゆったりして落ち着いて過ごせるお店である。
付記2 石巻の宿泊施設と海水浴場に関連する情報は下記の通り↓
石巻観光協会HPの宿泊施設案内
潮美壮HP
市役所HPの海水浴場オープンのお知らせ
石巻日日新聞の記事→石巻市 渡波海水浴場 8年ぶりの遊泳再開 (魚拓)
付記3
渡波海水浴場へは石巻駅からバスか列車かタクシーで。バスなら石巻駅前から宮城交通バスの女川線か鮎川線で行ける。バス停「渡波海水浴場入口」は実際の海水浴場から少し離れているので「筒場」や「栄田」辺りで下車した方がよいかもしれない。列車なら石巻線渡波駅下車。JR渡波駅から海水浴場へは1km以上あるのでバスの方が便がよいだろう。因みに私は知人の車に乗せていただいた。
付記4
日本酒について言えば、水鳥記の美山錦があれば飲みたかったが、四釜商店さんにはなかった。水鳥記は気仙沼の角星さん(石中の同級生が女将をされている)のお酒。中でも美山錦は特に人気のようで、石巻や仙台の酒屋さんでもなかなか見つからない。田林は加美郡加美町の田中酒造さんのお酒。以前真鶴を帰省時の温泉旅行でいただいている。田林はそちらの別ブランドである。けっこう飲んでいるなあ。同じブランドを飲むにしても米違いや別スペックのものを飲みたいものだ。
付記5
最近聞いた曲↓
Halsey - Without Me
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