いきなり物騒なタイトルで恐縮ですが、今年読んだスポーツ・ノンフィクションで最もエキサイティングな一冊でした。(増田俊也・著、2011年9月新潮社・刊)
表題にある通り木村政彦は「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と呼ばれた柔道の鬼。しかし昭和の巌流島の決闘と呼ばれた力道山との一戦で敗れ、その名声が地に堕ちたのです。
私が彼の存在を知ったのもそのプロレスの試合(記録映像ですが)。その後「空手バカ一代」などに登場するものの、その強さについて説得力のある表現に出会ったことはありませんでした。ことほど左様に力道山との一戦のインパクトは強烈だったのです。
この本を読んでまず知ったのは、木村政彦が育った時代の柔道界の状況です。
現在柔道と言えばイコール講道館であり、五輪でメダルを争うJUDOなわけですが、当時(昭和前期)は、武徳会という組織があり、柔術ばかりでなく合気道・剣道などあらゆる武道を傘下に治め活動していました。柔道(当時は柔術と柔道という呼称は混在していたようだ)は当時は様々な流派・道場がそれぞれに活動しており、講道館はその中の一道場でした。しかし武徳会は戦後GHQに危険視され解散させられ、その際政治力に勝る講道館が生き残ったというわけです。
また高専柔道という寝技中心の柔道が団体勝ち抜き戦の形で盛んに行われ、木村もその高専柔道への出稽古で揉まれ寝技の高度な技術を修得するに至っています。(因みに高専は当時の帝国大学柔道連盟主催の柔道大会で、現在の学校組織としての高専とは異なります。打撃がない以外はブラジリアン柔術に近いそのスタイルは七帝大などに現在も継承されています。たとえば、こちら。→東北大学柔道部)
郷里熊本から上京し、拓殖大学に入学、牛島辰熊門下生として研鑽を積んだ木村は、合気道の植芝盛平の薫陶を受けた阿部謙四郎に敗北を喫した後(この事実・経緯も非常に興味深い)、三倍稽古を自らに課し(睡眠時間三時間ほどを除いてほぼ一日中稽古)、日本選士権(現在の全日本選手権)3連覇、師牛島の悲願であった天覧試合制覇を果たします。ところが戦争が激化し、木村も召集。柔道家として最盛期を迎えるはずの二十代後半を戦地で過ごします。
戦後、闇屋などをしながら郷里熊本で過ごした後、1949年に全日本選手権で優勝すると、師牛島の声掛けに応じてプロ柔道に参画、やがてプロレスの道へ。
そこから先はある程度知っていることが多いわけですが、私がこの本を読むに当たって最も知りたかったのは、「なぜ木村は力道山に敗れたのか」ということでした。というより、ご存知の通りプロレスは筋書きの決まった一種の演劇であり、あの試合も引き分けになる予定でした。力道山がブック(プロレス用語で筋書きのこと)破りをしたとはいえ、なぜ鬼の木村が為す術なく沈んだのか。
本書を読んでの私の答えはこうです。
この時木村は純然たるプロレスラーだった。もはや柔道家ではなく、プロレスの掟に忠実な本物のプロレスラーになっていた。(木村は力道山がプロレス興行を始める前から既にプロレスラーとして活動し始めていた。そして妻の結核のための薬代は既に十分稼げていた。)だから力道山に強烈な攻撃を受けても、防御の姿勢もとらず(彼自身の言によれば、力道山が打ちやすいように両手を広げて)、打ち倒されたのだ。そこには柔道の鬼はいなかった。柔道以外では剽軽で御人好しで楽天的な一人の男がいただけだった。
プロレスの記録映像では、はちきれんばかりの肉体を誇示する力道山に対して、木村政彦の肉体の弛んでいたことは印象に強かったですし、それが木村政彦の強さについて得心することのできない根拠の一つになっていたのですが、当時木村は柔道家としてかつてのような修練は重ねておらず、二十代のおそらく量的にも質的にも空前絶後とも思える稽古の貯金で生きていたのです。それでも当時の全日本クラスの選手が全く歯が立たなかったようですから、木村の強さはそこからも感じられるのですが。
実際この本が最も私に教えてくれたのは、木村の柔道の凄まじさです。身長169cm、体重は最大時で85kg。決して大柄ではない彼の二十歳前後の写真を見ると、その異様さに目を奪われます。筋肉の異常ともいえる隆起。体全体がまるで戦車のようです(その写真一枚だけでも、この本を買う価値があったと思えました)。当時の木村の稽古を描写するに、筆者が「現在ではこのような練習はトレーニング理論上否定されている」と断り書きを入れるほど、その稽古は壮烈なものでした。
本書は、プロレス時代の木村政彦しか知らなかった私に、柔道家木村政彦の存在を十二分に知らしめてくれました。グイレイシー柔術に唯一勝った男というだけではとても語り尽くせないその意味を。
鬼の木村伝説を実証的に記した点で本書の功績は大きいと思います。また、柔道は武道ではなくスポーツだと宣言しながらカラー柔道着導入の際には柔道は武道だと発言した迷走せる現代日本柔道界にも様々な提言をしています。(ようやく日本柔道新監督の井上康生が寝技強化や他の格闘技との交流を提案しはじめましたが。)昭和という時代の裏面史という意味でも非常に意義深い一冊であるでしょう。
1978年の長野国体に出場した際、宿泊した旅館の玄関で、私は木村政彦と出会いました。私も彼も人待ちで一緒に居合わせただけでした。当然のことながら彼は私を知りません。しかし私は彼を知っていました。目が合った時に私は軽く会釈しました。すると、彼も会釈を返してくれました。当時おそらく拓殖大学の監督をしていたのでしょう。年齢にして五十前後、身長は私よりやや低い彼は、大きくも小さくも見えませんでした。柔道家であったことを知らなければ、やや体に厚みのある、けれどふつうの初老男性でした。当時この本を読んでいたら、彼の見え方も少しちがっていたのかもしれません。
私の思い出に彩りを加えてくれたという意味で著者に感謝します。そして膨大な資料をここまで細部に至るまで脈絡づけ纏め上げたその筆力に敬意を表します。
また本書を紹介してくれたTさんに感謝します。
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実はもう一冊、Sくんから紹介された「「黄金のバンタム」を破った男」(百田尚樹・著、PHP文芸文庫)も非常に面白く、紹介したかったのですが、時間切れのようなので、次の機会に譲りたいと思います。タイトルの「男」とはF原田を指しますが、話は白井義男とカーン博士の出会いから始まります。ボクシング昭和史とでも言うべきノンフィクション。(2010年9月PHP研究所刊行の「リング」の文庫化。)Sくんに感謝の意を表します。
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良いお年を。
付記1
テレビの特集→君は木村政彦を知っているか
高専柔道の映像資料の一部→Kosen Judo Vol 1 Part 1
付記2
フォトアルバムに今年行ったところをちょこっと載せておきました。
→2012今年行ったところ
付記3
今年見た映画ベスト
①「卵」「ミルク」「蜂蜜」(2007~2010、トルコ、ユスフ三部作と呼ばれる作品群)
②「サンザシの樹の下で」(2010年、中国)
③「JSA」(2000年、韓国)
④「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008年、日本)
…アップトゥデートでなくてすみません。アジアの映画が元気でした。
付記4
今年飲んだ(出会った)酒ベスト
①【幻舞 純米原酒 長野】(日本酒、美山錦では真澄以来の衝撃。)
②【玉川 山廃純米 五百万石 無濾過生原酒 京都】(山廃の臭さとクリーミーさを存分に味わえる。)
③【萩の鶴 特別純米 美山錦 宮城】(日本酒、絶妙のバランス。後を引く。)
④青鹿毛(焼酎、宮崎、トロリとして美味。)
⑤ロバート・ブラウン(ウィスキー、キリン、20年ぶりに飲んだ。クリーンな旨さ。)
⑥【庭のうぐいす 特別純米 福岡】(日本酒、名前に似合わずどっしりとし、香味豊かで味が深い。今年の大発見。)
付記5
Adeleの歌を聴いていて、何か007のテーマに似ていると思ったら本当に007のテーマ曲でした。
→AdeleのSkyfall
→007テーマ曲集 + 007テーマソング集(20130106 追記)
付記6(20121231 追記)