本来ならこの旅行記は、書きたいものがなくなった時用に、ネタがなくなったらちまちまちまちま更新していこうかな…とか思っていたのだが、各方面から「せっかく貴様の旅行記(と言えるのかこれ?w)を楽しみにしてやってるんだから、ありがたく思ってとっとと更新しろやゴルァ( #゜Д゜)」などとありがたいお叱りを受けたりしちゃったんで、ちまちまちまちまと更新していこうかと。ってゆーかスタンス全然変わってないやん(笑)。
さて、おいらにとって、客車列車の旅は実に久々で、先にリンクをした2005年1月の「SL重連奥利根号」以来、まる2年半ぶりになる。会社を辞めて療養中の身になってからは、特に2006年は初頭以来ほぼどこにも遠出はしなかったから、近県の客車列車の旅とはいえど、やはり心が安らぐというか、SL列車だから、電車みたいに先を急ぐ話でも無し、列車に揺られること自体が目的だから、しばし時間を忘れて列車の揺れに身を委ねると、優雅な気分になる。
思えば、2005年までは、毎年1回は必ず「客レの旅」には出かけていたんだよねえ…。
2005年 SL重連奥利根号
2004年 寝台特急「北陸」
2003年 寝台特急「あさかぜ」(現在は列車廃止)、「あかつき」、「奥利根号」
2002年 寝台特急「さくら・はやぶさ」(現在は「さくら」廃止)
2001年 大井川鉄道SL急行
やはり乗り鉄派にとっては、客車列車は優雅なひとときをすごせるわけで…。
この「SLもおか号」のいいところは、やたらと停車駅が多いこと。
他のSL列車だと、客の乗車駅を限定する動きもあるし、SLをローカル線の小さな駅に止めてしまったら止めてしまったで、エネルギー消費も地元との折衝も半端ではないようで、こうしたSL列車の停車駅はかなり限定されるのが常なのだが、この列車はよく停まり、列車の行き違いが可能な駅はほぼ間違いなく停まっていく。つまりは停まった分だけ列車の引き出しが堪能できるというわけで、こりゃもう客レ派にはたまらんちん。
下館からおよそ40分、列車は真岡鐵道の拠点駅、真岡に到着。
丁度、下館行きのディーゼルカーと行き違う。
真岡は駅舎をSLをなぞらえた形。
本来なら、途中下車でもして駅舎でも眺めていきたいところだが、そのためにSLを捨てるのは何とももったいないので、このまま終点の茂木まで列車に揺られて行くことにしよう。
車内は家族連れなどでほぼ満席の盛況だったが、客の半分以上は、大陶器市が行われている益子で降りて行ったので、益子から先は、とてもイベント列車とは思えないほどガランとした状況に。
なにせこのような列車でボックスが独り占め出来るってーのは、いくらなんでもSL列車には不釣り合いかと。空いていれば、それはそれでまた嬉しいものなのだが(笑)。
前回のエントリの中の、客車内の写真を見てもらえればお分かりいただけようが、この列車の客車は、冷房なる文明の利器は搭載していないので、窓を開け放てば、栃木の秋風とSLの蒸気、そして季節が季節なら、50系客車のスチーム暖房の蒸気も一心に浴びることが出来る。
しかし、窓を開け放つということは、石炭滓が容赦なく目に飛び込んでくる諸刃の剣。白っぽい服装をしていようものなら、速攻で石炭滓やらで黒ずんでくるのも時間の問題。
今は空調全盛の時代、列車の窓を開け放つなどということはほとんどなくなった。
房総地区なんて、平成初期までは非冷房車ばっかりで、夏場は窓を開け放つのがデフォルトの時代。窓際にお菓子なんか置いていようものなら、トンネルに入った瞬間に風圧で吹き飛ばされて車内大迷惑…なんていうのも旅の風物詩だったものだが(笑)。いや、実際問題経験があるんでね…。
とゆーわけで、おいらもちょっと窓を開け放って、こんな写真を撮ってみる。
この写真を撮った約15秒後、石炭滓が目の中に飛び込んできたorz
すぐに取れたからいいけれど、あれって刺さると大変なことになるんだよなあ…。
乗ったのは、SLの音が汽笛以外ほとんど聞こえてこない、最後部の3号車だったこともあって、SLのドラフト音を楽しむと言うよりは、客車列車独特の揺れを堪能しながら約1時間半。
終着、茂木に到着。
茂木について思ったのだが…。
主要産業ってなに?
ツインリングもてぎは知っているが。
さて、終点茂木について、SLはここで折り返さなければならない。
茂木駅の構内には、ささやかながら、SLのための転車台が備えられている。駅構内には、転車台のそばまで、見学用の通路が、構内踏切を挟んで設けられている。
それでは、SLが方向転換する場面を、写真でもってドゾー。
SL列車は客を降ろすと、一旦バックして、ホーム奥の留置線へ移動。
留置線で客車を切り離し、単機の身軽な姿になる。
係員の誘導の元、ターンテーブルに乗る。
この辺は、タワー型の駐車場を思い浮かべて頂くと、とても分かりやすいかと。
あれも構造というか、システムは変わらないからねえ…。
ターンテーブルに乗りきったことを確認すると、係員がそばの制御板を操作して、ターンテーブルの稼働開始。
うーん。
これなんて回転ベッ(以下略
今でもあるんかいな。回転ベッド。
あれ、回るだけだもんなあ…。何が楽しいんだろうねえ。
回るのが楽しいんだけどさ。
回転が終わると、そばにある給水塔で、SLもしばしの昼飯タイム。
まるで「俺にも飯を食わせろ」といわんばかりに、石炭と水をほおばる姿は微笑ましくも映る。
とりあえず、せっかく初めて乗った線なのだから、下手に乗り残す真似はせず、ひとまず終点まで来てみたけれど、正直茂木まで来ちゃっても、近所には道の駅くらいしかめぼしいものがないのは確認済みで、駅前にはジェイアールバス関東宇都宮支店のバスが3台止まっていたが、宇都宮に抜けるバスは14時10分までないという。
しゃーないので、益子あたりまで戻るかね。
益子か真岡まで出れば、1時間に1~2本の頻度で宇都宮に抜けるバスが出ているから便利。
とりあえず、折り返しは12時41分の下館行きまで少し時間があったから、駅前で売っていた団子でも食べてみるかね。
この大きさで250円とは、いい値段のような気もするし、それなりのような気もするし…。
12時41分初の下館行きは、時間が中途半端なこともあってか、多客が見込まれる中、単行でやって来た。
普通、第3セクターの鉄道で、しかも日曜の昼に、立ち客が出るほど混むとは思わなかったなあ…。
不思議なもので、立っている客がいたところで、首都圏に住んでいれば、珍しくも何ともないくせに、地方に行くと、「座れないこと=混んでいる」という認識になるから不思議なものだ。そんなに我々は地方に幻想を抱いているのだろうか(笑)。
15分チョイで益子到着。
さて、ちょいと街を歩いてみるかね。
(この稿続く)
さて、おいらにとって、客車列車の旅は実に久々で、先にリンクをした2005年1月の「SL重連奥利根号」以来、まる2年半ぶりになる。会社を辞めて療養中の身になってからは、特に2006年は初頭以来ほぼどこにも遠出はしなかったから、近県の客車列車の旅とはいえど、やはり心が安らぐというか、SL列車だから、電車みたいに先を急ぐ話でも無し、列車に揺られること自体が目的だから、しばし時間を忘れて列車の揺れに身を委ねると、優雅な気分になる。
思えば、2005年までは、毎年1回は必ず「客レの旅」には出かけていたんだよねえ…。
2005年 SL重連奥利根号
2004年 寝台特急「北陸」
2003年 寝台特急「あさかぜ」(現在は列車廃止)、「あかつき」、「奥利根号」
2002年 寝台特急「さくら・はやぶさ」(現在は「さくら」廃止)
2001年 大井川鉄道SL急行
やはり乗り鉄派にとっては、客車列車は優雅なひとときをすごせるわけで…。
この「SLもおか号」のいいところは、やたらと停車駅が多いこと。
他のSL列車だと、客の乗車駅を限定する動きもあるし、SLをローカル線の小さな駅に止めてしまったら止めてしまったで、エネルギー消費も地元との折衝も半端ではないようで、こうしたSL列車の停車駅はかなり限定されるのが常なのだが、この列車はよく停まり、列車の行き違いが可能な駅はほぼ間違いなく停まっていく。つまりは停まった分だけ列車の引き出しが堪能できるというわけで、こりゃもう客レ派にはたまらんちん。
下館からおよそ40分、列車は真岡鐵道の拠点駅、真岡に到着。
丁度、下館行きのディーゼルカーと行き違う。
真岡は駅舎をSLをなぞらえた形。
本来なら、途中下車でもして駅舎でも眺めていきたいところだが、そのためにSLを捨てるのは何とももったいないので、このまま終点の茂木まで列車に揺られて行くことにしよう。
車内は家族連れなどでほぼ満席の盛況だったが、客の半分以上は、大陶器市が行われている益子で降りて行ったので、益子から先は、とてもイベント列車とは思えないほどガランとした状況に。
なにせこのような列車でボックスが独り占め出来るってーのは、いくらなんでもSL列車には不釣り合いかと。空いていれば、それはそれでまた嬉しいものなのだが(笑)。
前回のエントリの中の、客車内の写真を見てもらえればお分かりいただけようが、この列車の客車は、冷房なる文明の利器は搭載していないので、窓を開け放てば、栃木の秋風とSLの蒸気、そして季節が季節なら、50系客車のスチーム暖房の蒸気も一心に浴びることが出来る。
しかし、窓を開け放つということは、石炭滓が容赦なく目に飛び込んでくる諸刃の剣。白っぽい服装をしていようものなら、速攻で石炭滓やらで黒ずんでくるのも時間の問題。
今は空調全盛の時代、列車の窓を開け放つなどということはほとんどなくなった。
房総地区なんて、平成初期までは非冷房車ばっかりで、夏場は窓を開け放つのがデフォルトの時代。窓際にお菓子なんか置いていようものなら、トンネルに入った瞬間に風圧で吹き飛ばされて車内大迷惑…なんていうのも旅の風物詩だったものだが(笑)。いや、実際問題経験があるんでね…。
とゆーわけで、おいらもちょっと窓を開け放って、こんな写真を撮ってみる。
この写真を撮った約15秒後、石炭滓が目の中に飛び込んできたorz
すぐに取れたからいいけれど、あれって刺さると大変なことになるんだよなあ…。
乗ったのは、SLの音が汽笛以外ほとんど聞こえてこない、最後部の3号車だったこともあって、SLのドラフト音を楽しむと言うよりは、客車列車独特の揺れを堪能しながら約1時間半。
終着、茂木に到着。
茂木について思ったのだが…。
主要産業ってなに?
ツインリングもてぎは知っているが。
さて、終点茂木について、SLはここで折り返さなければならない。
茂木駅の構内には、ささやかながら、SLのための転車台が備えられている。駅構内には、転車台のそばまで、見学用の通路が、構内踏切を挟んで設けられている。
それでは、SLが方向転換する場面を、写真でもってドゾー。
SL列車は客を降ろすと、一旦バックして、ホーム奥の留置線へ移動。
留置線で客車を切り離し、単機の身軽な姿になる。
係員の誘導の元、ターンテーブルに乗る。
この辺は、タワー型の駐車場を思い浮かべて頂くと、とても分かりやすいかと。
あれも構造というか、システムは変わらないからねえ…。
ターンテーブルに乗りきったことを確認すると、係員がそばの制御板を操作して、ターンテーブルの稼働開始。
うーん。
これなんて回転ベッ(以下略
今でもあるんかいな。回転ベッド。
あれ、回るだけだもんなあ…。何が楽しいんだろうねえ。
回るのが楽しいんだけどさ。
回転が終わると、そばにある給水塔で、SLもしばしの昼飯タイム。
まるで「俺にも飯を食わせろ」といわんばかりに、石炭と水をほおばる姿は微笑ましくも映る。
とりあえず、せっかく初めて乗った線なのだから、下手に乗り残す真似はせず、ひとまず終点まで来てみたけれど、正直茂木まで来ちゃっても、近所には道の駅くらいしかめぼしいものがないのは確認済みで、駅前にはジェイアールバス関東宇都宮支店のバスが3台止まっていたが、宇都宮に抜けるバスは14時10分までないという。
しゃーないので、益子あたりまで戻るかね。
益子か真岡まで出れば、1時間に1~2本の頻度で宇都宮に抜けるバスが出ているから便利。
とりあえず、折り返しは12時41分の下館行きまで少し時間があったから、駅前で売っていた団子でも食べてみるかね。
この大きさで250円とは、いい値段のような気もするし、それなりのような気もするし…。
12時41分初の下館行きは、時間が中途半端なこともあってか、多客が見込まれる中、単行でやって来た。
普通、第3セクターの鉄道で、しかも日曜の昼に、立ち客が出るほど混むとは思わなかったなあ…。
不思議なもので、立っている客がいたところで、首都圏に住んでいれば、珍しくも何ともないくせに、地方に行くと、「座れないこと=混んでいる」という認識になるから不思議なものだ。そんなに我々は地方に幻想を抱いているのだろうか(笑)。
15分チョイで益子到着。
さて、ちょいと街を歩いてみるかね。
(この稿続く)
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