小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

祝・八木ケ谷改め若荒雄新関取【29日1:00追記しましたよ】

2007-11-28 11:06:10 | 阿武松部屋応援ブログ
バンザイ! バンザイ!! バンザイ!!!

新十両にグルジア出身の栃ノ心ら5人 大相撲新番付 - asahi.com

大相撲初場所(来年1月13日初日、東京・国技館)の新番付編成会議が28日、福岡市内であり、栃ノ心(20)=本名レバニ・ゴルガゼ、グルジア出身、春日野部屋=、木村山(26)=本名木村守、和歌山県出身、春日野部屋=、玉鷲(23)=本名バトジャルガル・ムンフオリギル、モンゴル出身、片男波部屋=、八木ケ谷改め若荒雄(わかこうゆう)(23)=本名八木ケ谷匡也、千葉県出身、阿武松部屋=、霧の若(24)=本名岡本将之、熊本県出身、陸奥部屋=の5人が新十両となった。元十両出羽乃富士(出羽海部屋)ら16人の引退も発表された。


八木ケ谷関取昇進キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

古市、片山についで、阿武松部屋から3人目の関取衆の誕生ですな。
いやー、めでたい。

なんでおいらがここまで八木ケ谷の昇進を喜ぶのか、とうとうと語りたいところではあるけれども、生憎と時間が押し迫ってきたので、この稿は後刻追記という形に致したいと存じます。

追記があるまでよい子はそのまま寝ないで待てよ!!

【追記でやんす】

あれは2003年夏だったか。
2003年から4年もたつと、記憶もだいぶあやふやなものになってくるらしくって、最初は2004年夏かと思っていたら、関連するこのブログのエントリをひっくり返してみてみたら、どうやら2003年らしい…ということがわかり、あれから4年も経ったのかと、しばし感慨に浸ってしまう。

2003年夏。
阿武松部屋の力士が、たまに後援会の人に連れられて千葉マリンに遊びに来ている姿を目撃されたマリーンズファンの方は、けっこういらっしゃると思う。
そのとき、どういう風の吹き回しか知らないが(察するに、たぶん、いつもの観戦場所の近所に当時いつもいた、年がら年中タンクトップにセクシー下着のあの御方が連れてきたのかなとww)、なぜか外野席のおいらが座っていた場所に、お相撲さんが3人座っていた。一人の名前は忘れてしまったが(ごめんなさい)、もう一人は当時怪我で番付外に落ちていた乾王、そしてもう一人が、当時三段目だったか幕下だったかの八木ケ谷。
陽気に勧められるままに酒を次から次へと飲み干していた乾王とは裏腹に、いかにものいかつい兄ちゃんといった感じだった八木ケ谷。当時まだ19歳で、「僕はまだ19なんで、お酒はいいっす」と、コーラを飲んでいた姿が印象的だった。
そういえば、当時応援団にいたジン君は、お相撲さんの姿を見つけては外野席のステージまで連れ出してきて、「ヨイショ!!」をさせていたっけな(笑)。
このときの様子は、2年半前、約20年ぶりに相撲観戦に出かけたときのエントリが詳しいので、詳細はそちらもどうぞご参考に。

2005年1月19日付エントリ「Oh! 相撲」

その当時、よもやおいらがもう一度相撲の世界へ誘われることになろうとは、夢の夢にも思わなかった。
小学生以来の興奮を、よもやこの年でもう一度味わうことになろうとは。
それもこれも、この時、乾王さんや八木ケ谷さんと会わなければ、相撲の世界は広がらなかったはずだ。
その後、2005年8月に、おいらが酒が弱いのが自分でもわかっているくせに、野球そっちのけで福本(現幕張)と、当時まだ弁当箱スタイルで売っていた、一撃必殺のチューハイの飲み比べであっさり敗北してからというもの、本格的に相撲の世界、そして阿武松部屋のファンになり、現在に至るのだ。

あれから4年。
千葉マリンのスタンドの状況も大きく変わり、内野から外野へ行くことが出来なくなったから、内野席に来たお相撲さんが、客に言われるがままに外野に連れてこられた挙げ句、応援団のお立ち台に上げられるということは、もう2度とないだろう。

八木ケ谷も、ここまでは相当な道のりを歩んだ。
一度は調子よく幕下20枚目まで番付を上げたものの、幕下上位の力の前に屈し、一度は三段目まで落ちる。
そして去年、幕下上位を3場所に渡って守り通したものの、想像を絶する十両互助会の厚い壁に跳ね返され、幕下筆頭まで番付を上げたものの、2勝5敗と負け越して、あっという間に番付を落としたのが、去年の九州場所。
あの時は、見ていたこちらすら相当な悔しさがこみ上げてきたのだから、本人の戸当時の悔しさなど察するに余りある。特に、東幕下5枚目で5勝2敗で、最後の一番に負けてしまったために、勝ち越したのに番付のいたずらで昇進が出来なかった秋場所などは、眠れぬ日々が続いただろう。

そして一年後。
三度目の正直で、見事に十両の壁を崩した。

あの時のいかついアンちゃんが、今こうして、関取衆として花開こうとしている。
たったひとときの関係とはいえ、こうしたつながりがあることに、喜びを感じずにはいられない。
4年前、周囲の「よっ、関取!」の声に、ただただはにかんでいた彼らの一人が、4年後に本当に「関取!」と呼ばれることになるなんて。
これからはおいらたちも「八木ケ谷さん」なんていっちゃいけない。
ちゃんと「若荒雄関」と呼ばねば。

場所中、一日も休まず土俵に上がり続けるプレッシャーは、今まで体感したことのないものになるとは思うけれど、千葉の関取として花を咲かせて欲しい。
できればこのまま幕内まで突っ走りたいね。まだ若いからこれからこれから。

八木ケ谷バンザイ!
若荒雄関バンザイ!!

  

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良かったな (たこすけ)
2007-11-29 08:32:57
これからだな、良かったな。
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Unknown (かわじゅう)
2007-11-29 18:47:12
たこすけさんの 言うとおり これらですね。しかしあの若者が、、、、一歩ずつ うえに上がっていくのは喜ばしいことです。来場所が楽しみですな。改名に一文字、拙者の名前のひと文字入ってるのが 何気にうれしい。
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えがったえがった (小馬太郎兵衛)
2007-11-30 10:45:13
>たこすけさん
>かわじゅうさん

まとめてレスで失礼致します。

ゆくゆくは千葉マリンで始球式を…なんてことも思っちゃいますね。
もっともっと強くなって、名前を大いにアピールしてもらいたいものです。
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