埼玉県を走る秩父鉄道で使われている、元国鉄(JR)101系の1000形電車が、国電色に模様替えされるそうな。
秩父鉄道からのお知らせ - 昭和の国電をイメージした懐かしいカラーを再現。9月1日より運用を開始いたします。
どんな電車かは、リンク先を見てちょうだいな。
東京や大阪で幼少時代を過ごされた30代以上の方は、おそらくは意識しない中でも、1度くらいはお世話になったことがあるだろう。
あるいは通勤通学で、リアルタイムで利用されていた方もいらっしゃるかもしれない。
おいらにとっての101系は、実はそれほど記憶がない。
おいらの幼少時代に乗った中央快速や総武緩行は、記憶に間違いがなければ101系だったとは思うのだが、生憎と小学校1・2年のマセガキに、101系と103系を見分けよと言われたところでそりゃ困るってもんで。確かにクーラーはついてなかったはずだが、当時(1980年代前半)は、そんな通勤電車など当たり前に走っていたからねえ…。
おいらも含めた現代人からすれば、真夏の非冷房車の乗車率300%の通勤電車の車内など、全く想像がつかない。乗車率300%っていうだけで圧死しそうな世界なのに、空調もなく窓は開け放ち、扇風機だけが蒸した空気をかき回す唯一の空調手段。息は出来ないし汗まみれの他人と密着し放題、こりゃもうたまりませんなあ…。
空調が当たり前になった現代人には、おおよそ耐えられる代物ではなかったはずだ。
おいらがちゃんとした形で記憶する101系の姿というのは、数度は乗っている秩父鉄道を抜きにすると、国鉄民営化直前の1987年3月に、中野からどこまで乗ったかは覚えていないが、総武線各駅停車の101系の姿かなあ…。
あの時初めて、101系が爆弾ドアだということに気がついたからなあ…。
1988年末に川崎から立川まで、南武線に乗った時も、わざわざ狙いすまして101系に乗った記憶が。夜のラッシュ時真っ最中で、川崎で座りそびれたと思ったら、尻手でめちゃくちゃに押されてげんなりした記憶は、今でも脳裏にすり込まれている(笑)。
その後、しばらくもしないうちに、JR東日本からいともあっさり101系が消えてなくなったが(※追記 2003年まで浜川崎支線で生き延びていたことをすっかり忘れてました…orz)、その後も103系列に組み込まれた101系改造車というのは、少数ながらも存在した。
黄色い中央・総武緩行線の103系の一部に組み込まれていたサハ103形750番台というのがそれで、ドアエンジンが101系のそれと一緒なので、ドアの開け閉めのスピードが違うからすぐに分かった。隣の車両が「プシュー」とエアーの音がする間に、このクルマだけは「ガラガラガラン」と音を立ててあっという間に開いていた。
まあ、こんな話をしたところで、鉄ヲタさん以外のかたぎな方々には、なにがなんやらさっぱり分からないトークになっていると思うのだが。まあ分かる人だけわかってちょーだいな。やっぱり、この手のトークまで堅気の皆さんに理解して貰おうと努力する方が無理なんですよ…orz
そのサハ103形750番台も、103系同士の玉突き転配で、1990年代中盤には姿を消し、秩父鉄道でゆっくり走る姿を残すだけとなっていた。思えば不思議なもので、おそらくは短編成を組める利点があるから101系がこの時代まで残っていられたのだろうが、何故に103系は地方私鉄には売られなかったのだろう…。 やはり今の世の中、3両で編成を組めるだけでは売り込めないのかしらん…? 秩父鉄道を走っている1000形より、もっと車齢が若い103系が輪切りにされまくっていったというのに…。
シートの色も国鉄時代から手を加えられておらず、国鉄の伝統の色であるブルーのシートが未だに生きている、動態保存的な意味合いすら漂う1000形。
何が(・∀・)イイ!!って、3両編成のうちの両端だけ冷房車(*´Д`)ハァハァ ですよ。つまりは真ん中は非冷房車(*´Д`)ハァハァ 昔の「国電」のイメージそのまんまですよ。真夏だから窓は開け放ち、風が空調なわけですよ。
これで運転席は遮光幕を完全に閉め切って、ゴロツキ姿で乗務して運転中にパンを食えば間違いなく国d(ry
いいねえ、行ってみたいねえ、秩父鉄道。
真夏に行こう行こうと思いつついつも季節を外してしまうんで…orz
だって暑すぎるんだもん…。
秩父鉄道からのお知らせ - 昭和の国電をイメージした懐かしいカラーを再現。9月1日より運用を開始いたします。
どんな電車かは、リンク先を見てちょうだいな。
東京や大阪で幼少時代を過ごされた30代以上の方は、おそらくは意識しない中でも、1度くらいはお世話になったことがあるだろう。
あるいは通勤通学で、リアルタイムで利用されていた方もいらっしゃるかもしれない。
おいらにとっての101系は、実はそれほど記憶がない。
おいらの幼少時代に乗った中央快速や総武緩行は、記憶に間違いがなければ101系だったとは思うのだが、生憎と小学校1・2年のマセガキに、101系と103系を見分けよと言われたところでそりゃ困るってもんで。確かにクーラーはついてなかったはずだが、当時(1980年代前半)は、そんな通勤電車など当たり前に走っていたからねえ…。
おいらも含めた現代人からすれば、真夏の非冷房車の乗車率300%の通勤電車の車内など、全く想像がつかない。乗車率300%っていうだけで圧死しそうな世界なのに、空調もなく窓は開け放ち、扇風機だけが蒸した空気をかき回す唯一の空調手段。息は出来ないし汗まみれの他人と密着し放題、こりゃもうたまりませんなあ…。
空調が当たり前になった現代人には、おおよそ耐えられる代物ではなかったはずだ。
おいらがちゃんとした形で記憶する101系の姿というのは、数度は乗っている秩父鉄道を抜きにすると、国鉄民営化直前の1987年3月に、中野からどこまで乗ったかは覚えていないが、総武線各駅停車の101系の姿かなあ…。
あの時初めて、101系が爆弾ドアだということに気がついたからなあ…。
1988年末に川崎から立川まで、南武線に乗った時も、わざわざ狙いすまして101系に乗った記憶が。夜のラッシュ時真っ最中で、川崎で座りそびれたと思ったら、尻手でめちゃくちゃに押されてげんなりした記憶は、今でも脳裏にすり込まれている(笑)。
その後、しばらくもしないうちに、JR東日本からいともあっさり101系が消えてなくなったが(※追記 2003年まで浜川崎支線で生き延びていたことをすっかり忘れてました…orz)、その後も103系列に組み込まれた101系改造車というのは、少数ながらも存在した。
黄色い中央・総武緩行線の103系の一部に組み込まれていたサハ103形750番台というのがそれで、ドアエンジンが101系のそれと一緒なので、ドアの開け閉めのスピードが違うからすぐに分かった。隣の車両が「プシュー」とエアーの音がする間に、このクルマだけは「ガラガラガラン」と音を立ててあっという間に開いていた。
まあ、こんな話をしたところで、鉄ヲタさん以外のかたぎな方々には、なにがなんやらさっぱり分からないトークになっていると思うのだが。まあ分かる人だけわかってちょーだいな。やっぱり、この手のトークまで堅気の皆さんに理解して貰おうと努力する方が無理なんですよ…orz
そのサハ103形750番台も、103系同士の玉突き転配で、1990年代中盤には姿を消し、秩父鉄道でゆっくり走る姿を残すだけとなっていた。思えば不思議なもので、おそらくは短編成を組める利点があるから101系がこの時代まで残っていられたのだろうが、何故に103系は地方私鉄には売られなかったのだろう…。 やはり今の世の中、3両で編成を組めるだけでは売り込めないのかしらん…? 秩父鉄道を走っている1000形より、もっと車齢が若い103系が輪切りにされまくっていったというのに…。
シートの色も国鉄時代から手を加えられておらず、国鉄の伝統の色であるブルーのシートが未だに生きている、動態保存的な意味合いすら漂う1000形。
何が(・∀・)イイ!!って、3両編成のうちの両端だけ冷房車(*´Д`)ハァハァ ですよ。つまりは真ん中は非冷房車(*´Д`)ハァハァ 昔の「国電」のイメージそのまんまですよ。真夏だから窓は開け放ち、風が空調なわけですよ。
いいねえ、行ってみたいねえ、秩父鉄道。
真夏に行こう行こうと思いつついつも季節を外してしまうんで…orz
だって暑すぎるんだもん…。
地元の関西線には黄緑色に黄色の帯の入った車両が走って
いましたねぇ^^v。
よく乗った記憶がありますよ。
冷房の無いタイプは・・、真夏のラッシュ時は最悪でしたね。
でも、窓全開&扇風機も季節感があって・・楽しく乗ってた記憶がありますね。ただ・・・、通勤や通学で乗ってた訳では無いゆえ、時々~週末お出かけに乗った記憶なんで・・^^b
「楽しい」記憶であるんでしょうなぁv(愉)v。
で、けっこう最近に乗った記憶もあるんで、JR西日本エリアではまだ現役で走ってる線区もあるかもしれないですね。
ただ・・さすがに、、後付けタイプの簡易冷房機が付いてたりすると思いますが・・。
それにしても、西日本エリアは国鉄時代からの車両を大切に??使ってますよねぇd(懐)b。
国鉄色の;485系や381系、、色は変わったけど;キハ181系・・・etc。
そんな列車が現役+定期列車で走ってますから、、、関西圏に住んでると・・さほど鉄マニアではない私も時々、なつかしの
列車を見かける度に少しばかり「ハァ~ハァ~q^^p」しちゃいますね・・・orz。
でも、秩父鉄道の101系には・・特別料金200円を払ってまで乗る気がしないなぁ~、、だって、101系を懐かしく思う様になったのは最近だし・・・それ以上に、そこまで鉄マニアじゃないんだもん!!^^>xyz。
103系に組み込まれた方は、比較的後年まで残っていたようですが。
やはり国鉄型に当たると、なぜか安心感がありますねえ…。
確か、水色の阪和線で…。
多分、何かの記憶違いだと思いますが…。
それにしても、国鉄型の車両は安心感がありますよねぇ。
軽量化・エコロジーなんて考えてなかった時代に作られた代物なだけに重量感・安定感、古き時代にタイムスリップした感じは~ピカイチ!ですよねv(嬉)v。
いつまでも、国鉄時代の車両(エコでは無いだろうけど)が現役で走り続けて欲しいものですなvv。
プレーオフ期間は京浜東北色ですか。プレーオフと合わせていっちょ行きますか。
(その前にプレーオフ大丈夫かぃ?)
小坊の時に撮って以来のカナリアイエローは非常に惹かれます。
小馬さんご指摘の通り、そのころは101系と103系の区別なんて付きませんでしたが、後に101系であったのが判った時には嬉しかったものです。
キハ35系メインの路線な子であまり遠出をしなかった人なので。101系は図鑑の中であっただけなんですよね。ネットで噂をちらほら聞いていましたけど、本気でやるとは……。どうせなら、現有の1000系全部それっぽい色にして、さらにしなの鉄道から169系を買っt(以下、妄想に付き削除w)
おそらくそれは、103系初期車の冷房改造車か、あるいは正真正銘の101系からの改造車だったかもしれません。
JR継承後も非冷房のままだった103系初期車は、80年代後半から90年代前半にかけて、簡易冷房から本格的な冷房に至るまで、とにかく冷房化率を上げようと、クーラーをのせられましたから…。
ただ、クーラーだけでは何とも…。
>安城マリーンズさん
スカイブルーの101系は、正直記憶にないんですよねえ…。
京浜東北線を走っていたのは間違いないんですが、私の中の京浜東北線は、すでに高運転台のクルマの時代でしたから…。
やはり101系と言えば、カナリアかオレンジですねえ…。
>ながうちさん
先日165下がりが引退したばかりなのに…ww
しかもしなの鉄道の169は、シートが新幹線の廃車発生品ですから、正直鉄の気を引くものになるかどうか…。
私がサラリーマンの端くれになった頃、101系でも非冷房車が時折混じっていましたね。それこそ今の総武線の混雑の比では無いくらいのラッシュだったので、「俺、このまま後何年こんな生活するんやろ・・・」って暗い気持ちにしてくれた電車です。
いや、懐かしいです、ほんと。
P.S.体調大丈夫ですか?あの灼熱地獄からいきなりラクになったので、“夏の疲れ”が出てるかも知れませんね。くれぐれもご自愛の程。。。
たかだか20年前とはいえ、隔世の感が致します。
ご心配頂きまして誠に恐縮です。
御陰様でなんとか生き返ったようです。