先月まで移籍先を探し続けていた堀様ですが、移籍先を見つけるまでには至らず、とうとう引退することになりました…。
ロッテの堀内野手が引退 通算1827安打(共同通信) - goo ニュース
。・゜・(ノД`)・゜・。
いや、覚悟は十分出来ていたし、心の準備は出来ていたんだけど…。
2軍で3割を大幅に超える打率を残していて、「若い衆にはまだまだ負けない」とでも言わんばかりの存在感を示していたのだけれど、やはり年齢面がネックになってしまったのかなあ…。
1年過ぎて、来年チームが変わったところで、同じような成績が上げられるかどうかも分からないし…。
堀様に対する思いの丈は、9月11日付のエントリでぶつけているので、重複は避けたいと思う。
9月11日付「堀様戦力外通告」
…ということは、アレっすか。
現役最後の1軍ホームランは、あの去年の9.27ってことになるんですか…。
あの当時から当ブログをご高覧頂いている皆様は、あの当日の、あたしのエントリを振り返って頂ければと存じます。
2009年9月27日付「本日の千葉マリン」
スタジアムが静寂に包まれた中、西岡が倒れた後の、堀様の一発。
堀様のHRがスタンドに吸い込まれた瞬間、喜ぶスタンド…というところではっと我に返ったおいら。
「西岡には一切応援なんかしないで、堀様には応援歌まで流して、吹けば俺達は歌っているのか」
そう思った瞬間、我を忘れておいらの目の前で旗を振っていた某会のお知り合いの方の後ろで、観戦仲間に危害が出ないように、足元を狙いすませて来ていたユニを叩き付けた。
やってられなかった。
これが俺の愛していたスタンドの光景か。
一部始終を見ていた別の観戦仲間に場所を外して貰い、「俺らも気持ちは一緒なんだから、選手を応援するのが本分だろう?」と諭されたことも、未だに鮮明に覚えている。
自分語りになってしまい、堀様には大変申し訳ないけれど、あのシーンが、堀様現役最後の1軍での一発になるとは、正直あの時には想像だにできなかったから…。
だってねえ…。
ここまであからさまに干されるとは思ってもいなかったし…。
あとは、これは残念ながら一発の記録はされなかったのだけれど、2005年プレーオフ第1ステージの、あわやグランドスラムという当たりですな…。
あれは角度的には完璧にブチ込んだかと思ったのに、10メートルの強風で押し戻されてしまい、レフトへの犠牲フライしか記録されなかったんだよなあ…。
マリーンズが日本一を達成した時のサンスポ特別版で、堀様と親交が深い、ニッポン放送の松本ひでおアナウンサーが稿を寄せていらして、監督に「予防とした時があったのだけれど、ケガでねえ…」という旨のやりとりがあった事が記されていたのだが、これは松本アナの微妙な胸の内で、おいらは監督の言葉を額面通りに受け取るわけにはいかなかった。なぜなら、右の内野手を下から呼ぶのなら、一度だけではなくチャンスは何度かあったはずだからだ。確かに堀様もケガで呼ばれなかったのは状況的に間違いではないだろうが、正直「それだけじゃないだろう」とツッコミを入れたかった。けれど、松本アナウンサーの立場もあり、ツッコミを入れることも敢えてしなかったのだと思うのだ。
だからこそ、堀様が「CSも日本シリーズも見てない」と言ったのは、間違いなく本心であると思うし、おいらが西さんが連呼する「和」をもって、全てにおいて諸手を挙げて監督に賛辞を送る気には、到底なれないのである。
こればっかりは、以前から何度となく書いている通り、二人にしか分からぬ「何か」があるとしか思えないのだが、それはおいらの知るところではない。瀬戸山社長でさえも、どうしようもなかったしねえ…。石川とはどーゆー仲だったかは知らんが。
あとは、先にリンクしたエントリにも書いたけれど、2004年6月に金沢で達成した1500本安打のアナウンスを、チケット売場で聞いていたことかな…。
心残りは、2000本安打よりも、最後の1軍でのHRがあんな形になってしまった…ということだろうか。
のこり133本のヒットは…。
おいらの心の中で、きっと打つだろう、うん。
堀様引退の一報は、実は球団公式よりも先に、松本アナがツイッターで先に午前10時半前には呟いていて、公式発表が出る前に、腹をくくることができました。
明日(3日)に、堀様の記者会見が行われるのだそうです。
堀選手。
23年間の現役生活、お疲れ様でした。
川崎を知る戦士が消えてしまうのは残念ですが、俺の心の中では、堀様は、ずっと、現役です…。
ありがとうございました…。・゜・(ノД`)・゜・。
ロッテの堀内野手が引退 通算1827安打(共同通信) - goo ニュース
ロッテは2日、堀幸一内野手(41)が現役を引退すると発表した。3日に会見する。今季は1軍出場がなく、9月に戦力外通告を受けていた。堀は合同トライアウトを受け、現役にこだわったが所属先が見つからなかった。球団を通じ「そろそろけじめをつけないといけない時期に来ていると思った」とコメント。ロッテはフロント入りを打診する。堀は1988年に入団。通算1827安打、打率2割6分9厘。
。・゜・(ノД`)・゜・。
いや、覚悟は十分出来ていたし、心の準備は出来ていたんだけど…。
2軍で3割を大幅に超える打率を残していて、「若い衆にはまだまだ負けない」とでも言わんばかりの存在感を示していたのだけれど、やはり年齢面がネックになってしまったのかなあ…。
1年過ぎて、来年チームが変わったところで、同じような成績が上げられるかどうかも分からないし…。
堀様に対する思いの丈は、9月11日付のエントリでぶつけているので、重複は避けたいと思う。
9月11日付「堀様戦力外通告」
…ということは、アレっすか。
現役最後の1軍ホームランは、あの去年の9.27ってことになるんですか…。
あの当時から当ブログをご高覧頂いている皆様は、あの当日の、あたしのエントリを振り返って頂ければと存じます。
2009年9月27日付「本日の千葉マリン」
スタジアムが静寂に包まれた中、西岡が倒れた後の、堀様の一発。
堀様のHRがスタンドに吸い込まれた瞬間、喜ぶスタンド…というところではっと我に返ったおいら。
「西岡には一切応援なんかしないで、堀様には応援歌まで流して、吹けば俺達は歌っているのか」
そう思った瞬間、我を忘れておいらの目の前で旗を振っていた某会のお知り合いの方の後ろで、観戦仲間に危害が出ないように、足元を狙いすませて来ていたユニを叩き付けた。
やってられなかった。
これが俺の愛していたスタンドの光景か。
一部始終を見ていた別の観戦仲間に場所を外して貰い、「俺らも気持ちは一緒なんだから、選手を応援するのが本分だろう?」と諭されたことも、未だに鮮明に覚えている。
自分語りになってしまい、堀様には大変申し訳ないけれど、あのシーンが、堀様現役最後の1軍での一発になるとは、正直あの時には想像だにできなかったから…。
だってねえ…。
ここまであからさまに干されるとは思ってもいなかったし…。
あとは、これは残念ながら一発の記録はされなかったのだけれど、2005年プレーオフ第1ステージの、あわやグランドスラムという当たりですな…。
あれは角度的には完璧にブチ込んだかと思ったのに、10メートルの強風で押し戻されてしまい、レフトへの犠牲フライしか記録されなかったんだよなあ…。
マリーンズが日本一を達成した時のサンスポ特別版で、堀様と親交が深い、ニッポン放送の松本ひでおアナウンサーが稿を寄せていらして、監督に「予防とした時があったのだけれど、ケガでねえ…」という旨のやりとりがあった事が記されていたのだが、これは松本アナの微妙な胸の内で、おいらは監督の言葉を額面通りに受け取るわけにはいかなかった。なぜなら、右の内野手を下から呼ぶのなら、一度だけではなくチャンスは何度かあったはずだからだ。確かに堀様もケガで呼ばれなかったのは状況的に間違いではないだろうが、正直「それだけじゃないだろう」とツッコミを入れたかった。けれど、松本アナウンサーの立場もあり、ツッコミを入れることも敢えてしなかったのだと思うのだ。
だからこそ、堀様が「CSも日本シリーズも見てない」と言ったのは、間違いなく本心であると思うし、おいらが西さんが連呼する「和」をもって、全てにおいて諸手を挙げて監督に賛辞を送る気には、到底なれないのである。
こればっかりは、以前から何度となく書いている通り、二人にしか分からぬ「何か」があるとしか思えないのだが、それはおいらの知るところではない。瀬戸山社長でさえも、どうしようもなかったしねえ…。石川とはどーゆー仲だったかは知らんが。
あとは、先にリンクしたエントリにも書いたけれど、2004年6月に金沢で達成した1500本安打のアナウンスを、チケット売場で聞いていたことかな…。
心残りは、2000本安打よりも、最後の1軍でのHRがあんな形になってしまった…ということだろうか。
のこり133本のヒットは…。
おいらの心の中で、きっと打つだろう、うん。
堀様引退の一報は、実は球団公式よりも先に、松本アナがツイッターで先に午前10時半前には呟いていて、公式発表が出る前に、腹をくくることができました。
明日(3日)に、堀様の記者会見が行われるのだそうです。
堀選手。
23年間の現役生活、お疲れ様でした。
川崎を知る戦士が消えてしまうのは残念ですが、俺の心の中では、堀様は、ずっと、現役です…。
ありがとうございました…。・゜・(ノД`)・゜・。
堀様は、87年の3位入団。
という事は…ジャイに居る大道選手と同期という事なんですな。
1軍デビューが、89年4月9日の西武球場って事は…私が初めて堀様を見たのが、大阪球場での南海戦だったと記憶(-.-;)。
つまり!あの日は89年だったのね…(微笑)。
それにしても!堀様って~老けないなぁ‥(笑)。
堀様はロッテの“主”的存在ですから…思い返せば、色々なシーンやエピソードが蘇って来ますね。
川崎球場だけでなく…藤井寺球場や日生球場、そして大阪球場に西宮球場といった⇒今は無き関西のパ・リーグ球場でプレーした事のある現役選手として、貴重な存在。
つまり!堀様は「パ・リーグの宝」と言っても過言では無い位の存在。
そんな堀様が引退かぁ…(〒_〒)(泣)。
ロッテ一筋!お疲れ様でしたm(_ _)m。
そして…これからは裏方?としてロッテを支えて下さい(/_;)/~~。
そういえば、関西の球場で「神様・仏様・堀様~!!」って叫んでた女の子は元気にしてるのだろうか…。
それから「こういち~!!」ってやたらと甲高い裏声で叫ぶのが名物化?してたけど…、それも聞けなくなるんですね(ノ_・。)(寂泣)。
大阪球場の南海戦で堀様を見たという記憶が確かなら、それは88年のオープン戦でしょう。南海ホークスも大阪球場もその年限りだったのですから。
或いは、89年ということが正しいとするならば、ダイエー身売り後の大阪だったのかもしれませんね。
このあたりの記憶の糸は、新聞の縮刷版から辿っていくといいかもしれません。
もう、藤井寺や日生、西宮や川崎を知っている選手がどんどん消えていっていますが、ハムの中嶋がコーチ兼任で健在なのは、例え出場機会がなくとも、嬉しい限りです。
ちなみにM浦さんは、たぶんそのまま大松へ流れますww
でも、あの声の「コ~~~イチ~~~」は、聞けなくなるんですね…。
調べてみる価値がありそうですね。
さすがに…80年代の野球参戦記憶は、かなり!霞んできており…かつ!数年位、前後するのはザラにありますから…(-"-;)困ったもんです(汗)。
記憶があるのは…
・すり鉢状の球場だったと記憶⇒大阪球場?。
・「堀さ~ん!!」と叫んだら…近くに居たおじさん?お兄さん?に「幸一って呼んだって」って言われた事。
・まだ寒かった時期だったのか、上着を着て観戦した事。
…となると、88年のオープン戦という事か(-.-;)ゞ。
それ以外の記憶が鮮明で無いもんで…(-"-;)ゞ。
そう!肝心要の試合内容や出てた選手などの記憶もごちゃごちゃになってるもんで、一度!新聞のバックナンバーを探ったりして…、、霞んだ記憶の点と点を線にしてみるのも面白そうですな(b^-゜)。
打球が見切れることなく、そのままグングン近づいてきたのを覚えています。
あの日、唯一と言える良い思い出です。
ホークスが福岡移転して、空いた大阪球場で、近鉄が準本拠地として10試合程度使っていたので、もしかしたらその時かもしれません。
>葛飾マリンさん
私もあの場面、一瞬は喜びました。
あの日のいい思い出は、堀様のホームランだけでしたorz
試合とは全く関係ないところで、旧来の知人と出会うこともあったのですが、すっかり霞んでしまいました…。