こちらの記事の続きになります。
今宵の宿である「東横イン小倉駅新幹線口」に投宿すると、前夜睡眠剤の助けを借りてぐっすり寝られたはずなのに随分と疲れが回ってきたようで、即座にベッドに倒れて小一時間ほど仮眠。
どちらにせよ、投宿してそのままホテルに閉じこもりっきりで済ませるような性格の持ち主ではないだけに、とりあえず夕方6時前にホテルを抜け出して出歩いてみよう。
今夜の目的の一つは、乗り残している筑豊本線の「枝線」の一つである折尾~若松間の「若松線」の踏破。若松辺りまでふらりと出掛けて戻ってきて、せっかく小倉に宿を取ったのだから、名物の一つであるおでんを味あわぬ手はない。
若松線だけが目的なら、素直に小倉から折尾まで出て若松線に乗り換えればいいのだけれど、それでは北九州市の町の様子をうかがい知ることは出来ない。
ホテルから小倉駅までは、山陽新幹線の高架脇を5分ほど西へ歩くことになるけれど、同じように5分ほど南へ歩けば、北九州市内を走る西鉄バスの要所、小倉砂津バスターミナルがあるので、砂津まで出て、若松か折尾まで出るバスがあれば乗ってみたいと思う。
関東ではこの時期、夕方6時ともなるとさすがに日もかげり、夜の帳が下りようとしているのだけれど、さすがに日本列島は東西に長い国。小倉では日は相当に傾きつつも、街中に明るさがまだまだ残っている。
宿を出て一旦東に向かい、すぐ川にあたると左折して南に向かえば、砂津バスセンターはすぐ。JRの大きなガードと踏切を渡ると、「チャチャタウン小倉」が見えてくる。
観覧車もあるのか。凄いところだな。おひとりさまだから用事は無いけど(´・ω・`)
大通りに面したチャチャタウンの敷地内に、どこかで聞いたことがあるスポーツ・健康美容事業の支店が見えたので、そういえば…と思って、そこの別の支店に籍を置いている、野球関連の知人にメールをしてみたら、どうやら昨日は甲子園に高校野球を観に行かれていたらしいw。ちょww待てよニアミスじゃないのww俺がもし阪神競馬場ではなくて甲子園球場を選択していたら更にニアミスだったわけでwwこちとらは九州入りしているから、今日の兵庫県南部地方の天候は分からないけれど、昨日に関しては雪もちらつく底冷えのする一日、お風邪を召されぬようとメールを打っておく。やっぱり「野球バカ」とは、どこで鉢合わせになるかわからないもんだねえ(^^;)
チャチャタウンの対面に、砂津バスセンターがある。
「小(砂津)倉」みたいな。みたいな。
小倉行きの高速バスは、小倉駅前に寄ってここを起終点とし、市内のバス系統もここを発着地点とする路線も数多い。
写真が小さいので分かりづらいが、前から93番戸畑渡場行き、1番黒崎行き、後ろに見えるハイデッカー車は、おそらく長崎県交通の長崎行き「出島号」だろう。
さて。
どうすっぺか。
行きたい場所だとか時間などは全く調べもせずに当てずっぽうで来ているから、どうやら20分ほど前に、若松駅へ向かうバス(40番)は終わってしまったらしい。もうちと早く来ていれば最終バスに間に合ったのに…と思ったがもう遅い。
時間ももう6時半あたりを指すころになっており、乗るバスをとっとと決めないといたずらに時間だけが過ぎ去るだけでなく、日も暮れて外の景色が見えなくなってしまう。
結局、10分ほどあれやこれやとうだうだ考えた挙げ句、どうやらバスで若松へ向かうことも折尾へ向かうことも難しいようなので、せっかくだから、路面電車が走っていたルートを走るバスがよいと、電車代替系統である1番で黒崎へ向かうことに。1番でも折尾へ向かう系統もあるのだが、黒崎から先はほぼ系統分断されているようで、雀の涙ほどしか本数が出ていなかったので断念。
系統番号が一桁なら基幹系統だろうし、時刻表を見ても頻発しているので安心。
バスは砂津始発なので楽に座れたが、小倉駅前(平和通)と魚町で客をがっつり飲み込み、満員とは行かないまでも、立ち客多数で西へ。小倉駅前も魚町も小倉の繁華街で、ひっきりなしにバスがあちこちへと走るところに、同じ名前のバス停が各所に点在しているから、福岡天神周辺ほどとは言わないが、乗りたいバスの行先と番号を確認して乗り場を確かめることが必要。地元客なら慣れているから簡単だろうが、よそ者にはまごつくばかりのシステム。
でもアレか。西武池袋線の複雑すぎる列車種別に比べればどっこいどっこいか。「準急に乗って2つめで降りればいいよ」と石神井公園下車を勧めたつもりが、実は通勤準急に乗ってしまい、実は保谷まで行っちゃったみたいな。
バスは片側2車線の道路をひたすら西へ。途中で立体交差になっている部分などは、高架橋の脇に、路面電車用の架線柱の跡らしきポールがところどころに立っていたりして、薄暗い中でも思わず窓に身を寄せて痕跡を確認してしまう。
この1番バスは、小倉~黒崎・折尾間では完全に鹿児島本線と競合関係にはあるのだが、あくまでそれは系統の起終点が被っているだけの話で、小倉~八幡間は鹿児島本線は北側の工業地帯を大きく迂回するのに対し、国道3号線経由の1番系統は、小倉から八幡までほぼ一直線に貫くルートを取っている。
小倉から戸畑、折尾方面まで北九州市内を縦横無尽に走っていた西鉄北九州線が1990年代まで生きながらえたのは、線形の違いがあるのもさることながら、路面電車とはスピードでは勝負にならないはずの旧国鉄時代の鹿児島本線の利便性が、今となっては想像を絶するほど悪かったということもある。もちろん、北九州工業地帯の屋台骨を支えていた鉄鋼不況が追い討ちをかけたという面もある。
到津ねえ…。
暗くて旧到津遊園、現在の到津の森公園なんか見えないや(´・ω・`)
バスは1時間近くをかけて黒崎駅バスターミナルに到着。
…。
廃墟だ怖いお((((;゜Д゜)))))))
バスターミナルに付随しているはずのターミナルビルは、とうの昔にテナントが撤退してもぬけの殻になっており、再開発で設けられたバスターミナルだけが煌々と明かりを照らし、上のターミナルビルはまるで廃墟。ゴーストタウン。
バスターミナルにJR黒崎駅が至近し、バスターミナルと同じ平面上に筑豊電鉄のりばがあり、人の往来はそれなりに活気があるから廃墟のたたずまいをいくらか打ち消しているものの、それらの要素がなかったら、本当に廃墟とバスターミナルが並立している様相と取られても全く不思議ではない。
夜ということもあったから写真は撮らなかったけれど、せっかく再開発しておきながらあっさり倒れるターミナルビルというところに、黒崎、いや北九州が抱える問題の一端をうかがい知れることが出来よう。
後から調べたところでは、2011年8月末に、このターミナルビルの3階から6階のフロアに、市の施設やハローワークなどが入居することになった模様。なお、9階から12階には、開業した2001年当初から「西鉄イン黒崎」が入っている。
…さて、どうすっぺか。
「釣り掛け駆動ハァハァ」するのであれば、目の前に停車している筑豊電鉄に乗って筑豊直方まで出掛けてみるのも手ではあるが、いかんせん夜であるし、筑豊電鉄は1994年2月に乗っているので、今更乗るでもないような気もする。直方まで出ても、主目的は折尾~若松間なので、直方から折尾まで福北ゆたか線に乗って戻ってくるのも面倒だし、黒崎駅バスターミナルをあれこれ調べてみても、戸畑方面のバスはあっても折尾方面に向かうバスはなし(´・ω・`)
ならば、素直にJRで一駅折尾まで行って若松に行こうか。
これが15年前までなら、「JRで行くのもアレだから、折尾まで西鉄北九州線にでも乗ってみるか」とでも思ったのだろうけどねえ…。
JRで黒崎から西へ2駅、折尾へ移動。
折尾から若松まで、未乗線を倒しに行く。
待っていたのはキハ47形2連のワンマンカー。
もともとは筑豊本線と一体で運営されていて、今でもラッシュ時は直方や飯塚まで若松~折尾間に使用されているディーゼルカーが入ったりするのだけれど、黒崎(折尾)~直方~吉塚間の筑豊本線と篠栗線が「福北ゆたか線」として電化されると、電化されない折尾~若松間は系統分断され、ラッシュ時や入出庫時以外は専らディーゼルカーが行ったり来たりするローカル線に転落してしまった。
しっかし…。
夜の乗りつぶしはシュールすぎる…
地下鉄と夜の乗りつぶしは、車窓もろくすっぽ見られないというのに、その行為自体に何の意味があるのかと疑問を持たざるをえない。
それでも乗れば一応記録の足しにはなるのだから、乗り鉄というのは因果な趣味であるとつくづく思う。
列車は折尾発車時には、2両にボックスがさらりと1人~2人ほど埋まる具合で発車すると、後はもう降りていくだけ。
世が世なら、おそらくナイター開催を行っているであろう若松競艇にでも遊びに行こうと、奥洞海で降りればすぐだったのだが、東日本大震災の影響で、3月末までの競輪、競艇、オートレースの全場の開催が休止されているということは、先にも触れたと思う。
本当はこの筑豊本線などは、昼間に乗ったほうが圧倒的に面白いと思う。というのは、北九州が鉄鋼と炭鉱で反映した町であり、炭鉱から掘った石炭を次々に日本各地に送っていたのは他ならぬ鉄道の役目であったから、筑豊本線などは繁栄の跡がそこかしこに残っているのでうかがい知ることが容易だったからである。事実、この折尾~若松間も、現在は単なるローカル線に転落しているにもかかわらず、JRでは立派な幹線扱いで、列車本数と相反するように複線なのである。
まあ、痕跡は各停車駅の敷地の広さでもてうかがい知るしかないな…。
列車は20分ほどゆっくりと走って、行き止まりの若松駅に到着。
行き止まりだからといってこのまま折り返すのは愚の骨頂。
おそらく、若松から戸畑方面に向かうバスが走っているはず…との確信を持って駅の改札を出る。というより、せっかく若松駅まで来ながら若戸大橋の一つも見ないで折り返すとはなんたることかと。
駅のロータリーにはバス停はなかったようだが、大通りを200メートルほど歩いたところにバス停があり、戸畑駅へ向かう北九州市交通局のバスが10分後くらいにあるようだ。北九州市交通局の存在は知っていたが、この辺りが営業エリアになるのだろうか。
本当は夜中でも駅前を少々歩きたかったところであるのだが、あいにくと旅の途中で、巨大地震で帰宅難民になって徒歩帰宅を余儀なくされた際に痛めた左ひざが、またぞろ悲鳴を上げている様子。
左ひざ自体は昨日の阪神競馬場あたりから痛くなっていて、フェリーの中では実はベッドの上がり降りも難儀したのだが、「寝れば治る」と思って特に湿布も貼らなかったのが災いしたらしい。とにかく今日一日ずっと痛くって、小倉競馬場の階段の上がり降りはおろか、バスのステップも難儀するほどだったので、こりゃあどこかで薬局を見つけて湿布を買ったほうがよさそう。
若松駅前に薬局らしき灯火はなかったが、戸畑へ出れば何かしらあるだろうし、そうでなくても小倉駅前の商店街に戻れば、いくらなんでも開いている薬局は一つか二つくらいはあるだろう。
バスは若戸大橋を渡って戸畑駅へ。
いやあ…。
夜の乗り鉄はシュールといえばシュールだが、思わぬ最終のお土産を手にすることもある。
若戸大橋から眺める「工場萌え」。
バスの中だったので夜景の撮影は叶わなかったが、若松駅を降りれば多少歩けば海峡際に出るから、そこでじっくりと工場群の夜景をバキィーッと撮れますよ。
戸畑駅ビルに薬局があったので飛び込み、バンテリンなんぞに手を出す。いつもは見ないような棚だったからまごつくが、悲鳴を上げる膝がある以上やむなし。歩く分にはなんてことはないのだが、階段を下りるのがきついとは…。バリアフリーの重要性を改めて認識(´・ω・`)
戸畑から小倉まで、JRで戻ってもいいのだけれど、せっかくなのでもう一度西鉄バスに乗る。折り良くやってきた砂津チャチャタウン行きで小倉の夜の街を目指す。三萩野経由のバスだったから、行先番号は25番だったはず。
小倉に来たからには旦過市場の屋台のおでんを食したいと思い、小倉まで戻らず平和通で途中下車。うろ覚えの旦過市場の位置を求めて魚町商店街を右往左往した挙げ句、小一時間でようやっと旦過市場の屋台にたどり着く。最初からガイドブックに書かれていた位置を確認すればよかったものを、うろ覚えで突き進んだのが今回は悪い方へ出てしまったのだ(´・ω・`)
寒空の中を歩き回ったので、お店のオバチャンにテキトーに見繕ってもらって暖かいおでんに舌鼓。
ちなみに、小倉のおでん屋さんでは酒は出ません。
おでんは専ら食事であります。
同じ福岡の中州周辺も屋台文化として内外から人気があり、「食事場所」という認識においては福岡も小倉も一緒なのだけれど、小倉の屋台は酒を出さない。ここが福岡の屋台とは大きく違うところである。
おでんとおにぎりでたらふく腹をこしらえて、時計を見たらまだまだ夜9時を回ったばかり。
めぼしそうな飲み屋があったら入ろうかと、旦過市場から魚町商店街を歩いてみたのだが、日曜の夜ということもあってか、入れそうな飲み屋さんがなかなか見つからないので、ホテルに戻って飲むか…。
どうせ膝を手当てしなきゃいけないし、ホテルは実はトレインビューだったしねえ( ̄▽ ̄;)
走ってくる新幹線を眼下に一杯やるとするかね。
(以下続きます)
今宵の宿である「東横イン小倉駅新幹線口」に投宿すると、前夜
どちらにせよ、投宿してそのままホテルに閉じこもりっきりで済ませるような性格の持ち主ではないだけに、とりあえず夕方6時前にホテルを抜け出して出歩いてみよう。
今夜の目的の一つは、乗り残している筑豊本線の「枝線」の一つである折尾~若松間の「若松線」の踏破。若松辺りまでふらりと出掛けて戻ってきて、せっかく小倉に宿を取ったのだから、名物の一つであるおでんを味あわぬ手はない。
若松線だけが目的なら、素直に小倉から折尾まで出て若松線に乗り換えればいいのだけれど、それでは北九州市の町の様子をうかがい知ることは出来ない。
ホテルから小倉駅までは、山陽新幹線の高架脇を5分ほど西へ歩くことになるけれど、同じように5分ほど南へ歩けば、北九州市内を走る西鉄バスの要所、小倉砂津バスターミナルがあるので、砂津まで出て、若松か折尾まで出るバスがあれば乗ってみたいと思う。
関東ではこの時期、夕方6時ともなるとさすがに日もかげり、夜の帳が下りようとしているのだけれど、さすがに日本列島は東西に長い国。小倉では日は相当に傾きつつも、街中に明るさがまだまだ残っている。
宿を出て一旦東に向かい、すぐ川にあたると左折して南に向かえば、砂津バスセンターはすぐ。JRの大きなガードと踏切を渡ると、「チャチャタウン小倉」が見えてくる。
観覧車もあるのか。凄いところだな。おひとりさまだから用事は無いけど(´・ω・`)
大通りに面したチャチャタウンの敷地内に、どこかで聞いたことがあるスポーツ・健康美容事業の支店が見えたので、そういえば…と思って、そこの別の支店に籍を置いている、野球関連の知人にメールをしてみたら、どうやら昨日は甲子園に高校野球を観に行かれていたらしいw。ちょww待てよニアミスじゃないのww俺がもし阪神競馬場ではなくて甲子園球場を選択していたら更にニアミスだったわけでwwこちとらは九州入りしているから、今日の兵庫県南部地方の天候は分からないけれど、昨日に関しては雪もちらつく底冷えのする一日、お風邪を召されぬようとメールを打っておく。やっぱり「野球バカ」とは、どこで鉢合わせになるかわからないもんだねえ(^^;)
チャチャタウンの対面に、砂津バスセンターがある。
「小(砂津)倉」みたいな。みたいな。
小倉行きの高速バスは、小倉駅前に寄ってここを起終点とし、市内のバス系統もここを発着地点とする路線も数多い。
写真が小さいので分かりづらいが、前から93番戸畑渡場行き、1番黒崎行き、後ろに見えるハイデッカー車は、おそらく長崎県交通の長崎行き「出島号」だろう。
さて。
どうすっぺか。
行きたい場所だとか時間などは全く調べもせずに当てずっぽうで来ているから、どうやら20分ほど前に、若松駅へ向かうバス(40番)は終わってしまったらしい。もうちと早く来ていれば最終バスに間に合ったのに…と思ったがもう遅い。
時間ももう6時半あたりを指すころになっており、乗るバスをとっとと決めないといたずらに時間だけが過ぎ去るだけでなく、日も暮れて外の景色が見えなくなってしまう。
結局、10分ほどあれやこれやとうだうだ考えた挙げ句、どうやらバスで若松へ向かうことも折尾へ向かうことも難しいようなので、せっかくだから、路面電車が走っていたルートを走るバスがよいと、電車代替系統である1番で黒崎へ向かうことに。1番でも折尾へ向かう系統もあるのだが、黒崎から先はほぼ系統分断されているようで、雀の涙ほどしか本数が出ていなかったので断念。
系統番号が一桁なら基幹系統だろうし、時刻表を見ても頻発しているので安心。
バスは砂津始発なので楽に座れたが、小倉駅前(平和通)と魚町で客をがっつり飲み込み、満員とは行かないまでも、立ち客多数で西へ。小倉駅前も魚町も小倉の繁華街で、ひっきりなしにバスがあちこちへと走るところに、同じ名前のバス停が各所に点在しているから、福岡天神周辺ほどとは言わないが、乗りたいバスの行先と番号を確認して乗り場を確かめることが必要。地元客なら慣れているから簡単だろうが、よそ者にはまごつくばかりのシステム。
でもアレか。西武池袋線の複雑すぎる列車種別に比べればどっこいどっこいか。「準急に乗って2つめで降りればいいよ」と石神井公園下車を勧めたつもりが、実は通勤準急に乗ってしまい、実は保谷まで行っちゃったみたいな。
バスは片側2車線の道路をひたすら西へ。途中で立体交差になっている部分などは、高架橋の脇に、路面電車用の架線柱の跡らしきポールがところどころに立っていたりして、薄暗い中でも思わず窓に身を寄せて痕跡を確認してしまう。
この1番バスは、小倉~黒崎・折尾間では完全に鹿児島本線と競合関係にはあるのだが、あくまでそれは系統の起終点が被っているだけの話で、小倉~八幡間は鹿児島本線は北側の工業地帯を大きく迂回するのに対し、国道3号線経由の1番系統は、小倉から八幡までほぼ一直線に貫くルートを取っている。
小倉から戸畑、折尾方面まで北九州市内を縦横無尽に走っていた西鉄北九州線が1990年代まで生きながらえたのは、線形の違いがあるのもさることながら、路面電車とはスピードでは勝負にならないはずの旧国鉄時代の鹿児島本線の利便性が、今となっては想像を絶するほど悪かったということもある。もちろん、北九州工業地帯の屋台骨を支えていた鉄鋼不況が追い討ちをかけたという面もある。
到津ねえ…。
暗くて旧到津遊園、現在の到津の森公園なんか見えないや(´・ω・`)
バスは1時間近くをかけて黒崎駅バスターミナルに到着。
…。
廃墟だ怖いお((((;゜Д゜)))))))
バスターミナルに付随しているはずのターミナルビルは、とうの昔にテナントが撤退してもぬけの殻になっており、再開発で設けられたバスターミナルだけが煌々と明かりを照らし、上のターミナルビルはまるで廃墟。ゴーストタウン。
バスターミナルにJR黒崎駅が至近し、バスターミナルと同じ平面上に筑豊電鉄のりばがあり、人の往来はそれなりに活気があるから廃墟のたたずまいをいくらか打ち消しているものの、それらの要素がなかったら、本当に廃墟とバスターミナルが並立している様相と取られても全く不思議ではない。
夜ということもあったから写真は撮らなかったけれど、せっかく再開発しておきながらあっさり倒れるターミナルビルというところに、黒崎、いや北九州が抱える問題の一端をうかがい知れることが出来よう。
後から調べたところでは、2011年8月末に、このターミナルビルの3階から6階のフロアに、市の施設やハローワークなどが入居することになった模様。なお、9階から12階には、開業した2001年当初から「西鉄イン黒崎」が入っている。
…さて、どうすっぺか。
「釣り掛け駆動ハァハァ」するのであれば、目の前に停車している筑豊電鉄に乗って筑豊直方まで出掛けてみるのも手ではあるが、いかんせん夜であるし、筑豊電鉄は1994年2月に乗っているので、今更乗るでもないような気もする。直方まで出ても、主目的は折尾~若松間なので、直方から折尾まで福北ゆたか線に乗って戻ってくるのも面倒だし、黒崎駅バスターミナルをあれこれ調べてみても、戸畑方面のバスはあっても折尾方面に向かうバスはなし(´・ω・`)
ならば、素直にJRで一駅折尾まで行って若松に行こうか。
これが15年前までなら、「JRで行くのもアレだから、折尾まで西鉄北九州線にでも乗ってみるか」とでも思ったのだろうけどねえ…。
JRで黒崎から西へ2駅、折尾へ移動。
折尾から若松まで、未乗線を倒しに行く。
待っていたのはキハ47形2連のワンマンカー。
もともとは筑豊本線と一体で運営されていて、今でもラッシュ時は直方や飯塚まで若松~折尾間に使用されているディーゼルカーが入ったりするのだけれど、黒崎(折尾)~直方~吉塚間の筑豊本線と篠栗線が「福北ゆたか線」として電化されると、電化されない折尾~若松間は系統分断され、ラッシュ時や入出庫時以外は専らディーゼルカーが行ったり来たりするローカル線に転落してしまった。
しっかし…。
夜の乗りつぶしはシュールすぎる…
地下鉄と夜の乗りつぶしは、車窓もろくすっぽ見られないというのに、その行為自体に何の意味があるのかと疑問を持たざるをえない。
それでも乗れば一応記録の足しにはなるのだから、乗り鉄というのは因果な趣味であるとつくづく思う。
列車は折尾発車時には、2両にボックスがさらりと1人~2人ほど埋まる具合で発車すると、後はもう降りていくだけ。
世が世なら、おそらくナイター開催を行っているであろう若松競艇にでも遊びに行こうと、奥洞海で降りればすぐだったのだが、東日本大震災の影響で、3月末までの競輪、競艇、オートレースの全場の開催が休止されているということは、先にも触れたと思う。
本当はこの筑豊本線などは、昼間に乗ったほうが圧倒的に面白いと思う。というのは、北九州が鉄鋼と炭鉱で反映した町であり、炭鉱から掘った石炭を次々に日本各地に送っていたのは他ならぬ鉄道の役目であったから、筑豊本線などは繁栄の跡がそこかしこに残っているのでうかがい知ることが容易だったからである。事実、この折尾~若松間も、現在は単なるローカル線に転落しているにもかかわらず、JRでは立派な幹線扱いで、列車本数と相反するように複線なのである。
まあ、痕跡は各停車駅の敷地の広さでもてうかがい知るしかないな…。
列車は20分ほどゆっくりと走って、行き止まりの若松駅に到着。
行き止まりだからといってこのまま折り返すのは愚の骨頂。
おそらく、若松から戸畑方面に向かうバスが走っているはず…との確信を持って駅の改札を出る。というより、せっかく若松駅まで来ながら若戸大橋の一つも見ないで折り返すとはなんたることかと。
駅のロータリーにはバス停はなかったようだが、大通りを200メートルほど歩いたところにバス停があり、戸畑駅へ向かう北九州市交通局のバスが10分後くらいにあるようだ。北九州市交通局の存在は知っていたが、この辺りが営業エリアになるのだろうか。
本当は夜中でも駅前を少々歩きたかったところであるのだが、あいにくと旅の途中で、巨大地震で帰宅難民になって徒歩帰宅を余儀なくされた際に痛めた左ひざが、またぞろ悲鳴を上げている様子。
左ひざ自体は昨日の阪神競馬場あたりから痛くなっていて、フェリーの中では実はベッドの上がり降りも難儀したのだが、「寝れば治る」と思って特に湿布も貼らなかったのが災いしたらしい。とにかく今日一日ずっと痛くって、小倉競馬場の階段の上がり降りはおろか、バスのステップも難儀するほどだったので、こりゃあどこかで薬局を見つけて湿布を買ったほうがよさそう。
若松駅前に薬局らしき灯火はなかったが、戸畑へ出れば何かしらあるだろうし、そうでなくても小倉駅前の商店街に戻れば、いくらなんでも開いている薬局は一つか二つくらいはあるだろう。
バスは若戸大橋を渡って戸畑駅へ。
いやあ…。
夜の乗り鉄はシュールといえばシュールだが、思わぬ最終のお土産を手にすることもある。
若戸大橋から眺める「工場萌え」。
バスの中だったので夜景の撮影は叶わなかったが、若松駅を降りれば多少歩けば海峡際に出るから、そこでじっくりと工場群の夜景をバキィーッと撮れますよ。
戸畑駅ビルに薬局があったので飛び込み、バンテリンなんぞに手を出す。いつもは見ないような棚だったからまごつくが、悲鳴を上げる膝がある以上やむなし。歩く分にはなんてことはないのだが、階段を下りるのがきついとは…。バリアフリーの重要性を改めて認識(´・ω・`)
戸畑から小倉まで、JRで戻ってもいいのだけれど、せっかくなのでもう一度西鉄バスに乗る。折り良くやってきた砂津チャチャタウン行きで小倉の夜の街を目指す。三萩野経由のバスだったから、行先番号は25番だったはず。
小倉に来たからには旦過市場の屋台のおでんを食したいと思い、小倉まで戻らず平和通で途中下車。うろ覚えの旦過市場の位置を求めて魚町商店街を右往左往した挙げ句、小一時間でようやっと旦過市場の屋台にたどり着く。最初からガイドブックに書かれていた位置を確認すればよかったものを、うろ覚えで突き進んだのが今回は悪い方へ出てしまったのだ(´・ω・`)
寒空の中を歩き回ったので、お店のオバチャンにテキトーに見繕ってもらって暖かいおでんに舌鼓。
ちなみに、小倉のおでん屋さんでは酒は出ません。
おでんは専ら食事であります。
同じ福岡の中州周辺も屋台文化として内外から人気があり、「食事場所」という認識においては福岡も小倉も一緒なのだけれど、小倉の屋台は酒を出さない。ここが福岡の屋台とは大きく違うところである。
おでんとおにぎりでたらふく腹をこしらえて、時計を見たらまだまだ夜9時を回ったばかり。
めぼしそうな飲み屋があったら入ろうかと、旦過市場から魚町商店街を歩いてみたのだが、日曜の夜ということもあってか、入れそうな飲み屋さんがなかなか見つからないので、ホテルに戻って飲むか…。
どうせ膝を手当てしなきゃいけないし、ホテルは実はトレインビューだったしねえ( ̄▽ ̄;)
走ってくる新幹線を眼下に一杯やるとするかね。
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