小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

横浜花月園競輪場跡をゆく

2022-01-02 17:15:55 | 家族揃って明るく楽しい公営競技
旧横浜花月園競輪場の跡地が、整備されるとかされないとかは聞いたことがあったんですが、このほど公園として整備されたというので、一丁出かけてまいりました。

横浜花月園競輪場と聞いても、若い競輪ファンにはそもそもどこにあるのか、そして花月園競輪の存在すら存じ上げないものと思います。そもそも競輪に若いファンがいるのかどうかはまた別個の案件としてですな( ゚Д゚)y─┛~~
閉鎖されたのが2010年3月の話なので、もうあれから10年以上経ったのかと思いますね。
横浜花月園競輪場のテーマ曲といえば、何はなくても、ラジオ日本あたりでたびたび流れていた、この曲ですわね。

花月園競輪のテーマ


そもそも花月園競場とはどこにあったのかと。



この鶴見花月園公園というのがそのまま花月園競輪場の跡地で、地図上にはおそらくスタンドの跡が残ってますかねえ。
京急の花月総持寺前下車徒歩およそ5分。
今では各駅停車しか止まらず、しばらくホームにたたずんでいると、快特はおろかエアポート急行も全く無視するかのようにビュンビュン通過していくので、ホームで往時をしのぼうと思ってもなかなかおっかないのではないだろうか。
競輪にまだお客さんが入っていた頃は、レースが終わった夕方になると、当時の急行が花月園前に臨時停車してくれる救済策があったが、1999年に急行がエアポート急行になってから…この措置はあったのかしらん?
おそらく当時のお客さんは、京急花月園前下車というよりは、鶴見駅から無料バスを利用していたような気がする。
JR利用ならそちらの方が確実に便利だし、鶴見駅からも線路沿いを歩いて、右折ポイントの坂さえ間違えなければ20分くらいでたどり着けたのではなかっただろうか。
そして、鶴見駅からの無料バスは確か横浜市営バスだったような気もするし、川崎鶴見臨港バスだったような気もする。
初めて花月園競輪場に行ったのは1998年11月、毎年恒例の菊花賞典レースを見に行ったので、鈴なりのバスに押し込められて、多少坂を登ったところで降ろされたのかなあ…。
そういった記憶を、おそらくバス道路だったであろう跡地を含めて、見て歩こうと思います。

京成電車を青砥までこの電車にお世話になりました。
足回りは初代AE形の東芝モーターのうなりや良し、京成3400形。



京急川崎から久々に普通列車にお世話になります。



もはや地元住民以外誰も興味を示さないであろう、花月総持寺駅に到着しました。



快特も急行もビッシビシ通過しますから、そそくさと改札階へ行きましょうね。



改札の前には、おそらく昔の花月園競輪の案内があったであろうと思われる場所に、近年整備された鶴見花月園公園への案内があります。



ラッチを見ると、自動改札は最低限のラッチ数のみ設置され、競輪華やかりし頃に荒っぽい競輪客の切符を切っていたであろうラッチも残されていて、この形でラッチが残されている駅はそうそう見ないのではないかと思うところ。



京急沿線の公営ギャンブル場というと、平和島競艇や大井競馬場はもとより、京急川崎から出る大師線に湊町という駅があり、これが川崎競馬場最寄り駅。
コロナ禍の前までは、特にお客が見込める開催日には臨時出札窓口が開いていたと思うのだけれど、この出札窓口も、往時の花月園競輪華やかりし頃の思い出の切符売り場。
「おら品川まで大人1枚、早くしろよコノヤロー!」
「はい〇〇円です(なんだよオケラのくせしやがって(・д・)チッ)」
という一瞬の会話が交わされたのかどうかは、皆様のご想像にお任せいたします。
この京急の臨時有人出札所は、湊町と立会川で何度かお世話になっていて、相互乗り入れ先の京成大和田までの切符も一瞬の間をおいて出してくれましたw



ところで、これは全くの余談なんですが、この駅がすごい。
何がすごいって、男子トイレがすごい。
お食事中、ご飲食中の読者の皆様はあらかじめご用意くださいね。



















男子トイレが個別の便器になってねえ!!!!

いやこれはびっくりしましたね。
今や昭和や平成どころか令和の時代に、今やこんなトイレが残っている場所があるんですね。しかも公共の場所で。
今のKスタ宮城みたいに全宮城県民が目を輝かせて楽天を応援しに来るようになる前の、県営宮城球場のライトスタンド裏にあったトイレもこれだったけど、あれはもう残ってないよねえ。
ロッテから野球応援評論家を経て、もと楽天応援団団長でいまや流れ者になってしまったジ〇トシオ氏にも、いろんな意味で愛された宮城球場外野スタンド裏のきったねえトイレ。
これと同じものが、花月総持寺駅にもあります。
これはもう昭和の遺物として未来永劫清掃を重ねながら保存されるべき。
さすがに一億総カメラマン時代にあっても、トイレの写真は撮れなかったなあ。
でも多分、この駅のトイレは、琴線に引っかかる人は引っかかりますね。
昭和を生きてこられた方なら、「ああこういうやつか」と膝を打たれること間違いなし。

え~。

それはさておきですな。

鶴見花月園公園に行くには、京急からずらりと並んだ、すべて東海道本線と称される幾多の線路を歩道橋で渡りこなさなければなりません。
京急から渡り越し先に向かって、手前から東海道貨物線、東海道線、京浜東北線、横須賀線だったかしら。
違ったらごめんちゃい(調べろw







歩道橋近くは住宅街がびっしりと並んでおり、公営ギャンブルの中でも気質が荒いことで知られる昭和の競輪ファンをいろいろと守るためには、こうしてお互いを守るほかなかったんですな。
昔のプロレスファンからしたら金網デスマッチ風で、それはそれでラッシャー木村的な気持ちが湧き上がってまいりますがw



この天井まで金網というのを全く自然にとらえてしまえるのは、実は昔、宝塚第一中学校に1年間だけ通ったことがあって、通学路がゴルフコースの中を突っ切る特殊なコースで、トンネルやら天井に金網やらあったおかげで、このような設備には全く動じないんですなw

京急花月総持寺駅前に通じる、金網デスマッチ式の歩道橋を抜けると、山手側に大きな擁壁があり、いろいろと区画整理中なのが分かります。
おそらくこの擁壁に沿って、花月園競輪場へ行く歩道があったかな。違ったかな。



なにせ1990年代~2000年代前半あたりに店じまいをしてしまった公営ギャンブル場は、ほとんどが写真が残ってないんですよ。
なぜかというと、これは当ブログでさんざん言ってきたのですが、昔の公営ギャンブル場は撮影禁止が当たり前で、特に競馬場以外の写真は撮れなくて当たり前。ちょっとでも客が映り込もうものなら「おう兄ちゃん、わしんこと撮っとったやろ」などとトラブルになるのは目に見えており、お互いにトラブルを見戦に防止しましょうねという意味合いがあったのだ。一応、事務所に届け出て報道の腕章をもらうことはできたらしいのだけれど、たかだか一ファンでそんなことせんよと。
なので、当時の記憶は極めてあやふやです。

確かこのあたりにバスターミナルがあって、このあたりからエスカレーターでファンは台地上のスタンドへ運ばれていった、ような気がします。
これもあやふやだったんですが、本場の場外にエスカレーターがあった公営ギャンブル場もここだけ、っていう話をどこかで聞いたことがあるのだけれど、どこかの与太話だったかな。



この辺りは画面左側は完全に造成されていて、昔のかすかな思い出とは全く整合しません。



駅には徒歩5分とあったけれど、昔の思い出をたどりながら歩くとこれはもうゆうに10分以上かけて、わんこを散歩させている近所のおばさまたちにも抜かれながらぜえぜえと坂を登り、鶴見花月園公園に到着。
この方角は、4コーナーから1センターを向いたところだったかな。
花月園の1コーナーのスタンドは、無料開放されてはいたのだけれど、造りがテーブル付きの4人ボックスの指定席のような感じになっていて、おそらく昔は指定席として運用されていたのだろうか。
同じような造りが旧京王閣競輪場で、ホームスタンドに屋根はないし粗末な指定席が300円ぽっちで売られていて、人は立川競輪場のことを「弱い犬と立川競輪場の客はよく吠える」なんて言っていたけれど、その昔、1990年代後半に今のビッグスタンドが建てられる前の京王閣競輪場だって人のことを言えた義理ではないと思うw
或いは野球場で言えば旧西宮球場のボックス席そのままで、あの席は野球観戦のためのボックス席であって、競輪観戦のためのボックスでは断じてなかっただろうと思いますけどねw



続いて4コーナーから向正面。



ついで4コーナーから3コーナー





これも全くの余談ですが、3コーナー裏のスタンドには3貫200円で食べさせてくれる寿司屋があったのが印象的。
試しに2つくらい食べてみたのかな、まあギャンブル場飯としては悪くはなかった、的な感じ。
あとね、当時のギャンブル場は一部の競馬場以外にはお酒を提供しておりませんで。
このルールは、今でも愛知県地方の一部の公営ギャンブル場にも厳格に残っていて、揚げ物うまいのに酒がないのにショボーン(´・ω・`)としたものですが、そらあんた、キップの荒い人たちが鈴なりになって酒を飲みながら金網にしがみつかれでもしたら、そらもう地獄絵図ですわね。
ちなみに、同じような寿司屋は川崎競輪場の2センター裏と川崎競馬場にもあったのだけれど、それぞれ同じ時期に静かに店を閉めている。
お寿司を食べたければ場内食堂に行きなさいということなのだろうか。

鶴見花月園公園の石碑前に、鶴見花月園公園のあらましが書かれた看板がある。



もともとは花月園という遊園地が発祥で、戦前の遊園地を競輪場に衣替えさせたのは、京王閣競輪場と沿革がまるでそっくり。
えーっと、他にあったかな。
終戦直後は競輪競馬は地方財政を潤わせるのに手っ取り早い事業だったから、この転業もむべなるかな。
その後、1990年代後半から始まる本格的なバブル景気終焉からの景気後退にの時代に、全く抗えることなく、2010年度を最後に競輪事業から撤退した花月園競輪場。
周囲は新築の戸建て住宅があるから、おそらくは宅地開発をされているとは思うけれど、敷地内を全部公園に仕上げたのは、歴史上数多にある旧公営競技上でも珍しい範疇に入るのではないでしょうか。

旧スタンドから、鶴見駅行き護送バスの左折ポイントである、JRの踏切に達しました。



この近くに横浜市営バスのバス停があったから、鶴見からの護送バスいや無料バスは横浜市営バスだったと記憶しているんだけど、違ったかなあ…。
なにせ鶴見から1度だけしか行っていないので覚えてない(・・;)



このバス停から鶴見駅と新横浜駅に行けます。
新横浜に行ったら…帰りは強制的に新幹線だな(・・;)

新装なった鶴見花月園公園。
旧花月園競輪場。
皆様も散策に一度はおいでになってはいかがでしょうか。

(※取材日…2021年12月14日)


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