こんばんは。皆様大変ご無沙汰しております。小馬太郎兵衛でございます。
いつのまにか年月は過ぎ、2022年5月もいよいよ後半になってまいりました。
…といえば、なんでも北総開発鉄道、いや今の北総鉄道が開業50周年を迎えたそうでございます。
ああ、北総開発鉄道ではないんですね。開発の文字が取れて北総鉄道なんですね。
なんでも西白井の元車庫線に大事に大事に保存してある、北総開発鉄道時代の初代車両7000形の保存が、厳重なブルーシートから解かれて期間限定で公開されているというので見に行ってまいりました。
ここは北総開発鉄道、じゃなくて北総鉄道西白井駅です。
北総線が印旛日本医大まで開業する前は、この西白井に北総線の車庫があって、北総線が新鎌ヶ谷から京成高砂まで開業した1991年3月に鉄道仲間と出かけに行った時、高砂から千葉ニュータウン中央まで乗り通そうとして、ここで車両交換だといわれて乗り換えた記憶がございます。
行先表示は西白井だったか千葉ニュータウン中央だったかは残念ながら記憶になく、鉄道仲間にも高砂から乗った時に「今度来る奴もTだよ」と言われて、当時非冷房でガンガン走っていた都営浅草線5000形が来た記憶がりますが、西白井で乗り換えた列車は…なんだったっけな…。
というわけで西白井です。
ここは梨園とともにJRA競馬学校、昔の中山競馬場白井分厩舎が近いところで、「梨も騎手も育つ街」ですか。
なかなかいい売り出し方をしておりますな。
これは知らなかった。
こ印旛日本医大の車庫ができる前は、ここに北総開発鉄道のこじんまりとした車庫があり、こちらから…。
あちら方向に車庫線が伸びていて、2,3本の列車が昼間に留置されていた記憶がございます。
とはいっても北総線といえば別名「北総高額鉄道」。若いころにおいそれと簡単に乗りに行けるような路線ではなく、車の免許を持ったらもっぱら沿線を車で走らせていた程度にはクルマ派で、正直この沿線だと車がないと生きていけません(・・;)
ということで、改めてブルーシートを解かれた北総7000形の車両をどーん。
この車両が生まれてからしばらくは、当時流行だった省エネ車両の一環として、車内はつり革がなくて握り棒だけだったという造りでしたっけ。
最初は今の新鎌ヶ谷駅、昔の新鎌ヶ谷信号所から新京成の北初富に降りて行って、松戸まで直通運転をしていた頃はそれでもよかったのでしょうが、さすがにラッシュ時はそれではいかんということでつり革が増設された…という話だったはずですw
僕も京成ユーザーとして何十年か過ごしていたけれど、実家の京成大和田から都営浅草線に乗り換えるとき、北総線車両の運用にあたることは、それこそダイヤを知っていて乗り換えようと思わないとめったに当たらないスジだったので、この車両は何度かは乗ってはいるけれど、写真はあいにく手元になし(・・;)
ステンレス者の割には京成3500形よりもごついイメージがありました。
あと、この7000形の先頭車両は、昔は運転台車はいわゆるクハで、先頭車両に駆動装置はなかったんですが、北総線が都営浅草線に乗り入れるようになると、どうしても京急川崎まで乗り入れるスジになり、京急がそれじゃいかんという命を発したかどうか、京急に乗り入れるにあたって、今でいう京成3500形鋼新車と同じように、運転台真下の台車にモーターが付くように改造された経歴がございましたっけ。
北総鉄道7000形のブルーシート解放は期間限定で5月31日まで。
19時から21時まではライトアップも行われるようです。
久々の「シグマ電車」で鉄分補給というワンシーンでございました。
いつのまにか年月は過ぎ、2022年5月もいよいよ後半になってまいりました。
…といえば、なんでも北総開発鉄道、いや今の北総鉄道が開業50周年を迎えたそうでございます。
ああ、北総開発鉄道ではないんですね。開発の文字が取れて北総鉄道なんですね。
なんでも西白井の元車庫線に大事に大事に保存してある、北総開発鉄道時代の初代車両7000形の保存が、厳重なブルーシートから解かれて期間限定で公開されているというので見に行ってまいりました。
ここは北総開発鉄道、じゃなくて北総鉄道西白井駅です。
北総線が印旛日本医大まで開業する前は、この西白井に北総線の車庫があって、北総線が新鎌ヶ谷から京成高砂まで開業した1991年3月に鉄道仲間と出かけに行った時、高砂から千葉ニュータウン中央まで乗り通そうとして、ここで車両交換だといわれて乗り換えた記憶がございます。
行先表示は西白井だったか千葉ニュータウン中央だったかは残念ながら記憶になく、鉄道仲間にも高砂から乗った時に「今度来る奴もTだよ」と言われて、当時非冷房でガンガン走っていた都営浅草線5000形が来た記憶がりますが、西白井で乗り換えた列車は…なんだったっけな…。
というわけで西白井です。
ここは梨園とともにJRA競馬学校、昔の中山競馬場白井分厩舎が近いところで、「梨も騎手も育つ街」ですか。
なかなかいい売り出し方をしておりますな。
これは知らなかった。
こ印旛日本医大の車庫ができる前は、ここに北総開発鉄道のこじんまりとした車庫があり、こちらから…。
あちら方向に車庫線が伸びていて、2,3本の列車が昼間に留置されていた記憶がございます。
とはいっても北総線といえば別名「北総高額鉄道」。若いころにおいそれと簡単に乗りに行けるような路線ではなく、車の免許を持ったらもっぱら沿線を車で走らせていた程度にはクルマ派で、正直この沿線だと車がないと生きていけません(・・;)
ということで、改めてブルーシートを解かれた北総7000形の車両をどーん。
この車両が生まれてからしばらくは、当時流行だった省エネ車両の一環として、車内はつり革がなくて握り棒だけだったという造りでしたっけ。
最初は今の新鎌ヶ谷駅、昔の新鎌ヶ谷信号所から新京成の北初富に降りて行って、松戸まで直通運転をしていた頃はそれでもよかったのでしょうが、さすがにラッシュ時はそれではいかんということでつり革が増設された…という話だったはずですw
僕も京成ユーザーとして何十年か過ごしていたけれど、実家の京成大和田から都営浅草線に乗り換えるとき、北総線車両の運用にあたることは、それこそダイヤを知っていて乗り換えようと思わないとめったに当たらないスジだったので、この車両は何度かは乗ってはいるけれど、写真はあいにく手元になし(・・;)
ステンレス者の割には京成3500形よりもごついイメージがありました。
あと、この7000形の先頭車両は、昔は運転台車はいわゆるクハで、先頭車両に駆動装置はなかったんですが、北総線が都営浅草線に乗り入れるようになると、どうしても京急川崎まで乗り入れるスジになり、京急がそれじゃいかんという命を発したかどうか、京急に乗り入れるにあたって、今でいう京成3500形鋼新車と同じように、運転台真下の台車にモーターが付くように改造された経歴がございましたっけ。
北総鉄道7000形のブルーシート解放は期間限定で5月31日まで。
19時から21時まではライトアップも行われるようです。
久々の「シグマ電車」で鉄分補給というワンシーンでございました。
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