≪第8話 おこげのご飯がおいしかった S.K.さん 執筆当時62歳≫ ~戦争体験集「なつくさ」より~
私は国民学校高等科2年(いまの中2)を卒業して、多摩製作所の第一期養成工として入社しました。
食べざかりの私達は会社の食堂の定食では足りなくて、いつもお腹をすかしていました。
「ああ腹へった、腹へった」と箸箱をならして食堂の行列に並んでいると、その東北なまりを聞いて「お兄ちゃん、どこの出身」「うん俺、宮城県だよ」「ネエ、私も宮城の渡波よ」・・・・その人は一年後輩の内海さんで食堂で働いていました。
それ以来、内海さんが食堂にいるかぎり、おこげのご飯を渡してくれるようになりました。
一人では食べきれない量でしたので、寮の仲間にわけてやって感謝されました。
しかし、内海さんはその後、昼・夜の変則的な食堂勤務のために身体をこわして故郷に帰り、18歳の若さで死亡してしまいました。
後日、命の恩人の死を聞いて、私は涙が止まりませんでした。
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こうした「人の恩」は忘れられませんね。。。
特に苦しかった時、辛かった時に受けた恩は尚更です。
多くの方がこうした「人の恩」に助けられたんですよね!
昨年の震災でもそうでしたが、助け合える心を持てるのは素晴らしいと思います。
日本人にはその美しい心がありますね。