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▲ 王子稲荷神社・拝殿右奥小社左側の
狐(阿形/あぎょう)の頭部
ブロンズ像で高い芸術性を感じさせます
狐(阿形/あぎょう)の頭部
ブロンズ像で高い芸術性を感じさせます
毎度ばかばかしいお話でお時間をちょうだいいたします…。
大好きな名人、3代目・古今亭志ん朝の「王子の狐」の音源に出会い、拝聴する機会に恵まれました。
「王子の狐/おうじのきつね」は上方噺の「高倉狐」を江戸・東京に置き換えたもので、拙宅からの街あるきには絶好の道のりにある、現在の北区・王子界隈を舞台に展開される古典落語です。
噺の舞台環境を設定する「マクラ」の後半に、「王子」という空間の紹介と名所の解説があり、「王子稲荷/おうじいなり」、「飛鳥山/あすかやま」、「滝野川/たきのかわ」、「音無川/おとなしがわ」、「名主の滝/なぬしのたき」と、まるでツアー・ガイド・マップの絵を急いでめくるように、小気味よくつぎつぎと聞き慣れた固有名詞が飛び出しました。
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簡単にふれてみますと、「王子稲荷」▲は、王子駅の北方にあり「東国三十三国」(陸奥国を含む)の稲荷の頭領というきわめて格式の高い神社。
平安時代以前の創建で、往時には御休み処やみやげ物屋などかなりの門前町が形成され、おおぜいの参拝客で賑わっていたようです。
毎年2月の「初午/はつうま」や大晦日の夜の「狐の行列」で、今もたいへんな賑わいを見せます。
ここから東の方向、JR線と北本通りを越えたところには、大晦日に東国のすべてのお稲荷さんのお使いである狐が集まって、「王子稲荷」へ向かうための装束を正す「大榎」があった場所といわれる「装束稲荷」があります。
江戸落語「王子の狐」はこの故事に因んでいます。こちらにもトップ画像の狐によく似た作風(同作者?)のブロンズ像が奉納されています。
「飛鳥山」はJR王子駅の西側に隣接する小高い緑地公園。
享保期に将軍吉宗が整備し、明治初頭、上野などとともに日本初の公園に指定されました。
現在も春のサクラやツツジの開花時には、おおぜいの花見客で賑わいます。
「滝野川」は、現在の「石神井川/しゃくじいがわ」の王子あたりの川筋の呼称で、「音無川」は、将軍吉宗が本国紀州・本宮の川に因んで命名したといわれています。
現在の「音無親水公園」のはずれにあった、「王子の玉子/おうじのたまご」で有名な料亭「扇屋/おうぎや」は、今も屋台で営業されていて、卵焼を買い求める客の列が見られます。
志ん朝師匠は現存する「扇屋」の営業に配慮してか「おうじや」と語っています。
「石神井川」はむかしから、練馬区・板橋区あたりでは「石神井川」といわれ、北区・王子あたりでは「滝野川」と呼ばれていたようです。
「名主の滝」は、「王子稲荷」のすぐ北にある公園で、「王子七滝」といわれた景勝のうち現存する唯一の滝です。
江戸時代に地元の名主が整備し、昭和初期には「精養軒」が遊園地を兼ねて営業していましたが、戦災で消失したそうです。
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浮世絵師・歌川広重(1797 -1858)が安政年間に著した連作『名所江戸百景/めいしょえどひゃっけい/1856 - 58』の全118枚の絵には王子界隈のものが6点含まれていますので見てみます。
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# 18/ 王子稲荷の社 | # 17/ 飛鳥山北の眺望
どちらにも遠く地平線上にふたつの山頂をもつ山が描かれています。「筑波山」(つくばさん/877mh/茨城)です。
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# 88/ 王子瀧の川 | # 19/ 王子音無川堰棣
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# 47/ 王子不動之滝 | # 118/ 王子装束ゑの木大晦日の狐火
いずれも現存しない名所です。しかも#118は想像上の光景です。
その大榎の右後方に描かれているのが「王子稲荷」の杜だといわれています。
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6枚の絵を通してしてみると、いずれも高台からの遠望と渓谷・落水を描いたものばかりです。
このことは王子の置かれた地形と深い関わりがあることを連想させます。<▼ =国土地理院HP掲載のデジタル標高地形図画像データ(東京都区部)を使用>
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王子は武蔵野台地の東端、荒川の氾濫原に落ち込んだ崖の下、西から流れ下ってくる「石神井川」がちょうど飛鳥山の丘に突き当たったところにあります。
現在は直近の隅田川の湾曲した部分に人為的に流され(飛鳥山分水路)ていますが、古くは飛鳥山から東南に流れを変えて、右下の青い楕円の上野「不忍池」に流れ込み、東京湾に注いでいたということです。
現在は暗渠などになっているということで川筋は見えません。
そこまでの流れは「藍染川/あいぞめがわ」といって染色業が盛んだったそうです。
「石神井川」は飛鳥山から上流で深い谷を刻み、いわゆる「音無渓谷」を形成していました。
この崖面から武蔵野台地の伏流水があちらこちらに噴き出した水流が、前述の「王子七滝」だったのです。
現存する「名主の滝」のほかに「稲荷の滝・権現の滝・大工の滝・見晴の滝・不動の滝・弁天の滝」の6滝が数えられ、「不動の滝」は垂直に流れ落ちる滝らしい滝で人気があり、遊山客が川遊びに興じたとのことです。
現在の「石神井川」の川筋は、完全に護岸工事がなされ、なだらかな曲線を描いていますが、自然河川であったころの右に左に蛇行し突出していた部分が埋め立てられ、緑地や公園に生まれ変わってあちらこちらに往時を偲ばせています。
このように見てくると、「王子界隈」は江戸の近郊にあって景勝地として、また霊験あらたかな地としても江戸庶民の信仰を集め、日常のくらしとはかけ離れた非日常的空間としてリフレッシュできる場所、プレイランドやヘルスセンター的な価値を持つイメージの里であったと想像されます。
あたかも、「洛中」に対する「熊野」といった位置関係だったようにも想われます。
ちなみに「王子」の地名は、鎌倉時代・元亨2年(1322)、現在の音無親水公園北岸の崖上に紀州・熊野の「若一王子/にゃくいちおうじ(=若王子/にゃくおうじ)」を勧請したことに始まるそうです。
これが現在の「王子神社=王子権現」で、「音曲諸芸道の神」、「髪の祖神」としても信心を集めています。
王子界隈は紀州・熊野と縁の深いところなのです。
また、江戸時代の「浮世絵」や明治時代の「落語」の舞台ともなったことで、芸術的な観点からも人々の心に残る普遍的な価値を獲得しているという、二重三重の文化的遺産に恵まれた稀有な空間であったことに気づきます。
王子界隈は水流に恵まれていたことから、明治の代になって「殖産興業・富国強兵」の国策による「鉄工業」、「製紙業」、「印刷業」など近代日本を支える一大工業地域として目覚ましい開発がなされました。
現在はその時代も過去のものとなり、博物館として記念したり、国の近代化産業遺産としての指定など、明治以来の歴史をも観光資源として位置づけ、地域活性化の素材として活用されているようです。
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さて、「キツネ」という動物、落語「王子の狐」のように、日本ではタヌキ同様イヌやネコに次いで身近でユーモラスで、擬人化されやすい動物ということができますが、「童謡」の世界では、「叱られて」という曲に、その独特かつ強烈なイメージが反映されているように思います。
「 叱られて 」
作詞:清水かつら/作曲:弘田竜太郎
叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ こんときつねが なきゃせぬか
叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ 二人のお里は あの山を
越えてあなたの 花のむら ほんに花見は いつのこと
「少女号」1920年(大正9)4月号小学新報社刊に掲載
作詞:清水かつら/作曲:弘田竜太郎
叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ こんときつねが なきゃせぬか
叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ 二人のお里は あの山を
越えてあなたの 花のむら ほんに花見は いつのこと
「少女号」1920年(大正9)4月号小学新報社刊に掲載
この詩にはキツネはもとより、まさに「王子」や「飛鳥山」のイメージさえも感じます。
「あの子は町まで お使いに」の「町」は、当時の王子から見て、駒込か「本郷」から先の「東京」を連想させます。
「夕べさみしい 村はずれ」は「西ヶ原一里塚」あたりかと想像してみます。
「こんときつねが なきゃせぬか」は「王子稲荷」にまつわる浮世絵や落語から得たイメージ。
「二人のお里は あの山を/越えてあなたの 花のむら/ほんに花見は いつのこと」は「飛鳥山」そのものではなかったか。などと想像します。いかがでしょうか。
作詞者の「清水かつら」の来歴をみると、1898年(明治31)東京深川生まれ、4歳で生母と父は離縁し、12歳で継母を迎え本郷元町に住み父と継母に育てられた。
とあり、千代田区神田錦町(神田橋交差点)に発し、北区滝野川2丁目(飛鳥山交差点)を終点とする「本郷通り」(本郷追分から日光御成街道=岩槻街道とオーバーラップする)の文化圏で少年時代を送った方なのです。
当時、本郷・駒込・西ヶ原・飛鳥山・王子間は、路面電車の乗り継ぎ路線が敷設される時代にあたっていて、おそらく交通インフラ整備以前の東京をもご存知の世代なのではないかと思われます。
長じて電車利用があたりまえの時代からすると、少年時代の徒歩の経験が懐かしく思い起こされるような、馴染みのあるコースだったのではないでしょうか。
ちなみに没後、清水かつらの「音楽葬(1951年)」は、文京区本駒込の吉祥寺で執り行われ、墓所も同寺にあり、三代目志ん朝が生まれた(1938年)のも同じ本駒込だったということです。奇遇です。
清水かつらの代表作には「叱られて」のほか「靴が鳴る」、「あした」、「雀の学校」、「みどりのそよ風」の5作品があります。
「叱られて」と「靴が鳴る」は、「日本の歌百選/文化庁・日本PTA全国協議会/2006年(平成18)」に選定されています。
なお、関東大震災/1923年(大正12)で継母の実家に近い埼玉県白子村・新倉村(現・和光市)に移りそこで生涯を送った。
とあり、現在、東武東上線和光市駅(埼玉)前には、「叱られて」、「みどりのそよ風」、「靴が鳴る」の歌碑があり、利用していた同線成増駅(東京・板橋区)南口には「うたの時計塔」(主な5作品に「浜千鳥/作詞:鹿島鳴秋/作曲:弘田竜太郎/日本の歌百選選定」を加えた楽曲が流れる)、北口には「みどりのそよ風」の碑、アクトホール外壁には「雀の学校」のプレートがあるということです。
実に、石神井川(滝野川・音無川)・王子・飛鳥山・西ヶ原・駒込・本郷・白山・小石川・茗荷谷・目白・巣鴨・染井・板橋…は、街あるきで幾度も幾度も、ときには隅を深く、ときには一気通貫に、五感で親しんできた大切な「私の東京」です。
このたびは「第六感」までもがはたらいてくれたように思います。
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「王子稲荷」の狐を撮影した帰り、神社横の坂道を登って本郷通りから続く岩槻街道に面した手打ちそば「無議庵・越後屋」に立ち寄ると、同店で催される「寄席」のPRカードがテーブル上に置かれていました。
「王子の狐」の本場として落語の振興に力を入れている店であることがよくわかりました。
久しぶりのうまいそばは、細めで懐かしい味のする「王子のそば」でした。▼
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ちょうど冬期オリンピック・ソチ大会の開催中ですが、「王子稲荷」関連記事でどなたかのブログで噂になっていた石造の狐を見かけたので付け加えます。
それが、スキー・ジャンプの解説者、原田雅彦さんにそっくりだという噂なのです…。▼
そのうち、オリンピックやスキーばかりではなく、「飛躍」にご利益のある神社として、若い参拝客たちが訪れるようになるかも知れません。
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王子そばキツネといえずとるセイロ 蝉坊
《 関連ブログ 》
● けやぐ柳会「月刊けやぐ」電子版
会員の投句作品と互選句の掲示板。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu0123
● ただの蚤助「けやぐの広場」
川柳と音楽、映画フリークの独り言。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu575
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駅周辺は知っているつもりでしたが、そういえば王子稲荷まで足を伸ばしたことはありませんでした。
予約しないと買えない扇屋の釜焼玉子(?)は小生にとってはやや甘すぎますが、かなりのボリュームで一人では食べ切れないですね。某有名デパートでも買えます。
落語の「王子の狐」は元々扇屋のPRのために作られた噺だと聞いたことがあります。
なお、「古今亭しん朝」は「志ん朝」ではなかったかと…。
志ん朝の兄(志ん生の長男)、先代金原亭馬生の噺も懐かしいです。
「叱られて」の薀蓄は興味深いですね。
ご指摘さっそく訂正させていただきました。
無粋なことで申し訳ありませんでした。
何度となく歩いていると、今まで見えなかったものに気づくこともあるものですね。
これからは「童謡」の方にも「道草」してみよう、などと考えております。
感謝。