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「ひとまず、信じない」押井守

2024年01月27日 | 本 レビュー

「ひとまず、信じない」2017/11/8

押井守

この本は、人生の指南書というよりも

押井守監督の人生論のようなものとして読みました。

 

「キリスト教の幸福」

(本文より)

一般化して「これが幸福」などと定義するとことは絶対にできないし

幸福が定義できないとすれば、「どうしたら幸福になれるのか」などということは

問い自体に意味がない。

幸福な状態というものを一般化することができない以上

幸福はごく私的な基準で決まってしまう。

 

巷には「幸せになるための条件」とか「どんな所でも幸せを感じて生きよ」

といった内容の本が出回っているが、そんなものはまるで信用ならない。

なぜなら、幸福とは人によって違うし

あるいは本人が幸福と思えていることが幸福ではないというような矛盾さえはらむのが

幸福の実態であるからだ。

 

キリスト教徒であれば、幸福であることは一種の義務である。

自分という存在を創造した絶対者に対する義務を負うこと

神との約束を果たすということが信仰ということだ。

(本文終わり)

 

幸福はごく私的な基準で決まってしまう。

なるほど、これは人それぞれの感覚ということでしょうか?

 

私は幸福に対してあまり貪欲でないので

今日一日生きられたらラッキーぐらいな日々を送っています。

前にも書いたことがあると思うんですが

幸せでも不幸でもない、真ん中ぐらいがちょうどいいって思っています。

根が単純なので、きれいな景色に出会ったり、おいしいものを食べたりしたときは

素直に幸せだなあって思いますが、その程度で十分です。

 

「人生は単純にはできていない」

(本文より)

幻想は人を不幸にする。

これが僕の考えるテーマである。

リアルに目覚めた人間だけが、結局幸せになれる。

僕は、その幻想を人さまに売って商売している人間なので、余計にそう思うのである。

(本文終わり)

 

リアルに目覚めた人間だけが、結局幸せになれる!

 

映画やドラマの世界では、困っているときにヒーローが助けにきてくれたり

転生したり、魔法使いになったり、タイムスリップしたり..

自分の願望にこたえてくれる世界があるけれど

それはあくまでも、お話の中の世界のことであって

実際は現実の厳しい世界を生きて行かないといけないわけで...

そこのところをわきまえないと、確かに不幸になるかもしれない。

 

「フェイクニュースが世界を駆け巡る」

(本文より)

ネットの登場によって、すべての人類が情報を共有することができるようになり

立場を超え、国境を越え、同じ土俵で問題に向き合うことができるようになった。

 

そういう輝かしい時代をインターネットが切り拓いた、などと考えている人間がいるとしたら

それはかなり控えめに言っても、無自覚にデマゴギーをまき散らす存在であり

要するにただの馬鹿である。

 

そんなことが本当に可能な世界が来ると考えていること自体が、大いなるフェイクなのである。

 

インターネットの出現は、個人が手にできる情報の精度を、それまでよりも格段に落としてしまった。

一見、便利で使い勝手がよいネットは、情報から人々を遠ざけてしまった。

そのことに早く気づくべきである。

映画や小説はコンピューターの反乱が人間の危機をもたらすといったテーマを何度も描いてきた。

しかし、実際に起きたのはコンピューターの反乱ではなく、フェイクに満ちたネット空間の出現だった。

 

匿名であることをいいことに、特定の人間を総攻撃するような文化が生み出され

右も左も炎上ばかりというこの世界は、映画や小説が描く「人工知能の反乱」が

別の形で現出しただけのことで、あらかじめ警告された未来だった。

(本文終わり)

 

インターネットの登場で、果たして人は幸せになったのだろうか?

ずいぶん便利になったことは確かだ。

私だってこうしてブログを書いているし、恩恵も受けている。

 

ネットが普及する前は、何かわからないことがあると

人に聞くこともあるが、たいていは本を買ってきて調べていた。

でも、今はキーワードをパソコンやスマホに入れて検索すれば、膨大な数の情報が出てくる。

正しい情報なのか、間違いなのか?

 

個人がやっているSNSでは、キラキラした日常が発信されていて

うらやましいなあとか、自分と比較したりで、知らなければよかった内容にあふれている。

 

自分に病気が見つかったとき、ネットで個人が発信している闘病ブログを読んでいて

気持ちが引きずられて、不安感でおかしくなりそうになったので

病気に関して、わからないことは医師に聞くことにして

ネット検索は一切やめてしまった。

 

要は使い方次第なのかもしれないが、この本のタイトルのとおり

「ひとまず、信じない」の姿勢でネットとは付き合っている。