気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

クルーズから上海の夜景・・・江南4都市巡りの旅ー⑨

2010-03-23 16:00:17 | ツアー旅行
 2010年1月25日(月)中国ツアー旅行の4日目の今日は、朝から上海市内の観光を続け、夕方には同じ市内にある中華料理店で夕食をごちそうになった。
 夕食後は、上海中心部のビジネス街に建つ、超高層ビルからの夜景を楽しむグループと、黄浦江の遊覧船からの夜景を楽しむナイトクルーズのグループとの、二つの観光が計画されている。
 私たちは黄浦江から夜景が楽しめるナイトクルーズを選んだ。
 夕食後にクルーズ乗船乗場のバスに乗り換えて、10分ほど走ると遊覧船乗り場に到着する。 
 目の前の乗船桟橋には、白い船体と、その後方に水車のような推進機の付いた遊覧船が繋留されている。
 早速、私たちは遊覧船に案内されて乗船し、階上にある展望デッキに上って行く。
 展望デッキに上り、暫く周辺の夜景を楽しんでいると、遊覧船はカシャカシャと音をたてながら黄浦江を就航して行った。
 このクルーズは、上海市内をジグザグに流れている黄浦江から、外難のクラシック建築や、浦東ビジネス街に建つ超高層ビル群などの夜景を、40分間にわたって楽しむコースである。

           
       黄浦江からの上海高層ビル群が林立する夜景を楽しむクルーズの遊覧船

 上海市は人口1900万人で、重慶市に次ぐ中国第二位の規模である。商業、金融、工業などでは中国最大の都市に発展、アジア第二位の株式市場を誇り、急速に発展している。
 上海経済の発展を象徴する地区が、黄浦江の東側に広がる浦東エリアで、国際的なビジネス街としての存在感を高め、世界中から情報がもたされている。
 その中心的なシンボルに位置するのが、世界第3位の高さ468mを誇る東方明珠塔(とうほうめいじゅとう=テレビ塔)と、その周辺に林立する超高層ビル群である。

           
   租界時代に建設された歴史的建築物が残り、その一帯にずらりと並んでいる外難方面の夜景

 カシャカシャと音を発てて進む遊覧船デッキの両サイドには、すばらしい上海の夜景が見えている。
 黄浦江の川面にも、船体を華々しいネオンで飾りつけたような、遊覧船が行き交い、クルーズの夜景を一層美しく引き立ててくれている。
 黄浦江の川面からは、何時までたっても飽きることのない夜景が見えているが、難点は真冬の上海クルーズのデッキは寒く、それに、冷たい夜風が追い討ちをかけるように吹いてきている。

 乗船して直ぐに見えてきたのが、上記写真の外難(がいなん)で、租界時代の面影を残す建物が、ライトアップされ、横一列に並んで見えている。
 上海外難は、黄浦江西岸の中山一路一帯の地域である。
 1842年アヘン戦争でイギリスと戦った清が敗れ、その時に結ばれた不平等な条約が南京条約である。
 この条約により開港した上海に、イギリスが租界(外国人居留地)を設けたのがその始まりである。 
 これを契機としてイギリス、フランスなどの領事館を皮切りに租界が形成され、後に日本やアメリカも租界を開き、相次いで列強各国の企業や金融機関が進出、「東方のウオール街」と呼ばれるようになっていった。
 この当時に建設されたホテルや金融機関のビルなどが、昔のままの歴史的建造物として残り、現在も新たな施設として使用され、当時の面影を伝えている。

※ 阿片戦争=1840年~1842年にわたったイギリスと清国(中国)との戦争、清が英国よりのアヘンの密輸を禁じた為に起こった。イギリスの勝利となり、清は香港をイギリスの譲り、上海、広東などの港を開くことを約した南京条約を結んだ。

※ 阿片(あへん)=未熟なけしの実の乳液を干して作った褐色の粉末、アルカロイドを含み、催眠性をもつ、中毒作用を起こしやすい。医薬用としても使用されている。 

           
        明るい色彩の電燈を飾り付けて行き交う遊覧船と黄浦江河岸の夜景 

           
         華やかな灯りをつけ黄浦江を行き交う遊覧船と上海都心部の夜景

           
            中国人バスガイドの女性(中央)と一緒に記念のショット

            
遊覧船からの高さ468mの東方明珠塔(とうほうめいじゅとう)アジアで一番高いテレビ塔

 19995年に完成したアジア一の高さを誇り、上海のシンボルとして親しまれているテレビ塔。世界第3位を誇る高さ468mで、球体を串刺しにしたようなユニークな姿をしている。
上球、中球、下球と呼ばれる3つの球体部分に展望台が設けれ、中球の地上267m地点にはメインの展望台がある。
 メイン展望台の360度にわたる広いフロアーには、記念品の売店やカフェーなどがあり、眼下の大絶景やちょっとしたショッピングを楽しむことができる。

           
 遊覧船からの東方明珠塔と林立する超高層ビルが光輝く、上海中心部の浦東ビジネス街の夜景

           
   遊覧船の展望デッキの川面から眺める東方明珠塔と周辺に林立する高層ビル群の夜景

            
青いライトの上海№1の高さを誇る上海ワールドファイナンシャルセンター(森ビル) ビルのガラス側面がネオン広告塔のビル

 日本の森ビルが開発・運営を手掛ける超高層ビル「上海ワールドファイナンシャルセンター」が2008年8月にオープンした。地上101階建て、高さ492m、2009年7月現在で世界第2位の高さを誇っている。
 世界最高地点にある大絶景の展望台やレストランなどは盛況で、連日多くの人たちが訪れる人気スポットになっている。

           
 40分間にわたる外難のクラシック建築や浦東の高層ビル群の夜景を楽しんだ、黄浦江ナイトクルーズを終えて下船する人たち。

 約40分間にわたって林立する近代的な超高層ビルや、聳え立つテレビ塔など、黄浦江の川面からの美しい夜景を堪能することができた。
 遊覧船の展望デッキからの夜景はすばらしく、上海を訪れる機会がある人には、是非お勧めしたいコースである。 
 ナイトクルーズから急速な発展を象徴するビジネス街、浦東エリアの夜景、日本の大都市とは一味違った魅力を感じさしてくれる。
 ただ、冬場の上海は沖縄と同じくらいの温暖な地域だろう・・、と当初は思っていたが、実際は大阪の気候と、ほとんど変わらず大変寒かった。 
 特にナイトクルーズでは、ジャンパーや外套などが必要である。
 こんな、寒いナイトクルーズで会ったが、私たちは、寒さにもめげず、ほとんどを遊覧船の展望デッキで過ごし、飽きることのない川面からの素晴らしい夜景を楽しみ、私も妻も大満足であった。

 黄浦江からのナイトクルーズを終えた私たちは、専用バスに戻り、上海市内に宿泊しているホテルに帰り、上海最後の夜を過ごしていった。
 
 1月26日(火) 朝5時30分に起床し、帰国の荷物をまとめ、6時30分にホテルを出発する。
 夜明け前のホテルからしばらく一般道を走り、まばらに車が走行している高速道を、上海国際浦東空港に向けて走って行く。
 しばらく高速道を走っていると、上海浦東国際空港手前の東方向の空が赤く染まり、太陽が昇ってきている。
 赤く染まった美しい夜明けの状況を、しばらく眺めていると、上海浦東国際空港に到着する。
 
           
 朝早くホテルを出発、高速道路から上海浦東国際空港の出発ゲート前に入って行く専用バス

           
今年5月から始まる上海万国博覧会のマスコットもおかれている上海浦東国際空港出発ゲート

           
     間もなく私たちを乗せ上海浦東国際空港から関西空港へ飛び立つ中国東方航空機

 出国手続きも順調に完了、搭乗前の1時間ほど待ち時間には、出発ロビー内のラウンジで、今回のツアー仲間の人たちとコーヒーなどを飲見ながら談笑してくつろいでいた。
 やがて、搭乗案内のアナウンスがあり、午前9時55分、私たちを乗せた中国東方航空機は、上海空港を離陸、関西空港に向かって飛び立って行った。
 航空機は順調に飛行し、定刻の13時00分に関西空港に着陸する。

           
上海浦東国際空港から関西空港に着陸、移動用のモノレールから関西空港国際線ゲートの中国東方航空機

 今回の中国「上海と江南4都市巡り5日間」のツアー旅行(1月22日(金)~26日(火))で初めて訪れた中国、急速な経済成長を続け、大きく変貌をしつつある中国の4都市(上海、無錫、蘇州、朱家角)の観光を終え、振り返って感じることは、
 ①高速道路を数時間走っても山が見えない中国の国土の広さと、内陸部まで通じている運河の長さやその歴史。
 ②急速な経済成長による大規模な高層住宅建設現場や高速道路などの都市基盤工事の多さ。
 ③上海地域に住む人たちとの共通点の多さ(人種、文化、習慣など)。
 ④恵山寺や寒山寺など建築や庭園、仏教などが中国から伝わってきていることの実感。
 ⑤高度成長している都市の姿にも、かつての日本の姿が映る。
 ⑥メイドインジャパン商品の知名度や親近感のある人たちの多さ。
 以上の様なことが思い浮かんでくる。
 今までは中国が遠い国のように感じていてが、この旅行を経験することによって、中国が急に身近に感じるてくる。
 距離的に帰国路の2時間という飛行距離も、北海道に行っているような気楽さを感じる。
 文化的には随所に、日本との共通点も多く、永い歴史的な両国の絆を感じてくる。
 現在は日本と中国の間には、様々な問題点も存在しているが、今後はお互いに相互理解を深め、日中友好関係が一層に発展するように望みながらの帰国の思いであった。 






中国の風情が・・名庭園「豫園」江南4都市を巡る旅-⑧

2010-03-17 15:02:21 | ツアー旅行
  2010年1月25日(月)上海と江南4都市巡り5日間のツアー旅行も4日目に達し、午前中に上海市内の博物館などを見学、豫園商城内の中華レストランで昼食を済ました。その後、中国の明や清の時代の街並みを再現、中国らしい風情満点の豫園商城を見学する。
 豫園商城には、外国からの観光客も多く訪れ、大きな賑わいを見せている。
 豫園商城と隣接した場所にある中国の名園 「豫園=よえん」の入り口に案内されてやってきた。
 白壁で造られた高い塀の中央部分に入口があり、数人の人たちが入園券を購入する為に並んでいる。
 私達もガイドのカクサンが入園手続きをしてくれ、完了後に入場門をくぐり抜けて庭園に入って行く。
 豫園の「豫」は「愉」に通じ、「楽しい園」という意味があるらしく、豫園は外難と並ぶ上海2大観光スポットで、上海を訪れた人は必ず訪れるといわれている。
 豫園入口の正面には、大きな石が置かれ、その石には「海上名園」と彫られている。
 石の後ろには、堂々とした三穂堂(さんすいどう)が建ち、風格のある屋根には三国志で有名な武将の勇ましい像がある。
 三穂堂は1760年の創建で、その名は豊作を祈願して名づけられたといわれ、扉の装飾には稲や麦などの豊作物が描かれている。
         
           
「海上名園」と彫られた石庭と豊作を祈願して建てられた三穂堂、屋根の上には三国志で活躍した張飛と関羽の像がある。 

           
   三穂堂の屋根、三国志で活躍した関羽の像、日本ではあまり見かけない屋根の像

 豫園は、四川省長を務めていた上海出身の潘充端が、父親を喜ばす為に造園した庭園で、1559年に着工している。しかし、完成するまでに18年という永い歳月を要したことから、父親は完成した豫園を見ることなく亡くなっている。
 造園したのは、明代(1368年~1644年)の代表的な造園家、張南陽によるものであった。
 豫園は、江南庭園の特徴である建物、太湖石、水、樹木の四つの要素を巧みに調和さして、中国らしい見事な庭園を演出している。 

           
豫園のなかにはたくさんの獅子像があるが、仰山堂の脇にあるこの像は豫園唯一の鉄で出来た獅子である。 
 
           
 石と水が織り成す造形美と、建物の屋根が反り返る中国らしい風情を感じさしている仰山堂(ぎょうざんどう)

 この建物は1866年に建てられ、池に囲まれた建物からは、2000トンの武康黄石を積み上げた、高さ14mの築山(大假山=たいかざん)を一望できるように造られている。
 その堂々たる形状の造園美は、造園当時とほとんど変わらないといわれている。
 
           
 建物から池と庭園のシンボルである高さ14mの大假山(たいかざん)を中心に、池やお堂・石などを見事に配置された庭園

           
        築山の石や樹木の配置と建物と池とを見事に調和さした仰山堂の庭園

           
太湖石(石灰岩)の奇岩と樹木を巧みに配して造られた仰山堂の庭園、日本庭園とは造園の原点は同じかもしれないが、違ったイメージが湧いてくる。

 仰山堂から白壁の所々にある、細工を施した通し窓を見ながら進んでいくと、万花楼の入り口に達する。
 入って直ぐに東屋があり、その向こう側には白壁と太湖石や樹木を巧みに使った庭園が出来ている。
 東屋と庭園の間には池が造られ、池の奥にも白壁の塀が造られている。
 白壁は洞窟のイメージを引き出すかのようにアーチ型でくりぬいて造られ、奥の池にも通じている。 
 この場所は時々御見合いの席にも使われていたようで、初対面の男女、どちらかが、この東屋に座り、向こう側に造られている廊下の窓から、相手に知られずに観察されていたようで、お見合い独特の雰囲気が伝わってくる。
 どうやらこのようなお見合いの雰囲気は万国共通の様に感じられる。

           
お見合いなどに使われた魚楽榭という東屋と、太湖石の奇岩を使った庭園、じっとしているとお見合時のイメージが湧いてくる。

           
  万花楼内の通路から庭園と、御見合いの席に使われた奥にある魚楽榭(東屋)を見る。

           
 万花楼前の広場には大きな木が2本立ち、その前には庭園が造られている。周辺には中国の風情をかもし出す、幾数もの反りあがった屋根が見事な景観を現している。

           
この建物のもとは明代(1368年~1644年)の花神閣で、その後の清代(1644年~1912年)に再建された万花楼。
       
 この万花楼の建つ広場から周囲を眺めていると、中国建築様式の美しさが伝わってくる。
 反りかえった屋根や、雲が流れていくような建物の設計など、随所に中国建築らしさを感じさしてくれる。
 この広場には樹齢400年といわれる銀杏の木が立ち、建物の向かいには、池をはさんで太湖石の湖石假山の中国らしい美しい庭園が造られている。
 また、この広場に訪れた多くの観光客が、奥行きのある庭をバックに盛んにカメラのシャッターを切っている。 
 どうやらこの場所は観光客の絶好の撮影ポイントのようである。
 
          
 広場の前にある万花楼の庭園、石灰石の奇岩と、白壁で造られた通し窓の彫り物や樹木がうまく調和し美しい庭園に仕上がっている。
 花の季節には、違った光景が楽しめそうである。 

           
 開けた口の中には真珠を現す石が入り、白壁沿いに、今にも動き出しそうな表情を表している龍壁

 中国で龍は皇帝のみが使えるシンボルであったが、豫園の龍は本来5本である爪を4本にすることで「これは龍ではありません」と申し開きができたのだといわれている。
 それにしても、見事な龍で、塀の機能と龍の彫刻を一体的に表現した手法には感心させられる。

           
             多くの人達が訪れ賑わっている点春堂 

 1851年に発生した中国市場最大の内戦「太平天国の乱」で、100万人以上の人たちが犠牲となった。
 乱に呼応し、武装蜂起を企てた「上海小刀会」の指令本部が、この建物である点春堂であった。 
  
           
  点春堂の前と奥にある小さな建物が打唱台で、芸能の歌唱などが行われる舞台でもあった。

           
小刀会が壊滅し建物は破壊されたが、1868年に再建された点春堂。内部には内戦当時の武器や自鋳の通貨、発布文書などが展示されている。

 豫園は清朝(1644年~1911年)末期には、二つの歴史的な事件により荒廃していたようである。
 ひとつはアヘン戦争(1840年~1842年)で、戦争後のイギリス軍によって占領され破壊される。
 もうひとつは、表記している太平天国の乱(1851年~1864年)であった。

           
点春堂と向き合って建っている打唱台。屋根の造りや装飾など細部にまで、意匠を凝らした優美な造りに仕上がっている。

            
手前の建物は打唱台で奥の建物が快楼。 壷の形をした門、豫園にはこのような形の門が幾つか造られている。

           
美しい池のある庭園を眺めながら、池の上に出来た和熙堂(わくどう)の回廊を通り会景楼へ向かう人たち。

           
     豫園の中心にあり、三方を池や築山に囲まれたロケーションに建つ会景楼

 会景楼という名は豫園のなかで、特に景観が美しいという意味からきている。
 会景楼の側には、天空で玉を奪い合うような2体の龍が、真ん中に玉を置き、向かい合っている姿も、白壁沿いに造られているのも印象的であった。 

          
 会景楼から池を隔てて月見が出来るように造られている。正面にある建物が得月楼である。
 かつて十五夜になると、この部屋から池に映る月を愛でたとされ、建物の名もこれにちなんだといわれている。

           
 得月楼から円形の門を通して会景楼方向にある庭園の池やを建物を見る。池に架かった石橋付近には赤い鯉が集まり、独特の風情をかもし出している。

            
最初に豫園を造った「潘充端」の書斎であった「玉華堂」、書斎の席からは 玉玲瓏の庭園が眺められるように造られている。

           
        江南三大名石のひとつと称される太湖石の奇岩で出来た庭園の玉玲瓏
    
           
太湖石は穴が多く複雑な形ほど美しいとされ、玉玲瓏の奇岩には72個の穴が開いている。水を注げば流れ落ち、香をたけば全ての穴から煙が立ち上がるといわれている。中央の石が玉玲瓏、高さは約3.3m。

           
玉華堂前と同じ池に架かり、波打っている渡り廊下に反り上がった屋根や、屋根の上にある装飾品などが、より一層の重厚さを感じさしてくれる老君殿。 

           
         三国志の武将や鳥など複雑な飾り物が設置されている老君殿の屋根 
    
 上海の中心部にある名庭園の豫園、門前にある豫園商城や上海老街と共に、上海の一大観光スポットとしての大きな賑わいを見せている。
 大変なる豫園商城の活気ある街並みから、静かな雰囲気に包まれている豫園に入園していくと、その静かなたたずまいをかもし出している建築物や、庭園の美しさから戸惑うほどであった。
 ルンルン気分にさしてくれる豫園商城から、心の落ち着きとや、すらぎを感じさしてくれる豫園の名庭園。
 どちらも中国らしい様式を巧みに取り入れ、風情を味わせてくれる名所である。
 今回のツアー旅行で、無錫にある恵山寺の庭園や、蘇州の留園など、中国を代表する庭園を見学してきたが、どちらも甲乙をつけがたい名庭園であった。
 中国と日本の庭園の造園手法には、共通点も感じるが、違いも多いように感じる。
 共通点は禅の世界でいわれるように 「心」の字体を元にする造園技法である。
 日本庭園は、周りの自然や、大小の石や砂、樹木などの組み合わせに重きをおいているよう思えるが、中国では庭石そのものの美を強調したり、建築物や壁などの細工を、こまめに多く施しながら、庭園全体を造っているように思えてくる。
 いずれにしても、庭園は世界各国で造られ、その手法もヨーロッパとアジアでも全く違う様に、その国や地域に住む人たちの、生活様式や習慣、国の風土や気候、産物である石や樹木・水などの影響を受けながら造られている。
 私にとって、静寂に包まれた庭園を見ることは、落着きと平安を感じ、大きな楽しみで、今後も機会あるごとに見学していきたいと考えている。
       

中国独特の風情が漂う「豫園商城」と「上海老街」ー⑦

2010-03-03 16:20:01 | ツアー旅行
 2010年1月25日(月)今日は午前中に、中国4000年の歴史を体験できる上海博物館などを見学した後、中華風の風情と賑わいに酔いしれる豫園商城(よえんしょうじょう)にやってきた。
 豫園商城内にある老舗の中華レストランで、点心料理による昼食を済ました後、豫園商城や同じ地区内にある上海老街(しゃんはいろうがい)を見学することになった。
 豫園商城や上海老街は、中国江南の名園として知られている「豫園=よえん」を取囲むように広がっている一大ショッピング街である。
 豫園商城は、明や清時代(1368年~1912年)の街並みを再現した上海老街などと共に、中国の風情が漂う街として多くの観光客が訪れている。  

          
       昔からの中国らしい雰囲気をかもし出している上海豫園商城の建物

 車道沿いに面した通りにある中国風の建物、木造ではなく鉄筋コンクリート造の建物らしく、豫園商城街区は、このような建物が一街区全てに建ち、そのスケールの大きさに驚かされる。
 上海を訪れた旅行者は、必ず訪れるといわれている一大観光地の豫園庭園や、豫園商城・上海老街の街。
 この街は、世界の中でここだけにしかない、独創的な魅力を持った街として発展している。

           
  中国のレトロな雰囲気をかもし出し、数百年前にタイムスリップしたような豫園商城の景観

           
   豫園商城と書かれた看板が掲げられた門をくぐると、別世界の街並みの雰囲気が漂っている。

          
   豫園商城内の反り上がった屋根など、中国風の風情ある景観が、旅の情緒を高めてくれる。

          
  豫園商城の広場に出ると、周りにある5~6階建ての建物全てに、中華風の独特の情緒を感じる。

          
日本のお城のような建物が聳え、1階の店舗には老舗も多く、お土産などの買い物や中国風の珍しい商品が並び、見ているだけでも旅の楽しさが湧いてくる。 

          
豫園商城から豫園へ行く途中にある緑波池に架けられた橋で、九つの曲がりがあることから 「九曲橋」 と名づけられている。

 この橋に、ジグザグに曲がりをつけたことについて 「橋の曲がった角度によって、周辺の景観が楽しめる」 ことと、 「後ろから追ってくる悪霊が、角を曲がりきれずに池に落ちてしまう」 と言い伝えられている。

           
 豫園入口の前に広がっている 「緑波池」 という蓮の池、池には九曲橋が架かかり、虹のかかった噴水の側には女性像が立てられている。

          
       九曲橋から、多くの人たちでごったがやしている豫園商城を見る。
           
           
 中国では現在に至っても春節を盛大に祝っている。街の至る所にこのように華やかな飾がされている。

 豫園商城と同じ地域内には、上海老街(しゃんはいろうがい)という清代末期に出来た全長825mの街がある。
 ここは、上海で最も早く金融機関が出来た街で、かつては貴金属店、金銀細工店、飲食店、劇場など16店舗があり、豫園の人々が行き交った場所であった。
 上海の絶好の位置と、街沿いを歩く人々によってできた、この街は、商業と文化が豊かに発展して栄え、この地域の歴史と、独特の風情をかもし出している。

           
上海老街は豫園商城に隣接、独特の風情のある街であるが、商店街にはスリが多いのか! このような警察官が立っている姿を至る所で見かける。

           
中国では昔から春節(旧正月今年は2月14日)を盛大に祝う習慣がある。上海老街にも春節の華やかな飾りが施されている。

                            
            豫園商城の池の隣りにある天下の名園「豫園」の入り口  

 私にとって、ここ、上海豫園商城は驚きの連続であった。
 中国上海を訪れたアメリカや日本などの閣僚も、必ず、ここを訪れるといわれている。
 下町の風情がありながら、中国そのものの文化や歴史など、味わい深いものを感じさしてくれる。
 商店街を行き交う人の多さも驚きであるが、商店街を歩きながら、各商店に並べられた商品や飾りなどを見るのも大きな楽しみであった。
 お土産などの買い物には、絶好の場所で、私達も袋一杯のお土産を買ってしまった。
 豫園商城に入って、夢中になりながら歩き周り、買い物などしているうちに、予定時間がきてしまったようで、私たちはガイドのカクサンに連れられて、次の訪問先「豫園」入り口に向かって行った。
 豫園は、九曲橋の架かった緑波池の隣りにある。
 豫園入り口は、緑と高い白壁に囲まれた中ほどに造られ、その前には、多くの人たちが訪れて入門の順番を待っている。