12月13日(土)岐阜県多治見市内で2日間の所用を済ました後、東海環状自動車道鞍ケ池PAに20時30分頃到着し、遅い夕食を済まし、車中泊をしていた。
夕方からはあいにくの雨模様の天気となってきたが、気温の極端な低下はなく、寒さをそんなに感じることなく熟睡することができた。
14日(日)朝早くから目覚める。
隣には家族連れの普通乗用車が、エンジンをかけたまま車中泊をしている。
やはり、車のガラス面に断熱材などの工夫がなければ、車内が冷えて眠れないように思える。
今朝の天候は、昨日の雨はあがっているが、上空には厚い雲がおおっている。
雨さえ降らなければ、大阪までの帰宅途中にある、奈良県室生寺に寄って行きたいと思っていた。
天気予報によると、大阪方面はすでに晴れており、奈良県の室生寺周辺の雨の心配はなさそうであった。
少し慌しいが、朝食は走行中の車で摂ることにし、我が家自慢のコーヒーをたてて、すぐに出発した。
愛車は東海環状自動車道から伊勢湾岸自動車道を通り、東名阪自動車道、名阪国道に入って行く。
名阪国道の針ICから一般道に入り、室生寺に向かった。
室生寺までの道中にあって、30年ほど前に訪れたことがあり、岩壁に刻まれた仏像を思い出して、立ち寄ることにした。
この岩壁に出来た仏像は、宇田川をはさんで対岸にある大野寺(おおのじ)で祀られている。
大野寺は古くから室生寺の末寺として「室生寺の西門」と呼ばれてきた寺である。
伝承では白鳳9年(681年=飛鳥時代)役行者によって開基され、天長元年(824年=平安時代)に空海(弘法大師)が一宇を建立し、慈尊院弥勒寺と名づけられたが、後に地名から大野寺と呼ばれるようになった。
大野寺境内には遥拝所が設けられ、対岸にある屏風ケ浦の大野寺弥勒磨崖仏(おおのじみろくまがいぶつ)を見ることが出来る。
宇田川沿いに作られた公園と駐車場の側にある大野寺山門
大野寺境内のしだれ桜 花期には多くの観光客やカメラマンで賑わう。
宇田川の対岸にある弥勒大磨崖仏(みろくだいまがいぶつ)は、承元元年(1207年=鎌倉時代)、後鳥羽上皇の発願によって、京都笠置寺の弥勒石仏を模して刻まれたものである。
弥勒大磨崖仏は高さ30mの大岩壁に刻まれている。
岩壁を高さ13.8mにわたって光背に彫り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5mの弥勒仏立像を線で刻んで表している。
作者は宗から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆくすえ)の一派と考えられている。
対岸からは線が薄れ、肉眼では見えにくいのが残念である。
公園にある東屋から対岸にある屏風ケ浦の弥勒大磨崖仏
宇田川畔にある弥勒大磨崖仏 線が薄く見えにくい大磨崖仏
上右の拡大写真このような像が 崖仏下にもこのような彫り物がある
30年ぶりに訪れた岩壁に彫られた石像、前回に訪れた時には、岩壁に刻み込まれた仏像の線が、肉眼でもはっきりと見えた記憶があるが、今回は私の肉眼でも薄っすらとしか見ることは出来なかった。
私の視力の低下もあるかもしれないが、石像全体が風化しているように感じ残念であった。
やはり、このような石像まで異常気象の影響があるのだろうか!
800年前に出来た石像が、わずか30年で、こんなに風化していることに、驚かずにはいられない。
もし、異常気象に原因があるのであれば、将来を考えるだけでも恐ろしくなってくる、地球温暖化防止などの対策に、地球に住む全ての国々や人々が、真剣にとらまえ、対策をこうじていく必要性を痛感させられる。
また、異常気象防止に役立つ、ほんの小さなことでも、皆で取り組んでいければ大きな一歩となる、私も地球を愛し、小さな一歩を常に歩んでいきたいと思った。
大野寺弥勒大崖仏の見学を終えた私たちは、女人高野として全国に知られている次の目的地、室生寺に向かって行った。
夕方からはあいにくの雨模様の天気となってきたが、気温の極端な低下はなく、寒さをそんなに感じることなく熟睡することができた。
14日(日)朝早くから目覚める。
隣には家族連れの普通乗用車が、エンジンをかけたまま車中泊をしている。
やはり、車のガラス面に断熱材などの工夫がなければ、車内が冷えて眠れないように思える。
今朝の天候は、昨日の雨はあがっているが、上空には厚い雲がおおっている。
雨さえ降らなければ、大阪までの帰宅途中にある、奈良県室生寺に寄って行きたいと思っていた。
天気予報によると、大阪方面はすでに晴れており、奈良県の室生寺周辺の雨の心配はなさそうであった。
少し慌しいが、朝食は走行中の車で摂ることにし、我が家自慢のコーヒーをたてて、すぐに出発した。
愛車は東海環状自動車道から伊勢湾岸自動車道を通り、東名阪自動車道、名阪国道に入って行く。
名阪国道の針ICから一般道に入り、室生寺に向かった。
室生寺までの道中にあって、30年ほど前に訪れたことがあり、岩壁に刻まれた仏像を思い出して、立ち寄ることにした。
この岩壁に出来た仏像は、宇田川をはさんで対岸にある大野寺(おおのじ)で祀られている。
大野寺は古くから室生寺の末寺として「室生寺の西門」と呼ばれてきた寺である。
伝承では白鳳9年(681年=飛鳥時代)役行者によって開基され、天長元年(824年=平安時代)に空海(弘法大師)が一宇を建立し、慈尊院弥勒寺と名づけられたが、後に地名から大野寺と呼ばれるようになった。
大野寺境内には遥拝所が設けられ、対岸にある屏風ケ浦の大野寺弥勒磨崖仏(おおのじみろくまがいぶつ)を見ることが出来る。
宇田川沿いに作られた公園と駐車場の側にある大野寺山門
大野寺境内のしだれ桜 花期には多くの観光客やカメラマンで賑わう。
宇田川の対岸にある弥勒大磨崖仏(みろくだいまがいぶつ)は、承元元年(1207年=鎌倉時代)、後鳥羽上皇の発願によって、京都笠置寺の弥勒石仏を模して刻まれたものである。
弥勒大磨崖仏は高さ30mの大岩壁に刻まれている。
岩壁を高さ13.8mにわたって光背に彫り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5mの弥勒仏立像を線で刻んで表している。
作者は宗から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆくすえ)の一派と考えられている。
対岸からは線が薄れ、肉眼では見えにくいのが残念である。
公園にある東屋から対岸にある屏風ケ浦の弥勒大磨崖仏
宇田川畔にある弥勒大磨崖仏 線が薄く見えにくい大磨崖仏
上右の拡大写真このような像が 崖仏下にもこのような彫り物がある
30年ぶりに訪れた岩壁に彫られた石像、前回に訪れた時には、岩壁に刻み込まれた仏像の線が、肉眼でもはっきりと見えた記憶があるが、今回は私の肉眼でも薄っすらとしか見ることは出来なかった。
私の視力の低下もあるかもしれないが、石像全体が風化しているように感じ残念であった。
やはり、このような石像まで異常気象の影響があるのだろうか!
800年前に出来た石像が、わずか30年で、こんなに風化していることに、驚かずにはいられない。
もし、異常気象に原因があるのであれば、将来を考えるだけでも恐ろしくなってくる、地球温暖化防止などの対策に、地球に住む全ての国々や人々が、真剣にとらまえ、対策をこうじていく必要性を痛感させられる。
また、異常気象防止に役立つ、ほんの小さなことでも、皆で取り組んでいければ大きな一歩となる、私も地球を愛し、小さな一歩を常に歩んでいきたいと思った。
大野寺弥勒大崖仏の見学を終えた私たちは、女人高野として全国に知られている次の目的地、室生寺に向かって行った。
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